Current Location: Home » Full Text Search
Your search : [ author:整理 丁歌 え·李玉紅] Total 120 Search Results,Processed in 0.106 second(s)
-
101. わたしの一家〔第四回〕
六今の若い人たちには、「白色テロ」といつてもいつたいどんなものか、見当がつかないだろうと思います。反革命の気違いじみた狂暴さ、革命家と人民にたいする彼らの残虐さというものは、実際に自分でそうした目に遭つてみなければ、想像もつかないものです。わたしなど、ちようどそうした時代に生まれあわせ、しかもじかに迫害を受けてきながら、当時まだあの匪賊たちの心理状態というものが全然わかつていなかつたのでした。何人
Author: 整理工人出版社 え 侯逸民 陶承述 Year 1960 Issue 4 PDF HTML
-
102. わたしの一家
梅生(メイシヨン)はもう兵工廠の労働者と連絡をとつてあつて、暴動をおこす前に工場から小銃二〇挺、機関銃二挺をもち出せるようになつていました。この武器をこつそり工場から持ち出す仕事は、赤衛隊員の楊興発(ヤンシンフア)さんがうけもつことになりました。そしてこれには黄(ホワン)さんが加勢についてゆくことになりました。出発を前にして、梅生は兵工廠の従業員章を二人にわたしました。「これをつけて、工場の裏門か
Author: 整理工人出版社 え 侯逸民 Year 1960 Issue 5 PDF HTML
-
103. わたしの一家
家の中は、めちやめちやに取り散らかされていました。フトンや枕は床に投げ出され、本はびりびりに引き裂かれていましにた。どこへ行つたのか稚鶴(チーホー)の姿が見当りません。あちこち呼んでまわりましたが、返事はありません。警官は「家からあまり離れてはいかん」と言い、おれたちの寝場所を早くなんとかしろとやかましくせつつきます。お前なんかゆつくり寝かせてやるものか。わたしは默つて死んだ夫のまつつてある部屋を
Author: 整理工人出版社 え 侯逸民 Year 1960 Issue 6 PDF HTML
-
104. わたしの一家
部屋のなかでも梯子段の音を聞きつけたのか、ドアがさつと開きました。出て来たのは立安(リーアン)と応堅(インチエン)ではありませんか。「母さん」兄弟二人が同時にとびついて来ました。「これこれ、手をお放しつたら、母さんがひつくりかえつてしまうじやないか」二人を両わきに抱えるようにして部屋に入ると、もう嬉しくてポロポロ涙がこぼれて来ます。「さあ、早く母さんに話してごらん、二人でどうやつてここまで来たのか
Author: 陶承述 整理·工人出版社 え·侯逸民 Year 1960 Issue 7 PDF HTML
-
105. わたしの一家〔第八回〕
租界では戸口調査がなく、家を借りるにも保証人はいりません。お金さえあれば、家主は相手がどこの誰であろうとかまいません。あの頃租界では、強盗事件が日に十何件も起こつていました。旅館がそうした強盗たちの人質の隠し場所となつていることは、公然の秘密でした。銃器の販賣も、ちやんとした商いとして公然とおこなわれていました。失意の政客、軍閥くずれ、旦那から暇を出されたお妾など、民国になつてから急にふえて来たそ
Author: 陶承述 整理·工人出版社 え·侯逸民 Year 1960 Issue 8 PDF HTML
-
106. わたしの一家
立安(リーアン)は本紋(ペンウエン)の手をひいて向かいの歩道に横つとびにとんで行つた。後をふり返つた本紋はアツと声をあげた。「兄さんツ、劉(リユウ)さんが倒れたわ!」兄妹はふたたびとつて返すと劉さんを救い出した。が、劉さんはすでにこときれていた。労働者たちはいつたん横町にしりぞき、散りぢりになつた人びとをあつめて隊伍をたてなおすと、赤旗を先頭にたててふたたび大通りに突つ込んで行つた。「ひどい犠牲者
Author: 整理工人出版社 陶承述 え 侯逸民 Year 1960 Issue 9 PDF HTML
-
107. わたしの一家
十五都市の党組織がひどい破壊をうけたのに反して、一九三〇年は労農赤軍の大勝利の年でした。七月に赤軍はわたしが生まれそして育つた古里の長沙(チヤンシヤー)に攻め入りました。また八月には、南昌(ナンチヤン)に迫り、廬山(ルーシヤン)で避暑をしていた外国人までふるえあがらせました。その年の冬、蔣介石(チヤンチエシー)は七コ師団、十万の兵力を派遣して、中央ソビエト区に最初の包囲攻撃をしかけて来ましたが、結
Author: 整理工人出版社 え侯逸民 Year 1960 Issue 10 PDF HTML
-
108. わたしの一家
その朝、沈(シエン)さんは中央秘書処に重要書類を受け取りにレポーターの于(ユイ)さんを遣りました。出かける真際に、正午十二時までにはかならずもどつて来るようにとはつきり言い渡しがありました。時間をきめられた以上、地下活動の規律としては、かならずその時間を厳守しなければならないこと、もし時間が過ぎた場合は機関はただちに移転しなければならないことになつていました。その日はちようど元宵節で、わたしたちも
Author: 陶承述 整理·工人出版社 え·侯逸民 Year 1960 Issue 11 PDF HTML
-
109. わたしの一家
そうしてようやくのことで湖南(フーナン)までたどりついた日のことです。日本の飛行機の爆撃と掃射にあいました。もう歩けなくなつたわたしたち何人かのものは、通りがかりの小型トラツクをとめて、しやにむに乗り込みました。そうしてみながホツとしたのも束の間、突然車が動かなくなつてしまいました。「駄目だ!重量過重だ。誰かおりないと車は動かんよ」運転手はもつたいぶつた口調で言いました。頭の上では飛行機がブンブン
Author: 整理·工人出版社 え·侯逸民 Year 1960 Issue 12 PDF HTML
-
110. 窖山の宝
むかし、福建(フーチエン)省の窖山(チヤオシヤン)は仙人が宝をしまつていたところだそうです。ここには金銀財宝がざくざくあり、米、油、塩のたぐいにいたるまで、なんでもそろつていました。窖山の仏仙岩(フオシエンイエン)のそばには米と油と塩の穴藏があつて人びとが山へたきぎ取りや狩に来ると、ひとりでに米や油や塩があふれ出てきました。そこではどんなにたくさんの人がやつて来ても腹いつぱい食べらをますが、しかし
Author: 整理 鄭邦寧 黄長源 え 米谷 Year 1961 Issue 5 PDF HTML