一九八五年十月、わたしは中米合同登山隊の顧問として、東崑崙(コンロン)の最高峰―木孜塔格(ムズタグ)山登山に参加した。この登山活動は、高山探検と己言うべきものであった。困難の度、行軍距離の長さ、珍しい野生動物との出会いは、おそらく中国の登山史上でもそう多くは見られない。胡楊 紅柳 沙棗ウルムチをあとに、コルラを経てチャルキリクへ向かった。車はすでに、小石を敷き詰めたようなゴビ灘(タン)を走っていた...
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一九八五年十月、わたしは中米合同登山隊の顧問として、東崑崙(コンロン)の最高峰―木孜塔格(ムズタグ)山登山に参加した。この登山活動は、高山探検と己言うべきものであった。困難の度、行軍距離の長さ、珍しい野生動物との出会いは、おそらく中国の登山史上でもそう多くは見られない。胡楊 紅柳 沙棗ウルムチをあとに、コルラを経てチャルキリクへ向かった。車はすでに、小石を敷き詰めたようなゴビ灘(タン)を走っていた...