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Your search : [ author:写真 周仁徳 劉世昭] Total 3479 Search Results,Processed in 0.099 second(s)
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11. 北京アジア大会デモ·マラソン全国29ヵ所 46日間
二年後の一九九〇年、北京で第十一回アジア競技大会が開かれる。北京では初めて。昨年の九月二千二日から、「第十一回アジア競技大会デモンストレーション·マラソン」が始まった。デモ·マラソンを通して、各民族の人びとに大会開催を知ってもらい、広範囲の協力を得て大会を成功させよう、というのが目的。午前九時半。天安門広場の人民大会堂前。陳希同北京市長·アジア大会組織委員会委員長が鳴らすピストルで三百四十五人が一
Author: 写真 劉世昭 Year 1988 Issue 1 PDF HTML
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12. ギョッとしたパリからの客人 北京空港で思いもかけず……
パリからやってきたフランス人の退職技師、ドムラン氏(63歳)とその夫人は、北京国際空港に着いたとき、ギョッとしました。入国の手つづきをおえて外へ出たとたん、大ぜいの中国人にとりかこまれたのです。逮捕!いや、それにしてはみんなニコニコしています。カメラのフラッシュが閃(ひらめ)きました。そうだ、おそらく、どこかの国の要人と誤認されたにちがいない。ドムラン氏は当惑しました。かれはフランスの旅行社が募集
Author: 写真 劉世昭 Year 1988 Issue 3 PDF HTML
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13. 閻魔(エンマ)の庁と十八地獄四川省酆都県の名山鎮
重慶から東へ一七二キロの長江北岸、名山という山の下にあるこの町は、二千年の歴史を持っている。漢の時代、名山に陰長生と王方平という二人の神仙がいたので、人びとは二人の姓を合わせて「陰王」と呼んでいた。時代が移るにつれて、「陰王」は人間の生死をつかさどる陰府の王、つまり地獄のエンマ様だということになり、この山も死者の集まるエンマの庁の所在地になってしまった。宋の時代には酆都名山の名は全国に知られるよう
Author: 写真 劉世昭 Year 1988 Issue 8 PDF HTML
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14. 都市建設進む北京
Author: 写真 劉世昭 Year 1988 Issue 10 PDF HTML
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15. 万里の長城に新名所 金山嶺·慕田峪 正式オープン
中華民族のシンボルとも言える「万里の長城」に“新顔”が登場した。長く荒れはてたままだった北京北郊の金山嶺(ジンシャンリン)と慕田峪(ムーティエンユィ)の長城が修復成り、正式オープンされたのである。金山嶺長城は北京市と河北省の境を走る全長47.5キロの“巨大な竜”。密雲水庫(ミィユン貯水池)に臨んで多くの城楼を連ねた、この明代の長城は、壮観そのもの。慕田峪長城は、八達嶺の居庸関と並ぶ北京北方のもうひ
Author: 写真 劉世昭 Year 1988 Issue 10 PDF HTML
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16. 「大有希望」の天津経済技術開発区
一九八四年十二月六日、天津から五〇キロの、渤海に面した昔塩田だった所で、天津経済技術開発区の定礎式が行われた。開発区は三三平方キロある。当日、責任者は内外の来賓に向かって、一九九〇年にはここに百五十の外国との合資企業が出現するだろうといった。その後、三年あまりのあいだに、この四·五平方キロの塩田が、百万平方メートルの工業区と、大規模な生活区に変わってしまった。いま、百二十八の外国企業や中外の合資企
Author: 写真 劉世昭 Year 1989 Issue 2 PDF HTML
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17. 人体の美と健康 ボディービル プロ トップスターの来演
人間が、人体美を尊重し、これを体で表現したり、他の手段で表現したりすることは、あるいは人類の誕生とともに始まったのかもしれません。時代により、地域により、人体美の概念もさまざまですが、いま流行しているボディービルは、古代ギリシャの精華を多分に継承しているといえるでしょう。健やかで美しい体と、強い性格。でも、これは中国古来の人体美の標準とはかなりかけはなれたものでした。ことに女子に対しては、中国では
Author: 写真 劉世昭 Year 1989 Issue 3 PDF HTML
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18. ブッシュ夫妻が先駆け?北京の外国人に自転車ブーム
十五年前のこと、北京の町をよく自転車で散歩するアメリカ人の夫婦がいました。ある日、のんびりと胡同(フートン)を走っていると、町内のオバさんに怪しまれ、当時「革命委員会」といっていた町会の事務所のような所につき出されてしまいました。それがいまのアメリカ大統領夫妻で、そのころ駐中国連絡処の主任だったブッシュさんと夫人のバーバラさんだったのです。自動車王国から自転車王国に赴任した外交官夫妻は、中国の社会
Author: 写真 劉世昭 Year 1989 Issue 6 PDF HTML
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19. 北京·勁松団地のくらし
「勁松居民生活小区」―北京の中心·天安門広場から東南方向約一一キロにある大住宅団地。このあたりは、かつては見わたす限り農地で、北京市民への野菜類の供給地であったが、北京の都市部の拡張と人口の増加に伴って、住宅問題解決のために、一九七七年からここで団地建設が始まった。現在、九街区、一七八棟のアパート群、一万一千世帯、五万人の住む大団地。住民の大部分は、国家機関や北京市政府の職員とその家族。小学校·中
Author: 写真 劉世昭 Year 1989 Issue 9 PDF HTML
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20. 天津「早点」売りでにぎわう朝
天津の朝はにぎやかだ朝5時 人びとがまだ眠りについているころから、「早点」(朝食用の軽食)を売る店は準備にとりかかる 屋台の店もあちこちから集まり、どこの通りも、アッという間に“早点通り”に早変わり 7時 早点を売る店は、どこも人、人、人 長蛇の列ができて、買うのも―苦労、それでも、天津の人は早点を買うのが好きだ 出勤の途中に腹の足しにと、急いでその場で食べる人、袋やかごを持参して持ち帰る人……
Author: 写真 劉世昭 Year 1989 Issue 11 PDF HTML