Current Location: Home » Full Text Search
Your search : [ author:張 正] Total 694 Search Results,Processed in 0.127 second(s)
-
1. 大黒の死
え·高栄生狼を罰した大黒はぬれぎぬを着せられて……夏の夜。清く澄みわたった丸い月が空にかかっている。草原をずっと入ったところ、緑色のじゅうたんにちりばめられた十数の蒙古族の包。牛や羊は棚のなかに入り、牧畜民は安らかな眠りについている。草原の牧畜の村はことのほか静かだった。急に、犬が吠え出した。続いて、たくさんの犬が吠え出した。なにか起きたのか。バト老人は上着をひっかけて包から出ると、百メートル先の
Author: 張 正 Year 1992 Issue 7 PDF HTML
-
2. 新しくきた船長
一東中国海の沿岸に、金山湾という漁業生産大隊がある。この生産大隊は、毛沢東思想の偉大な赤旗を高くかかげ、出漁すればかならず大漁、年々増産という成績をおさめている。とりわけ、七一五号機帆船隊(二艘からなる)はこの生産大隊の模範船で、模範船もちまわりの赤旗は根をおろしたように、この機帆船のマストにひるがえりつづけているのだった。だが、秋の漁期がおわると、意外なことに、七一五号船隊は七一七号船隊より水あ
Author: 張道余 張正余 Year 1972 Issue 8 PDF HTML
-
4. 隋の竜蔵寺碑
北京から南へ二五〇キロほど行くと、河北省の正定県に着く。その県都正定には竜興寺、又は隆興寺、俗に大仏寺と呼ばれているお寺がある。このお寺には竜蔵寺碑という碑があり、中国の書道家たちの間ではよく知られている。この碑文を見ると、竜興寺が隋の開皇六年(紀元五八六年)に建立されたものであり、また竜興寺がもとは竜蔵寺と言っていたこともわかる。このお寺は歴代修築を重ねていて、境内には高さ三〇メートルを越える大
Author: 正甫 Year 1979 Issue 9 PDF HTML
-
5. “ガンマ探知器”で地下水をさぐる
故郷の妹からこんな便りが届いた。「にいさん、とうとうわたしたちの村でも地下水をさがしあてることができたんですよ。村民の誰もが、おいしい水を飲むことができるようになりました。あの汚なくてくさいたまり水を飲んだ時代は、もう過去のものになりました。……」なんと喜ばしい知らせだろう。わたしは、思わず手を打って、快哉を叫ばずにはいられなかった。わたしの故郷は中国の西南部、四川省の新津県普興人民公社の普興村で
Author: 正鳴 Year 1983 Issue 11 PDF HTML
-
6. 東崑崙の動植物
一九八五年十月、わたしは中米合同登山隊の顧問として、東崑崙(コンロン)の最高峰―木孜塔格(ムズタグ)山登山に参加した。この登山活動は、高山探検と己言うべきものであった。困難の度、行軍距離の長さ、珍しい野生動物との出会いは、おそらく中国の登山史上でもそう多くは見られない。胡楊 紅柳 沙棗ウルムチをあとに、コルラを経てチャルキリクへ向かった。車はすでに、小石を敷き詰めたようなゴビ灘(タン)を走っていた
Author: 周正 Year 1986 Issue 12 PDF HTML
-
7. 勞働者出身の大學生
十一年間労働者をしてきた朱國華君は、いま大学の二年生だ。晩の自習のべルがなると、大いそぎで自習室にはいり、腰をおろすのももどかしく教科書をめくり、ノートをとり出し、今日習つたばかりの複難な化学方程式の復習をはじめる。中國人民大学にはいつている多くの労働者や農民出の学生と同じように、血色もよく、身体もがつちりしているこの二十九歳の大学生は、正規の勉強といつては解放まえに六年間しかやつていない。十四の
Author: 解正中 Year 1954 Issue 6 PDF HTML
-
8. 河童じいさん
村の人たちから親しまれている『趙じいさん』はもう六十に近い。本名を趙阿水という。『趙じいさん』と呼ばれるようになつたのはつい最近のことである。趙阿水は若いころ、仲間のあいだでは『河童』というあだ名でとおつていた。が、年をとつてくると、村の若い連中にはどうも『河童』と呼びすてにするんでは具合が惡くなつてきた。そこで、一つには年上の者を尊敬するという意味から、一つには後輩のちんぴら『河童』と区別する意
Author: 李養正 Year 1955 Issue 7 PDF HTML
-
9. 水害地増城県を訪ねて
昨年の十一月、わたしは広東(クワントン)省の増城県(ツエンチヨン)をおとずれた。わたしにとつては三度目の訪問だつた。すみきつた東江(トンチヤン)が、綠の帶のように、しずかに県境を流れている。両岸は、見わたすかぎりの水田地帶だ。ずつしりと穗をたれて取入れを待つばかりになつた稲が、風にゆれながら、道行く人びとにうなずきかける。その稲の穗波のなかに、綠の木立にかこまれながら、まあたらしい二階建の住宅がず
Author: 杜導正 Year 1960 Issue 2 PDF HTML
-
10. 中国芸術界の革新にふれて
秋のきざしが見え始めた九月下旬に北京をおとずれてから、十二月の中旬、又会う日をお互いに誓いながら、このすばらしい国と暖かい友情をしめしてくれた人びととお別れするまでの三ヵ月間、私たちは沢山の事を学ぶことが出来ました。私たち松山バレエ団は、五〇名の編成で、「祇園祭」「赤い陣羽織」「白毛女」の一節、「日本囃(ばや)子」その他の作品を持ってまいりました。一九五八年の第一回訪中公演の際は、四六名で、演出の
Author: 清水正夫 Year 1965 Issue 1 PDF HTML