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Your search : [ author:整理 丁歌 え·李玉紅] Total 120 Search Results,Processed in 0.116 second(s)
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11. ハンリーマオと鹿娘
むかし、若くてりりしい狩人がいました。ハンリーマオといって、十八になったばかりでした。ハンリーマオが十五歳のときに、お父さんもお母さんも病気になって亡くなりました。両親が死んでしまったのでハンリーマオは青毛の馬と一張りの弓、一振りの刀、それに腰のきりりとひきしまった猟犬とするどいくちばしをもった鷹だけを残して、その他のものはみんな売りはらい、木でつくった家に一人で住んでいました。ですからハンリーマ
Author: 整理·李景山 え·李玉紅 Year 1964 Issue 11 PDF HTML
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12. ふたリの兄弟とふたリの姉妹
むかしむかし大昔、鳥やけだものがはびこって、人間が住めなくなってしまったことがありました。大きな山のふもとにあった小林寨(シヤオリンチヤイ)も、鳥やけものの巣となり、人びとは遠くへ逃げていってしまいました。その村に、兄弟がたった二人、残っていました。その兄弟は毎日、雀をとって暮らしていました。はじめのうちは雀がたくきんとれましたが、そのうち一羽もとれなくなってしまいました。毎日だれかが仕掛網から雀
Author: 整理·竜玉石え·李玉紅 Year 1965 Issue 2 PDF HTML
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13. 〈水の玉〉
雲南(ユンナン)省の南に黒底壩(ヘイテイパー)というところがあります。ここはこの付近で誰一人知らぬもののないほど、土地のゆたかなところです。黒底壩はなだらかな山にかこまれ、美しい野の花が一面に咲きみだれています。そうしてここにチワン(僮)族のなかまである儂人(ノンレン)が住んでいます。村のまわりにはうっそうとした松や柏が茂っており、緑の竹林や、大きな棕梠(しゅろ)の木やバナナの木もあります。村のま
Author: 整理·李斌 え·李玉紅 Year 1965 Issue 3 PDF HTML
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14. 神牛
むかしむかし、ある山のなかに牛飼いの子供が住んでいました。名前を臘月生(ラーユエシヨン)といって、笛がじょうずで、弓矢の名人でした。それで村の人たちは月生のことを韓湘子(ハンシヤンツー)(笛と弓矢の名人)の生まれかわりだといっていました。ある日のこと、月生は自分の牛をひいて、放牧にゆきました。牛を山のくぼ地に放すと、月生は竹林のなかに入って竹を切り、笛をつくりはじめました。ところが月生がみていない
Author: 整理 張文勳 え 李玉紅 Year 1965 Issue 5 PDF HTML
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15. りこうものの劉二仙
むかし、西山(シーシヤン)のふもとに、胡(フー)という苗字の金持ちがおった。たいそう腹ぐろい男で、アッというまに悪だくみを考えだしては、びんぼう人をしぼりとっていたので、村びとたちは〈きつね〉というあだ名をつけてよんでいた。ある年の春のことだった。日照りがつづき、草も木も枯れつくし、野山はまるで死んだようになった。こくもつが青々と茂っていた田畑にまで地われができ、川も小川もからからにかわいてしまっ
Author: 整理 厳兵 え 李玉紅 Year 1965 Issue 7 PDF HTML
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16. アイーサとうさぎの毛皮
むかし、大夏河(ターシヤホー)のそばに麦芽山(マイヤーシヤン)という山がありました。その山のふもとに、回族の人たちが住んでいました。麦芽山には小さな長ほそいほら穴があって、それが山のむこうがわに通じていました。人びとは泉の水をこのほら穴にひいて、山のむこうがわまで流していたのです。みんなはこのほら穴を〈うさぎのほら穴〉とよんでいました。なぜならこのほら穴は〈うさぎ娘〉がほったものだったからです。そ
Author: 整理·趙燕翼 え ·李玉紅 Year 1965 Issue 8 PDF HTML
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17. 欲ばりのタージャ
むかし、むかしある山奥にひとつの村がありました。そこは四方を高い岩山に囲まれ、ふもとは一面の畑になっていました。このあたりの畑には水がないので、畑の土はカチカチにかわいてかたまり、人がたがやしても牛がすいても掘りかえすのが容易なことではありません。村びとは畑をながめてはため息をつくばかりでした。この村に、タージャという一人のわかものがいました。両親に死に別れ、兄弟もなく、ひとりで二ムーの畑をたがや
Author: 整理 蕭丁三 え 李玉紅 Year 1965 Issue 9 PDF HTML
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18. 竜からもらった宝もの
むかし、ある貧しい村に二人の子が住んでいました。一人は小明(シヤオミン)といい、もう一人は小旦(シヤオタン)といいました。二人とも早くから父親をなくし、母親の手ひとつで育てられました。小明の家はたいへん貧乏でした。それでも小明のおっ母さんは、貧乏にくじけないで、小明をすなおな子どもに育てあげました。小旦のおっ母さんというのは、よくばりで、いつも人をだましていましたので、小旦はだんだんとよくばりで自
Author: 整理 胡光曙 え 李玉紅 Year 1965 Issue 11 PDF HTML
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19. 鏡泊湖の娘
モオホーという国にたいへん年の若い国王がいました。この国王は美しいおきさきをさがしたいと考えていましたが、自分でさがしにゆくわけにはいきませんでした。そこで天下の名匠をあつめて金の鏡をつくらせました。できあがった鏡は、さすがに名匠がつくっただけあって宝の鏡でした。というのは、この鏡は世の中でいちばん美しい娘だけがうつり、うつったらさいご、いつまでも消えないという宝の鏡だったのです。さて、鏡はできま
Author: 整理 劉適 え 李玉紅 Year 1965 Issue 12 PDF HTML
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20. アンピンとマンツオ
むかし、貴州(クエイチヨウ)省のあるところに、働きもので美しいミャオ(苗)族の娘がいました。娘の名はマンツオといって、野良仕事をやらせても、ししゅうをさせても人にひけをとらず、そのうえ、木の葉で美しい曲を吹くのがじょうずでした。ある月夜のことでした。マンツオは、同じ部落の若もので猟がうまく、簫を吹くのがじょうずなアンピンを愛するようになりました。ある日、アンピンは、おどりにきていく服をマンツオの家
Author: 整理 鍾德宏 え 李玉紅 Year 1966 Issue 1 PDF HTML