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Your search : [ author:写真 翁乃強] Total 3458 Search Results,Processed in 0.096 second(s)
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11. ラサのこのごろ
ラサ市の西郊にあるポタラ宮。この宮殿建築の始まりは千三百年前で、石を主に木と土で構成されている。宮殿には多くの宝物や金銀珠玉、経巻、歴代教主をまつる霊塔などがあり、チベットの代表的建築であるポタラ宮は、また、チベットの文化、芸術の宝庫でもある。チベットのラサは、世界に知られた古都の一つで、7世紀以来の建築がたくさん残っているチベット文明の象徴とされている17世紀に復原されたポタラ宮や、チベット黄教
Author: 写真 王恩普 翁乃強 Year 1987 Issue 8 PDF HTML
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12. チベット南部 ニンチ·山南·シガズェを行く
ラサの東四〇〇キロのニンチ一帯はチベットの“江南”といわれる所。海抜三〇〇〇~四〇〇〇メートルだが、気候が良く農林業が盛んで、谷間の平野では水稲、青稞麦、小麦、くるみ、桃、あんず、リンゴ、バナナなどがとれ、山には雪山唐檜、縦(モミ)、白樺、ヒマラヤ松などの森林がある。貴重な薬材や珍しい鳥や動物も多い。また、チベットの新興工業基地として、製材、製油、マッチ、自動車修理などの工場が多く、有名なニンチ毛
Author: 写真 王恩普 翁乃強 Year 1987 Issue 10 PDF HTML
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13. 今 平和を考える 修復された盧溝橋 中国人民抗日戦争記念館完成
北京西南郊外の盧溝橋が修復を終え、五十年前の姿に硝煙弾雨は今はなく、松柏の緑まぶしく、平和を象徴するハトが空中をゆるやかに旋回する。欄干に座る、あるいは立つ獅子たちは抗日戦争の生き証人。その上にかすかにのこる弾痕と、橋中央部の当時のままの敷石(写真左上)は、不幸な歴史をいやがうえにもよびさます。橋の東側、今は盧溝橋村と改名した宛平城は、第二十九軍団大隊の指揮部が置かれたところ。激しい戦闘は二十四日
Author: 写真 劉世昭 翁乃強 Year 1987 Issue 10 PDF HTML
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14. チベットの寺
チベットは昔から「小西天」と呼ばれている。み仏や菩薩さまのおわすところが西天で、チベットはそのミニチュア版というわけだ。大昭寺、ポタラ宮、哲蚌(レプン)·色拉(セラ)寺などには、日夜を分かたず熱心な信徒が集まって、五体投地の礼拝をし、香を焚き供物を捧げ、ラマ僧の読経の声がひびいている。チベットで最も豪華で堂々としているのは寺院建築だ。寺はチベット文化の精華であり、数多くの寺を擁するチベットは、仏教
Author: 写真 王恩普 翁乃強 Year 1987 Issue 12 PDF HTML
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15. 中国初の裸体画展北京のどよめき
中国ではじめて裸体画が展示され、さまざまな反響を呼んだ。芸術的に鑑賞する人、好奇心だけの人、なかには「なまり上品でない」という人も。「油画人体芸術大展」という名の、中国で始めて人体を題材にした油絵の展覧会が、昨年末の二十二日から今年一月八日まで、北京の中国美術館で開催された。北京じゅうを沸かせたこの十八間に、入場者はのべ二十二万人に逹し長蛇の列が続いた。期間中にモデルが肖像権を侵害されたと画家を訴
Author: 写真 劉世昭 翁乃強 Year 1989 Issue 6 PDF HTML
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16. 玩具
河南省南陽で出土した漢代の画像石「許阿瞿画像」の中に、許阿瞿の四歳の誕生日の光景が描かれている。子供達が木でつくった鳥や小さな車などの玩具を手に手に、追っかけっこをしてたわむれているのだ。このような漢代の木の玩具が、いまもなお河南省の浚県、尉氏、淮陽などの農村に伝わっている。春節(旧正月)や縁日には、素朴で土のにおいのする人形、猿の木登り、猪八戒などの玩具が売られ、好みのものを選んで買うのが、子供
Author: 文·楊士俊 写真·翁乃強 Year 1989 Issue 6 PDF HTML
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17. 解明すすむ 明の祖陵 石彫群
江蘇省にある中国五大淡水湖の一つ洪沢湖、その西岸にこの明の祖陵がある。「明代天下第一陵」といわれる大規模なもので、明の初代皇帝朱元璋(しよう)が、祖父朱初一のために、洪武元年(一三六八)かその少しあとに造営を始めた陵墓だ。清の康煕十九年(一六八〇)の大洪水で洪沢湖の水底に埋没し、三百年らい、中国のポンペイとして、なぞに包まれたままになっていた。再び湖底の陵墓が姿を現わしはじめたのは一九六六年になっ
Author: 写真 翁乃強 文 龔学孺 Year 1991 Issue 11 PDF HTML
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18. 開放後七年広州はいま
開放後七年、中国の“南の玄関”·広州市を訪れた記者は、その大きな変化に目をみはったものだ。実は記者の母は広東人で、幼いころから広東語に親しんできたこともあって、広州は、ことのほか近しい存在だったのである。何よりも人びとの表情が明るくなったこと。街は活気に満ちあふれ、道ゆく人々の服装も持ち物も、ぐっと現代化されている。食堂、レストラン、高級ホテルの宴会場、そして街中の屋台店、……「食は広州にあり」と
Author: 写真 翁乃強 黄福平 黄熾和 Year 1987 Issue 7 PDF HTML
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19. 門戸を開いた南の“宝島”―海南島
全省が経済特別区に指定された中国第二の島·海南島。その有利な地理的位置と豊かな資源に、今世界中の投資家の熱いまなざしが注がれている。
Author: 写真 林明堅 黄一鳴 翁乃強 Year 1988 Issue 11 PDF HTML
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20. チベットの「晒仏」法会
■巻末フォト参照チベットのシガズェにあるザシロンブ寺の「晒仏」法会は、未明から始まる。まず、牛の皮で作った大きい袋に納めた「タンガ」を屈強のラマ僧が二十人がかりで寺から担ぎ出す。タンガというのはチベット語で、巻きものになっている仏の像のことである。盛装した僧の一隊を先に立て、奏楽の中を、寺の西北の山腹にある晒仏台へと、行列はゆっくり進み、台の下に整列する。それから、台の頂部から垂れ下がっている耗牛
Author: 翁乃強 Year 1986 Issue 7 PDF HTML