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Your search : [ author:李順然] Total 165 Search Results,Processed in 0.100 second(s)
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11. わたしの北京風物誌 十二月
冬の緑「四季の緑、三季の花」。これは北京の環境緑化運動のなかでだされているスローガンです。北京を春、夏、秋、冬一年四季を通じて緑を保ち、また厳寒の冬をのぞく春、夏、秋一年三季を通じて花の絶えない街にしようというのです。「四季の緑」については、街のあちこちに松やイトスギ、コノテガシワなどが植えられ、冬でも緑を目にすることが多くなってきています。わたしの勤め先北京放送局の前の通りにも松やイトスギが植え
Author: 李順然 Year 1986 Issue 12 PDF HTML
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12. 九牛の一毛
昨年の暮れのことだ。拙著『日本·第三の開国―中国人記者のみた日本』(東京·東方書店)の見本刷りが送られてきたが、その帯紙の文字にいささか恐縮してしまった。「知日派ジャーナリストの語る日本·日本人」と書かれていたのだ。わたしの日本にたいする「知識」は中国の成語でいう「九牛の一毛」であり、「知日」とはほど遠いものなのである。そうしたある日、『人民中国』雑誌社から「わたしの日本観」というタイトルの原稿依
Author: 李順然 Year 1991 Issue 8 PDF HTML
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13. わたしの北京風物誌 七月
いちばん暑い月七月の北京では、合歓(ねむ)や夾竹桃(きようちくとう)がひき続き花をつけているほか、街のあちこちでは槐(えんじゆ)が白い小さな花をひらき、北海公園や颐和園の池ではハスの花が咲きはじめます。市民の家の壁に沿った露地では、おしろい花(胭脂花)が赤、白、黄の花をひらきます。このおしろい花と朝顔(牽牛花)は、北京の夏の胡同(フートン)、つまり横町をいろいろの姿、さまざまな色でかざる名コンビな
Author: 李順然 Year 1986 Issue 7 PDF HTML
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14. 第九話 貞観の治と北京の古刹―唐
北京には古刹(こさつ)が多い 唐代に建立された寺もある 法源寺、戒台寺、臥仏寺……いまもその姿をとどめている法源寺のライラック 戒台寺の松 臥仏寺の臘梅 いまも北京市民に愛されている法源寺のライラック長いあいだ南北に分かれていた中国を統一したとはいえ、隋は短命でした。事実上、文帝と煬帝(ようだい)の二代、三十八年の天下だったのです。その滅亡の原因の一つとして、第二代皇帝、煬帝の無謀な高句麗遠征の失
Author: 文·李順然 写真·馮 Year 2002 Issue 9 PDF HTML
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15. 「福到」
「おや、福の字がさかさまになっている。ミスかな……」と思われる方もおられるかも知れません。ミスではありません。意識的に福の字をさかさまにしたのです。お正月の北京の街ではこのさかさまの福の字をよく見かけるのですが、これは中国では「福到」―「福到(ふくいた)る」という縁起のいい「文字」なのです。さかさまという意味の「倒」と到るという意味の「到」は、中国語の発音ではいずれも「ダァオ」、これをもじって福の
Author: 文·李順然 え·于叔方 Year 1991 Issue 1 PDF HTML
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16. 羊年談羊
羊年談羊―「ひつじ年にちなんで羊を語る」、これが今月のタイトルです。本誌一月号の「食べもの、飲みもの」欄にも似たようなタイトルがあったのを覚えている方もおられることでしょう。わたしのこの雑文は、あそこからヒントを得たもので、姉妹篇とでも思って読んでいただければと筆をとっています。今年は十二支のひつじ年、羊(ひつじ)という字(象形文字カット参照)の下に「大」と書くと「美」という字になりますが、まず今
Author: 文·李順然 え·于叔方 Year 1991 Issue 2 PDF HTML
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17. 佳能·施楽
北京放送の東京支局長として二年半ほど日本に行っていて北京を留守にしているあいだに、北京はだいぶ変わりました。もちろん、わたしの好きな北京は以前のままの姿でわたしを迎えてくれていましたが……、あちこちに出来たビル、立体交差、高速道路、テレビ塔……、一九五〇年代の城壁取り払いから教訓を汲み取ったのでしょう、こうした建設が北京という古都の美しさを損なわないようにかなり気を配られながら進められているのはう
Author: 文·李順然 え·于叔方 Year 1991 Issue 3 PDF HTML
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18. 踏青·春游
二十四節気の清明(四月五日ごろ)が近づくと、わたしの勤め先北京放送の日本語部では春のピクニックが話題になります。遠くに出かけることを主張する「若手行動派」の唐莉莉アナウンサーたち、「虚」より「実」という「花より団子派」の中年女性グループ(失礼!)、そしてその調停役を勤める労働組合の陳さん……、だいたい折衷案が通るのが毎年の習わしとなっているようです。「草色青青柳色黄(そうしよくせいせいりゆうしよく
Author: 文·李順然 え·于叔方 Year 1991 Issue 4 PDF HTML
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19. 戈と武
今年の一月二十九日の深夜のことでした。北京放送東京支局の陳風君から「井上靖先生がさきほど亡くなられました」という電話を受けとったのです。電話を聞きながら頭に浮かんだのは「美しく老いたい」という井上靖先生のことばでした。「井上先生は人々から惜しまれつつ実に美しく逝かれた」―わたしはそんな気持ちで受話機を置いたのです。井上靖先生に最後にお目にかかったのは、メモをみると一九八九年の五月二日となっています
Author: 文·李順然 え·于叔方 Year 1991 Issue 5 PDF HTML
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20. 張三李四
茉莉花(まつりか)の白く香るや四合院(スウホウユアン)北京放送の東京支局長をしていたころのことです。NHKのテレビで『太郎の国の物語』という番組をみました。明治国家について語る司馬遼太郎さんのトーク番組です。この番組のタイトルについて司馬遼太郎さんは「英国を『ジョンの国』と考えてもいいし、ロシアは『イワンの国』、中国の場合は―ちょっと語感はちがうが―『張三李四(チヤンサンリースウ)の国』かも知れず
Author: 文·李順然 え·于叔方 Year 1991 Issue 6 PDF HTML