興義市から車で国道三二四号線を東に走り、第二の目的地、安竜県に向かった。距離はわずか百キロだが、辺鄙な山地なので幹線道路とはいうものの未舗装のでこぼこ道で坂やカーブも多く山崩れの所もあって、三時間もかかった。安竜は地図でも簡単には見つからないが、歴史的には明朝の遺臣が小朝廷の「国都」にした地で、十八義士の物語も残っている。一六四四年、中国最後の封建王朝、大清帝国ができたが、打倒された明の桂王、朱由...
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興義市から車で国道三二四号線を東に走り、第二の目的地、安竜県に向かった。距離はわずか百キロだが、辺鄙な山地なので幹線道路とはいうものの未舗装のでこぼこ道で坂やカーブも多く山崩れの所もあって、三時間もかかった。安竜は地図でも簡単には見つからないが、歴史的には明朝の遺臣が小朝廷の「国都」にした地で、十八義士の物語も残っている。一六四四年、中国最後の封建王朝、大清帝国ができたが、打倒された明の桂王、朱由...