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Your search : [ author:比下 博] Total 59 Search Results,Processed in 0.176 second(s)
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1. 日本語教育の現場から
私はいま北京外国語学院の専家として日本語教育にあたっている。この大学に赴任したのは一九九一年の九月初めで、大学はちょうど新学期をむかえたばかりのときであった。かつて私は八四年から八六年にかけて南京大学の外文系(外国語学部)日本語科で教鞭を取ったことがあるので、中国で日本語の教師をつとめるのは今回が二度目ということになる。そこで、かつて南京における私の最初の教師経験をふりかえりながら、今回の北京での
Author: 比下 博 Year 1993 Issue 1 PDF HTML
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2. 統計に見る日本人の中国旅行 動機 印象 費用 世代
中国の観光事業が盛んになったのは八〇年代初めから。今年で八年になる。この間、国際観光事業はとくに大きな発展をとげた。統計によると、八一年の外国人観光者は延べ六十万人、八七年には延べ百七十二万人にのぼり、七年間で二·八六倍の伸びを見せた。外国人のなかでは日本人がトップを占める。八七年だけでも、日本の観光客は総旅行者数の三三·四%、次いでヨーロッパ人二一·二%、アメリカ人一八·三%と続く。では、日本人
Author: 経博 Year 1988 Issue 7 PDF HTML
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3. 中国の各地を見学して
中国人民対外文化協会の御厚意で約一カ月間にわたり、各地の人民公社、工場、文化施設など数多く見学させていただいたが、中国の社会主義建設の現状には、私の訪中前の中国にたいする理解や知識をはるかに越えたものがあり、六億五千万の中国人民の社会主義建設への意欲から言葉ではいいあらわすことの出来ない尊い感銘を得たことを先ず申し上げたい。各地で工場を見学した際、私は、労働者の一人一人が技術革新に真剣にとりくみ、
Author: 石橋博 Year 1960 Issue 8 PDF HTML
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4. 海を越えて
偉大な中国の同志·友人のみなさん 雑誌『人民中国』の十周年を祝いながら わたしは 毛沢東主席とみなさんに あつい感謝のあいさつを送ります遠い遠い 千二百年のむかし すばらしい芸術と経典とを積んだ 鑑真和上の 友情の船を 何ものもおしとどめえなかったようにどんな嵐も はばむことはできない どんな雲も とざすことはできない 中国人民と日本人民とをむすぶ 海を越えた
Author: 大島博光 Year 1963 Issue 8 PDF HTML
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5. 三千余年前の兵器、井戸、漆器の発見
地もとの人びとから提供された手がかりにもとづき、中国の文物·考古学関係者は河北省藁城県(ガオツエン)の台西村にある商代の遺跡を発掘した。三千余年前のこの商代の遺跡は、中国古代の文化、芸術、建築、医学·薬学などの研究に貴重な資料を提供した。鉄製の刃をもつ銅鉞の発見一九七二年十一月、河北省の省都―石家荘に近い藁城県の台西村にある人民公社の社員が、農作業中に、商代(約紀元前十六世紀~前十一世紀)の遺物を
Author: 冀文博 Year 1975 Issue 9 PDF HTML
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6. 私の一高時代
筆者紹介 浙江省上虞県出身、一九一五年一月生まれ。一九三四年秋に日本に留学、一九三五年春から一九三七年七月まで、旧制第一高等学校に在学した。かつて中日友好協会秘書長をつとめたことがあるが、現在は中日友好協会顧問、中国人民政治協商会議全国委員会委員。一九三四年の秋のことである。わたしは上海で日本船の「上海丸」に乗りこみ、神戸に着いた。そして三宮駅で今度は汽車に乗り換え、東京に向かった。その頃、昔の同
Author: 趙安博 Year 1981 Issue 9 PDF HTML
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7. 水を飲みんで源を思う語り伝えたい日本人のこと
昨年十一月、胡耀邦中国共産党中央委員会総書記は日本を訪問し、朝野各界の熱烈な歓迎を受けた。日本の少なからぬ知名人士が、現在、中日両国の関係がきわめて好調な時期を迎えたことを指摘している。胡総書記は中曽根首相との会談で、従来、中日関係の基本となってきた三原則を「平和友好、平等互恵、相互信頼、長期安定」の四原則に広げ、両国の関係をいっそう完全なものにすることに同意した。さらにまた、本年三月、中曽根首相
Author: 趙安博 Year 1984 Issue 8 PDF HTML
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8. 古生物化石の宝庫
不思議な「万巻の書」山東省臨朐県にある小さな村―山旺。地図の上では「山旺」と書かれているが、地もとの人びとは、この村を「万巻書(ワンジユワンシユー)」と呼びならわしている。“万巻(ばんかん)の書(しよ)”。なぜそんな呼び名があるのだろう。明·清代に編纂(さん)された『臨朐(りんく)県誌』に、こんな記載がある。「堯山から東南に五里(約二·五キロ)、俗に、山麓渓間には特別の産物ありと伝えられる。曰(い
Author: 孫博 陳耕 Year 1985 Issue 9 PDF HTML
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9. 日本人居留者の思い出
私は一九三四年上海同済大学高等部卒業後、日本の東京に留学しました。三七年七月七日抗日戦争が勃発し、二週間後私は急遽中国に帰国したのです。十月山西省五台県に赴き、王震将軍指揮下の八路軍第一二〇師団三五九旅団において対敵工作科長の任につき、対日本軍反戦宣伝、日本軍捕虜工作の責任者になりました。このあとも、一貫して対日工作に従事してきました。この十年ほどは脳血栓でからだが不自由になってしまいましたが、脳
Author: 趙安博 Year 1996 Issue 5 PDF HTML
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10. 心に残る三度の出会い
Author: 山本 博子 Year 2009 Issue 8 PDF HTML