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Your search : [ author:写真·劉世昭 文·黄秀芳] Total 93 Search Results,Processed in 0.118 second(s)
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1. 対外開放で面目一新を図る福州
近代的国際都市を目指すとき 1995年9月26日 ところ 福州于山ホテル応接室対談 福建省党委員会副書記·福州市党委員会書記 習近平 本誌記者 丘桓興丘 十年前は低い木造の家が棟を連ね、道路も狭くて混雑していたのに、今回見る福州は、到るところ高いビルが建って、道も広くなり、市民の表情も明るくなったように思うのです。福州はどう変わったのですか?習 福州は「福がある地」という意味ですが、五、六〇年代は
Author: 文·黄秀芳 写真·劉世昭 Year 1996 Issue 2 PDF HTML
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2. 伍宇娟(ウーユイジュアン)「後に残る作品を選びたい」
中央実験話劇院女優。 湖南省耒陽市出身。85年中央演劇学院入学。 映画『狂気の代償』『香魂女』、 演劇『桃花扇』『頑固者』、
Author: 文·黄秀芳 写真·劉世昭 Year 1997 Issue 3 PDF HTML
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3. 何曉佩(ホーシャオペイ)
舞踊家 回族。原籍は福建省福州市、上海生まれ。 81年安徽省芸術学校卒業後、中央民族歌舞団入り。 86年より第2回全国舞踏大会演技賞、 全国少数民族舞踏コンクールのソロ演技賞、 文化部「天山賞」金賞など受賞多数。 中国舞踏家協会会員、中国少数民族舞踏学会会員、 アメリカのダラス市名誉市民。一月二十三日夜、中央民族歌舞団の若い舞踊家、何暁佩の個人公演が北京の保利劇院でついに開かれた。二十年踊り続け、
Author: 文·黄秀芳 写真·劉世昭 Year 1997 Issue 5 PDF HTML
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4. 競技ダンスに情熱注ぐ
日が落ちた。街灯やネオンがつき、町は再び明るくなった。人々が思い思いのアフターファイブを始める時間だ。住民委員会幹部の陳来根さんも出かけるところだ。彼のダンスのパートナーで定年退職している馬鈴さんは、家族の夕食の用意を済ませて家を後にした。北京北郊にある清河毛紡績工場の劉建生さんと劉恕さんは、二十キロ以上も離れた海淀区工人文化宮に向かった。彼らはみな、そこで開かれている国際競技ダンスのレッスンに通
Author: 写真·劉世昭 文·黄秀芳 Year 1999 Issue 5 PDF HTML
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5. チベット文化を衣装で表現
チベットと言えば、はるかかなたの神秘的な浄土をイメージする。地理的に遠くて旅費が高く、空気が希薄なため高山病の恐れもあり、中国人でさえ容易には行けない土地だ。そのためだろうか、さきほど北京展覧館で開催された「雪域明珠―中国チベット文化展」は、毎日数千人の入場者でにぎわった。雪域明珠(雪国の珠玉)といううたい文句にふさわしく、チベットの歴史を物語る貴重な文献や資料をはじめ、民間の秘蔵品、絵画彫刻など
Author: 写真·劉世昭 文·黄秀芳 Year 1999 Issue 6 PDF HTML
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6. 「デザイン21」コンクールin北京
もうすぐそこにまでやってきた新しい世紀。 「私たちの生活はどんな風になるのだろう?」。 こうした会話があちこちで聞かれるようになってきた。そんな中、北京で開かれた「シック·シノワ デザイン21」 (雅致中華 21世紀生活文化デザイン国際コンクール)は、 私たちに未来の暮らしの一端を垣間見せてくれた。 出品された作品に共通していたのは、
Author: 写真·劉世昭 文·黄秀芳 Year 2000 Issue 8 PDF HTML
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7. 奮闘の日中勢。期待のビアズリは足の故障がたたって芝生にダウン
「一九八四年北京国際マラソン」が行なわれたのは十月十四日。「馬拉松(マラソン)」の“外来語”も北京市民の耳になじんだためか、沿道には百万をこす大観衆が人垣をつくって盛んな声援をおくった。先頭集団がくずれたのは、後半の二六キロすぎから。前三門大街に入ってからは、日本の伊藤国光、喜多秀喜の文字どおり“一騎打ち”に(写真下)。最後、ゴール寸前で、ベテラン喜多が伊藤をふりきって、二時間一二分一六秒の好タイ
Author: 写真 劉世昭 Year 1985 Issue 1 PDF HTML
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8. よみがえる“竜の首”。山海関長城の修復工事がスタート。
東は山海関から西は嘉峪関まで、延々一万二千華里(六千キロメートル)にわたって連なる「万里の長城」が、東に五キロほどさらに延びることになった。明代の名将·戚継光が築いた山海関は、長大な竜にたとえられる長城のいわば頭にあたる部分。燕山山脈の尾根づたいに延びた長城は、ここ山海関で首を南に曲げ、渤海に臨んで盤踞するかっこうになっている。長城の中でも最も壮大で険峻な景観として、古来、「天下第一関」の名で呼ば
Author: 写真 劉世昭 Year 1985 Issue 9 PDF HTML
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9. 浙江省南部の石の町 五雲鎮
五雲鎮の町は、浙江省南部の山地にあり、縉雲県の県庁の所在地である。好渓という小さい川が町をつらぬいて流れている。いまは、杭州と温州を結ぶ陸上交通の要地になっているが、もとは小さな村落だった。唐代の天宝年間(七四二~七五五)に、この上空に五色の雲が現れ、ただよって行く雲の下に美しい楽の音がひびき、草木がいきいきと生長したので、人びとはここに町をつくり、五雲と名付けたといわれる。ここは凝灰岩の産地だ。
Author: 写真 劉世昭 Year 1987 Issue 7 PDF HTML
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10. 「中国·日本合作出版撮影展覧会」本誌カメラマンの力作も!
五月十六日から二十四日まで、北京の中国美術館を会場に「中国·日本合作出版撮影展覧会」が開かれました。中国側は、人民美術出版社、文物出版社、北京美術撮影出版社、上海人民美術出版社、人民中国雑誌社。日本側は講談杜。中日六杜のカメラマンが、それぞれ自慢の力作をもちよったもので、中国、日本の“風貌”が、ずらり百四点並び、なかなかの壮観でした。わが人民中国雑誌杜からは、翁乃強、狄祥華、劉世昭、王恩普、魯忠民
Author: 写真 劉世昭 Year 1987 Issue 8 PDF HTML