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Your search : [ author:写真·劉世昭 文·黄秀芳] Total 93 Search Results,Processed in 0.080 second(s)
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11. これ 私がつくった新種なんです 北京の花の王様 薛守紀さん
花卉愛好者の多い北京では、ほとんどの家に植木鉢の五つや六つはあり、なにげなく置かれたものの中に、ひじょうに珍しいものがあったりする。北京の花好きが語る花の効用は……環境のアクセント。見て楽しく心が安まる。情操を養うのによく、花を見ていれば腹も立たない。老年者にとっては健康法を兼ねるもので、水やり、施肥、土いじりで体を動かすのはいいことだ。育てるほどに植えるほどに、愛好が専門になり、今では「花の王様
Author: 写真 劉世昭 Year 1987 Issue 8 PDF HTML
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12. 近く東京と札幌で日本の方にも 見て頂きます中国の硬筆書道
中国で、書道が芸術の一つにかぞえられ、専門家が出るようになったのは、秦朝のころからで、その後、漢代を経て、唐代に至って大きく発展した。書体の規範化がはじまり、運筆や字くばりにも技巧をこらすようになって、書道家が多く出、書道の理論書が豊富になったのも唐代である。しかしこれは主に毛筆の書道についてであり、硬筆書道について述べたものは極めて少ない。近代になって紙や用具が発達し、ことにペン、鉛筆、ボールペ
Author: 写真 劉世昭 Year 1987 Issue 11 PDF HTML
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13. ソ連バスケット·チーム 北京国際試合参加は実に37年ぶり
ゴール下での激しいボール争奪。対戦するのは、中国チームとソ連チーム。両チームは予選、決勝でつばぜり合いを演じた。八月下旬、「北京日報海燕テレビ杯」国際男子バスケットボール招待試合が開かれた。会場は北京·首都体育館。「世界の最高水準のチームが集まった」とロバート国際バスケットボール連盟会長が指摘するように、どの試合も見応えある展開だった。会場は熱気に包まれ、温度計はウナギのぼり、観戦もラクではない。
Author: 写真 劉世昭 Year 1987 Issue 12 PDF HTML
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14. 初の全国農村素人のど自慢大会北京のヒノキ舞台にきそう
この夏八月、北京で、全国農村素人のど自慢大会が催されました。これは新中国成立以来、初の試みでしたが、盛況だったこと、言うまでもありません。この大会には、全国各地から、なんと三千人もの出場希望者が名のりを上げました。予選のために、希望者はまず、自分の“十八番(おはこ)”の歌を二曲、テープに吹き込んで北京の主催団体あてに送ります。中国音楽家協会では、専門家を集めて、テープによる予選にまる十日間かけ、四
Author: 写真 劉世昭 Year 1987 Issue 12 PDF HTML
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15. 北京アジア大会デモ·マラソン全国29ヵ所 46日間
二年後の一九九〇年、北京で第十一回アジア競技大会が開かれる。北京では初めて。昨年の九月二千二日から、「第十一回アジア競技大会デモンストレーション·マラソン」が始まった。デモ·マラソンを通して、各民族の人びとに大会開催を知ってもらい、広範囲の協力を得て大会を成功させよう、というのが目的。午前九時半。天安門広場の人民大会堂前。陳希同北京市長·アジア大会組織委員会委員長が鳴らすピストルで三百四十五人が一
Author: 写真 劉世昭 Year 1988 Issue 1 PDF HTML
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16. ギョッとしたパリからの客人 北京空港で思いもかけず……
パリからやってきたフランス人の退職技師、ドムラン氏(63歳)とその夫人は、北京国際空港に着いたとき、ギョッとしました。入国の手つづきをおえて外へ出たとたん、大ぜいの中国人にとりかこまれたのです。逮捕!いや、それにしてはみんなニコニコしています。カメラのフラッシュが閃(ひらめ)きました。そうだ、おそらく、どこかの国の要人と誤認されたにちがいない。ドムラン氏は当惑しました。かれはフランスの旅行社が募集
Author: 写真 劉世昭 Year 1988 Issue 3 PDF HTML
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17. 閻魔(エンマ)の庁と十八地獄四川省酆都県の名山鎮
重慶から東へ一七二キロの長江北岸、名山という山の下にあるこの町は、二千年の歴史を持っている。漢の時代、名山に陰長生と王方平という二人の神仙がいたので、人びとは二人の姓を合わせて「陰王」と呼んでいた。時代が移るにつれて、「陰王」は人間の生死をつかさどる陰府の王、つまり地獄のエンマ様だということになり、この山も死者の集まるエンマの庁の所在地になってしまった。宋の時代には酆都名山の名は全国に知られるよう
Author: 写真 劉世昭 Year 1988 Issue 8 PDF HTML
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18. 都市建設進む北京
Author: 写真 劉世昭 Year 1988 Issue 10 PDF HTML
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19. 万里の長城に新名所 金山嶺·慕田峪 正式オープン
中華民族のシンボルとも言える「万里の長城」に“新顔”が登場した。長く荒れはてたままだった北京北郊の金山嶺(ジンシャンリン)と慕田峪(ムーティエンユィ)の長城が修復成り、正式オープンされたのである。金山嶺長城は北京市と河北省の境を走る全長47.5キロの“巨大な竜”。密雲水庫(ミィユン貯水池)に臨んで多くの城楼を連ねた、この明代の長城は、壮観そのもの。慕田峪長城は、八達嶺の居庸関と並ぶ北京北方のもうひ
Author: 写真 劉世昭 Year 1988 Issue 10 PDF HTML
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20. 「大有希望」の天津経済技術開発区
一九八四年十二月六日、天津から五〇キロの、渤海に面した昔塩田だった所で、天津経済技術開発区の定礎式が行われた。開発区は三三平方キロある。当日、責任者は内外の来賓に向かって、一九九〇年にはここに百五十の外国との合資企業が出現するだろうといった。その後、三年あまりのあいだに、この四·五平方キロの塩田が、百万平方メートルの工業区と、大規模な生活区に変わってしまった。いま、百二十八の外国企業や中外の合資企
Author: 写真 劉世昭 Year 1989 Issue 2 PDF HTML