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Your search : [ author:文·写真 劉東平] Total 774 Search Results,Processed in 0.087 second(s)
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111. 長女があかす「人間鄧小平」
一九九二年春、中国の改革·開放政策の「総設計師」と言われた鄧小平氏は、中国の南方各地を視察し、「南巡講話」と言われる一連の重要な講話を発表した。それは、中国がさらに改革を進めるための明確な道筋を示したものであった。 あれから十年。今日の中国は、世界が注目する発展と成果を達成した。当時を振り返ると、中国を開放し、豊かで強く盛んな国へと導いたこの偉大な人物への追慕の念が、さらに深まってくる。 鄧氏の逝
Author: 文·写真·鄧林 Year 2002 Issue 3 PDF HTML
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112. 「女子十二楽坊」旋風日本に上陸
この夏、中国から日本にやってきた女性アーティスト·グループ「女(じょ)子(し)十(じゅう)二(に)楽(がく)坊(ぼう)」が一世を風靡した。外資系の大手レコード店·HMVが出しているフリーペーパーでもこのほど、表紙に「女子十二楽坊」が登場した。いわゆる「楽坊」とは、唐代に宮廷に設けられた「教坊」(音楽や舞踏などあらゆる芸に秀でた女性を集めた官署)に由来している。また、十二という数は、中国の長編小説『
Author: 于前=文·写真 Year 2003 Issue 11 PDF HTML
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113. 相互理解に大きな役割果たす
一九六四年九月の二十八日、日本から北京に向かう途中の日本の大手新聞·通信·放送の九人と、中国から東京に向かう中国の新聞·通信の七人の特派員たちが、香港で出会った。その夜、中日双方の特派員は全員、香港の、ごくありふれたレストランでいっしょに中華料理の食卓を囲んだ。勘定はワリ勘だった。翌日、日本の記者たちは、汽車で深圳に行き、さらに広州から飛行機で北京に向かった。中国の記者たちは、香港から飛行機で東京
Author: 高原=文·写真 Year 2004 Issue 11 PDF HTML
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114. 市民生活を体験した読者たち
本誌の編集については、星野稔さんが「誌面に繁体字と簡体字の説明を増やしてほしい」という要望を出した。また、小林義雄さんが、日本人としての視点で中国の汚水処理について意見を出した。最後に、于社長が「二〇〇五年は、諸葛孔明の子孫のふるさと、浙江省の諸葛八卦村などを旅する計画です。山東省の泰山でお会いしましょう」と語った。
Author: 于文=文·写真 Year 2005 Issue 1 PDF HTML
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115. 「赤壁の古戦場」昔日の面影、今日の発展
華中地域に位置する湖北省咸寧市赤壁鎮は、約千八百年前、『三国志』の「赤壁の戦い」が行われた地である。時代は流れ、現在は「城在山中、人在画中(街は山に囲まれ、人は絵の中にいる)」と例えられる美しい都市だ。「赤壁の戦い」の遺跡二〇八年十一月、中原を統一した曹操は八十万の大軍を率いて南下し、東呉に迫った。孫権と劉備は協力してこれに対抗した。策士の龐統は、鉄の鎖で船と船をつなぐ作戦、いわゆる「連環の計」で
Author: 于文=文·写真 Year 2005 Issue 3 PDF HTML
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116. 復活した伝統技法から生まれた素朴さ
雲南省大理は、少数民族のペー(白)族の故郷である。大理の周城村では、山に生える植物の葉から採った染料で染める絞り染めが盛んだ。これはペー族の独特の技法であり、伝統の技を復活させたものである。「三月の大理は風景がすばらしく、蝴蝶泉のほとりできれいに化粧する。……蒼山の麓で金花を捜す、金花は私の恋人だ」―中国で人口に膾炙(かいしゃ)しているこの歌詞は、一九五〇年代末期の有名な映画『五朶金花』(五人の金
Author: 馮進=文·写真 Year 2005 Issue 4 PDF HTML
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117. 中日間の親近感を回復するには
二年前、私は交換留学生として、日本で学んでいた。帰国後、北京で就職したが、このところ、中日間には不愉快な出来事が多く、心を痛めていた。 この夏、中日両国人民の友好写真集出版を記念して東京·六本木で開かれた大型写真展の手伝いのため、東京に派遣されることになった。
Author: 于文=文·写真 Year 2005 Issue 11 PDF HTML
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118. 絶滅の謎解く手がかりに
湖北省の鄖(うん)県は山地が多い。その山の斜面で、丸い石の卵がよく発見される。石の卵は、岩石の中にあったり、地表に露出していたりしている。一九九〇年代には、外部の人がわざわざ石の卵を買うためにやって来たので、当地の農民たちは、この丸い石が宝物かもしれないとようやく気付いた。規模が大きく、保存もよい外部から来た人が大量の石の卵を買うことに、鄖県の政府は注目した。一九九五年、中国科学院の古生物学者がこ
Author: 于文=文·写真 Year 2005 Issue 11 PDF HTML
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119. 北京秋天の下、二万人が走った
十月十六日午前八時、二〇〇五ANA·北京国際マラソンが、天安門をスタートし、国家オリンピックスポーツセンターの陸上競技場のゴールを目指して行われた。今大会は、中国国内では最大規模の都市マラソンとして、四二·一九五キロのフルマラソン、一二·〇九七五キロのハーフマラソン、一〇キロマラソン、四·二キロのミニマラソンの各コースが設けられ、十あまりの国と地域から二万三千人のアマチュア選手が参加して開催された
Author: 于文=文·写真 Year 2005 Issue 12 PDF HTML
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120. 二十年迎えた日本学研究センター
北京日本学研究センターは今年、設立から二十年を迎えた。十月十四日、二十周年祝賀会が北京外国語大学で行われ、開幕式の一時間前から、出席者が続々と集まってきた。中国の日本学専門家、日本の専門家をはじめ、欧米人や同センターの卒業生たちも参加し、会場は熱気にあふれた。リアルタイムの日本を研究祝賀会の幕は、「『日本的』の現在」をテーマとした国際シンポジウムによって開かれた。中国対外文化交流協会常務副会長の劉
Author: 于文=文·写真 Year 2005 Issue 12 PDF HTML