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Your search : [ author:王浩 馮進=文·写真] Total 127 Search Results,Processed in 0.099 second(s)
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1. 「民生」がキーワード今年の全人代と政協
今年の「両会」(全国人民代表大会と政治協商会議)のキーワードの一つは、「民生」であった。三月に開催された第十期全人代第五回会議で温家宝総理は、『政府活動報告』(以下、『報告』と略す)で「社会発展の促進と民生問題の解決に力点を置く」と述べ、注目を集めた。農民の生活や子どもの教育、医療、都市と農村の最低生活保障など、速い経済発展の中にある「少なからぬ矛盾」に、政府が正面から取り組む姿勢が示されたからで
Author: 王浩 馮進=文·写真 Year 2007 Issue 5 PDF HTML
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2. 復活した伝統技法から生まれた素朴さ
雲南省大理は、少数民族のペー(白)族の故郷である。大理の周城村では、山に生える植物の葉から採った染料で染める絞り染めが盛んだ。これはペー族の独特の技法であり、伝統の技を復活させたものである。「三月の大理は風景がすばらしく、蝴蝶泉のほとりできれいに化粧する。……蒼山の麓で金花を捜す、金花は私の恋人だ」―中国で人口に膾炙(かいしゃ)しているこの歌詞は、一九五〇年代末期の有名な映画『五朶金花』(五人の金
Author: 馮進=文·写真 Year 2005 Issue 4 PDF HTML
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3. 水運業で栄えた昔のおもかげ残す
蘭州市から約百十キロ離れた古鎮、青城には、清の康熙、乾隆、嘉慶、道光年間に建てられた五十以上の四合院式の古民家が現存している。康熙年間、水運業が発達した青城鎮には、各地方から商人が集まった。建築様式が北京、天津などの特徴を持っているのはそのためである。軒や扉など精巧で美しいレンガの彫刻や木彫は、当時の青城鎮の繁栄を今に残している。黄河の古い町青城鎮は、甘粛省蘭州市の東北の楡中県内に位置し、蘭州市か
Author: 馮進=文·写真 Year 2006 Issue 2 PDF HTML
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4. 茶と馬の交易で栄えた古代の道
昨年の国慶節の連休を北京で過ごした直後、慌しくシーサンパンナに駆けつけた。十月の雲南は、雷雨続きだった。 昆明から景洪までの高速道路は、車もそれほど多くはなかったが、七百キロ余りの山道を走るには、ほぼ丸一日の時間がかかった。車の中は蒸し暑く、風が通らず息苦しかった。フロントガラスにぱらぱらと雨の当たる音がした。次第に雨は強くなってゆき……。
Author: 馮進=文·写真 Year 2007 Issue 3 PDF HTML
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5. 鳥のように茶畑を俯瞰する
今までに何度も空中撮影をした経験はあるが、たった二人乗りのモーターグライダーで飛行するのは、今回が初めてだった。このモーターグライダーは、フランス製の三角翼で、空撮の必要があるとして、取材班が特別にトラックに載せて連れてきたものだ。茶園に響く茶摘歌最初に空撮を行ったのは、雲南省·思茅地区の大渡崗であった。ここには中国では最大級の一万ムー(一ムーは六·六六七アール)を超す茶畑がある。大渡崗に着いたと
Author: 馮進=文·写真 Year 2007 Issue 5 PDF HTML
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6. プーアル茶の都を探訪する
シーサンパンナを離れ、普洱(ブーアル)市に向かって北上した。まぶしい太陽が、切り立った山々から時おり顔を覗かせ、飛び跳ねる火の球のように私たちのあとをついてくる。平坦な高速道路が太陽に照らされ、銀色のリボンのごとく、くねくねと前方に延びていた。生産、交易の中心普洱市(二〇〇七年四月八日に思茅市から改名)は雲南省の南西部に位置する。面積は四万四千二百二十一平方キロメートルと、同省の市のなかでもっとも
Author: 馮進=文·写真 Year 2007 Issue 6 PDF HTML
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7. 馬宿が物語るキャラバンの昔
雲南とチベットを結ぶ数千キロに及ぶ茶馬古道は、長いあいだ雨風にさらされ、ほとんど残っていない。しかし、代々受け継がれてきたキャラバンの習わしや生活は、今でも物語のように民間に語り継がれている。四方八方に通じる道路網日も暮れかかり、思茅(現在の普洱(プーアル)市)での取材を終えた考察隊は、その地に宿泊することになった。夕食後の自由時間には、運転手たちは疲れも顧みず、車の点検や手入れに取り組んだ。翌朝
Author: 馮進=文·写真 Year 2007 Issue 7 PDF HTML
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8. 滇茶の交易市場―大理古城
下関の風 上関の花 風が花を撫でる 蒼山の雪 洱海の月 月が雪を照らす 大理の自然風景の神髄をつかんで賛美した言葉である。「風花雪月」の四文字は、大理古城と縁がある。
Author: 馮進=文·写真 Year 2007 Issue 8 PDF HTML
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9. 明代の舞台建築が残る沙渓古鎮
沙渓は、雲南·チベットルートの茶馬古道によって盛んになった古い町である。通りに面した商店や馬宿、「三房一照壁」(中庭の三方を建物が取り囲み、残りの一方は目隠しの土壁になっている)式のペー族(白族)民居および古い集落の入り口が、古い舞台と興教寺を中心とした古鎮を囲んでいる。悠久の歴史を有するこれらの素朴な建築群は、現在に至るまでほぼ完全にかつての様子をとどめている。
Author: 馮進=文·写真 Year 2007 Issue 9 PDF HTML
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10. 最盛期、一万の馬が通った麗江
世界文化遺産として日本人観光客にも人気が高い麗江古城。人口二万五千人のうちナシ族(納西族)が約六六%を占め、中国でもっとも完壁に保存されてきた古城の一つである。キャラバンを組んでチベットに向かっていた時代、ナシ族の人々は、人と馬とが共存する家こそ完全な家庭だと考え、馬の肉を食べず、馬の皮で作った衣類を身につけることもなかった。ナシ族のキャラバンの習わし剣川の沙渓古鎮を後にして、雲南·チベットルート
Author: 馮進=文·写真 Year 2007 Issue 10 PDF HTML