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Your search : [ author:清水正夫] Total 5 Search Results,Processed in 0.088 second(s)
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1. 中国芸術界の革新にふれて
秋のきざしが見え始めた九月下旬に北京をおとずれてから、十二月の中旬、又会う日をお互いに誓いながら、このすばらしい国と暖かい友情をしめしてくれた人びととお別れするまでの三ヵ月間、私たちは沢山の事を学ぶことが出来ました。私たち松山バレエ団は、五〇名の編成で、「祇園祭」「赤い陣羽織」「白毛女」の一節、「日本囃(ばや)子」その他の作品を持ってまいりました。一九五八年の第一回訪中公演の際は、四六名で、演出の
Author: 清水正夫 Year 1965 Issue 1 PDF HTML
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2. 上海舞劇団の友人とすごした日び
中国から舞劇団が来る!日中友好と両国の国交回復を願う多くの日本の人びとはその日を指おりかぞえて待った。やがて七月十日、二〇八名からなる上海舞劇団員は薄いグレーの服に身をつつみ、さっそうと羽田空港におりたった。それから三十数日、日本の労働者、農民、市民、学生、文芸、政、財各界の多くの人びとは、上海舞劇団の活動に目をみはり、やがて大波のような感動をひろげていった。上海舞踊学校が江青女史の指導によりバレ
Author: 清水正夫 Year 1972 Issue 11 PDF HTML
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3. 紅衛兵はわたしたちの本当の戦友です
わたしは若いバレエ団員たちと北京で第一七回国慶節に参加してから、紅衛兵の若者たちと約四〇日間、西安、延安、上海、蘇州、長沙、韶山、広州と見学旅行をしました。今回は五度目の訪中ですが、史上かつてないプロレタリア文化大革命の高揚期に旅行して何よりも尊い経験をしました。今度の中国訪問では、バレエ団や歌舞劇院、各種学校、人民公社、工場、博物館などの見学とともに中国革命の史跡を回りました。公演旅行とちがって
Author: 松山バレエ団団長 清水正夫 Year 1967 Issue 5 PDF HTML
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4. 中国卓球代表団の訪日と文化大革命の勝利
プロ文革中、日本のマスコミは一部をのぞき正確な事実を伝えなかったばかりでなく、故意にこれをねじ曲げて報道したため、多くの日本人民はプロ文革の意義を正しく理解することが不充分であった。とはいえ、あらゆる困難にうち勝って日中両国人民の戦闘的友誼のために努力した人びともたくさんいた。このために日中両国人民の友好を願い国交回復を望む人びとは非常に多い。その日本人民に中国卓球代表団は新たに勇気をあたえ、たが
Author: 日本中国文化交流協会常任理事·松山バレエ団団長 清水正夫 Year 1971 Issue 7 PDF HTML
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5. 延安精神万歳!
一九六五年六月、私が丁度延安を訪れていた時、中国人民解放軍は階級章を廃止して、長征のころの労農赤軍の懐かしい赤い襟章だけの姿になった。この時の感激を今も忘れることは出来ない。一九六六年十月、再び延安を訪れた。当時、旧北京市委員会、旧文化部、旧宣伝部の黒い一味はすでにつまみ出され、プロ文革の高まりが嵐のように燃え上がった時だった。紅衛兵が革命の聖地延安をめざして西安から山や谷を越え、続々と歩いていた
Author: 日本中国文化交流協会常任理事松山バレエ団団長 清水正夫 Year 1972 Issue 5 PDF HTML