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Your search : [ author:採録 肖甘牛
え 畢克官] Total 915 Search Results,Processed in 0.103 second(s)
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11. おサルの裁判官
あるところに、こんもりしげった森がありました。そこにはむかしから、さまざまな鳥やけだものがすんでいました。ある日、ひとりの猟師がやってきて、森のなかの小道におとし穴をほりました。大きな深い穴ですが、上に木の枝や枯れ草をしいて、土をかぶせたので、すこしもかわった様子にはみえません。それを木の上から一匹のサルが見ていました。猟師がいってしまうと、サルはキッキッキッといってわらいました。「うまいこと穴を
Author: 採録 趙燕翼 え 李玉紅 Year 1962 Issue 8 PDF HTML
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12. 十二月老人のはなし
「一年には何ヵ月あるか、おまえさんはごぞんじかな」「そらあ、知ってますよ。一年は十二ヵ月でしょう」「では、どんな月があるか、言ってごらん」「一月、二月、三月、四月、五月、六月、それから……七月、八月、九月、十月、十一月、十二月。正月がすぎないと二月はやってこないし、二月がすぎないと三月はやってこない、そうでしょう?」「まったくじゃ。ところで、わしらのあいだには、正月に〈十二月老人〉の話をして興ずる
Author: 採録 走小月 え 李玉紅 Year 1962 Issue 9 PDF HTML
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13. 金瓜坊やと銀豆っ娘
中国の甘粛(カンスウ)省を流れる黄河(ホワンホー)の西岸に、鉄柜山(テエクイシヤン)という大きな石の山があります。年寄りの話によると、この山の下にはどっさり宝がうずまっているそうです。ところがおしいことに、この山をもちあげることのできるふしぎな鳥もいまはおらず、鳥がもちあげているあいだその山をささえる石も砕けてしまったので、宝物はいつ日の目を見られるかわからないということです。ところでこの山にはつ
Author: 採録 趙燕翼 え 李玉紅 Year 1962 Issue 11 PDF HTML
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14. 鈴鐺児(リンタル)
鈴鐺児(リンタル)は五つのときにおつかさんをなくした。おとっつあんは、とおいところからひとりの後家さんを牛車にのせてつれてきて、鈴鐺児のおっかさんにした。鈴鐺児はすなおな子なので、まま母にもしたしみをこめて「おっかさん!」とよんだ。一年たつと、おっかさんは男の子を生んだ。男の子は宝蛋児(パオタル)と名づけられた。宝蛋児が七つ、鈴鐺児が十二になった年におとっつあんが死んだ。宝蛋児には生みの親がいてか
Author: 採録 趙燕翼 え 李玉紅 Year 1962 Issue 12 PDF HTML
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15. ロバの耳
むかしむかしあるところにアロフという貧乏人が住んでいた。家にはロバが一匹いるだけで、ほかにはこれという財産もなかった。アロフは一週七日のうち、日曜日だけはいつもの仕事をやすみ、ロバをつれて山へしば刈りにいった。夏のある日曜日、一番どりがなくころに目をさましたアロフは、さっそくロバをひき出して鞍のうしろに皮のヒモをゆわえつけ、ヨーグルトのかんやパンのふくろもつけたうえ、オノを腰にロバにまたがり、鼻う
Author: 採録 劉発俊 え 李玉紅 Year 1963 Issue 1 PDF HTML
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16. バリンの力士
むかし、内蒙古(ネイモンクー)のバリンという地方に、乳(ちち)しぼりのおばあさんがいた。おばあさんにはひとりむすこがあって、小さいときからスモウがすきだった。おばあさんはかわいいむすこのために、小牛の皮で袋をぬって、おもちゃにさせた。むすこは、ヒツジを飼うかたわら、その袋に砂をつめて、ひとりでスモウをとってあそんだ。なん年かたって、むすこはおとなになった。もう、小牛の皮ぶくろではまにあわないので、
Author: 採録 カンチュルザップ え 妥木斯 Year 1962 Issue 2 PDF HTML
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17. 宝の船
おとっつあんをなくした王小(ワンシャウ)は、おっかさんとふたりで草ぶきの家にすみ、まいにち裏の畑をたがやし、山ヘシバかりにいってくらしをたてていた。シバかりにいく山の谷川には丸木橋がかかっていて、王小はいつもその丸木橋をわたっていった。橋の下は水がふかくて、流れも急だった。ある日、王小がてんびん棒を肩に丸木橋にさしかかると、橋のうえを歩いていたひとりのじいさんが、足をふみすべらせて、川の中へおちた
Author: 採録 姜慕晨 きりがみ 李玉紅 Year 1963 Issue 8 PDF HTML
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18. 神筆の馬良
むかしむかし、馬良(ばりよう)(マー·リヤン)という子供がいました。お父さんやお母さんにはやくから死にわかれ、ひとりで薪とりや草かりをしてくらしていました。馬良は生れつきかしこく、それに絵がなによりもすきで、絵をかきたいと思わぬ日はありませんでしたが、貧乏のため、筆一本買えませんでした。ある日のこと、塾の前をとおりかかつた馬良は、塾の先生が絵を描いているのを見て、矢も楯もたまらず、そのままつかつか
Author: え·張光宇 Year 1958 Issue 1 PDF HTML
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19. 錦のゆくえ
これは中国の少数民族、チワン(僮)族の間につたわるお話です。むかし、ある大きな山のふもとに一軒のあばら家がありました。そのあばら家には夫に先立たれた一人のおばあさんと三人の息子が住んでいました。おばあさんは錦織りがたいへん上手でした。おばあさんの織つた錦の模樣は、花でも小鳥でもみんなほんものそつくりです。おばあさんの家では、その錦を賣つてくらしを立てていました。その日もおばあさんは手織りの錦を賣り
Author: え·顔梅華 Year 1958 Issue 4 PDF HTML
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20. 中国の印象
私の中国訪問は、一九五四年十月、国慶節のお招きを受けて、約一カ月、中国各地を訪問したのが最初で、今回は二回目です。五年半ぶりにみる中国は、北京はじめ、各地とも、大建築が完成し、面ぼうを一変していてその躍進ぶりには、眼をみはらざるを得ないわけですが、二回の訪問を通じて、私の受けた印象を、一言でいえば、中国は、婦人にとつての、正に天国だということです。人間の表情が柔和で、しかも非常に明るい。子供は、人
Author: 齊藤きえ Year 1960 Issue 8 PDF HTML