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Your search : [ author:語り手 劉鳳祥
え 李玉紅] Total 916 Search Results,Processed in 0.076 second(s)
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891. 欧陽海の歌抄訳〈第2回〉
一九四九年の冬、老鴉窩(ラオヤーウオ)に天地をくつがえすような変化がおこった。それは、解放軍の部隊がこの山にやってきたので、地主の劉大斗(リユウタートウ)や匪賊の頭目たちが手下どもをつれて村から逃げだしたことである。暖かい太陽が大空にかがやき、老鴉窩をおおっていた雪もすっかり消え去った。あたりの山山も白い衣装をぬぎすて、見わたすかぎりの緑をあらわした。山の頂から見下ろすと、段々畑がかさなり、村落が
Author: 金敬邁(チンチンマイ) え·董辰生(トンチエンシエン) Year 1966 Issue 6 PDF HTML
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892. 地下病院
無一物からはじめる一九四〇年の一〇月、河北(ホーペイ)省に新しくできた献(シエン)(県)交(チヤオ)(河(ホー))県で県大隊の成立大会が催された。その大会でわたしは大隊付の医師に任命された。ある日、宋(ソン)大隊長によばれて大隊本部へ行った。大隊長はわたしと向かいあって坐ると、すぐに用件を切り出した。「敵の『掃討』は今後いっそう激しくなるはずだ。われわれの任務もきびしくなって、移動もひんぱんになる
Author: 楊国藩(ヤンクオフアン) え·翁乃強(ウオンナイチヤン) Year 1966 Issue 6 PDF HTML
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893. 欧陽海の歌
戦闘はよぶ新兵を満載した列車は、楽しい笑い声と歌声とともに北京(ペイチン)―広州(クワンチヨウ)鉄道を一路南へとひた走りに走ってゆく。新兵欧陽海(オウヤンハイ)は、窓ぎわに坐って、分隊長の陳永林(チエンユンリン)にあれこれとたずねた。「分隊長、おれたちは、いったいどこへむかって進んでいるんですか?」「前方さ!」「そりゃあそうです。なんというところにゆくのか、ときいているんですよ」「それは……」陳永
Author: 金敬邁(チンチンマイ) え·董辰生(トンチエンシエン) Year 1966 Issue 7 PDF HTML
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894. 人民公社で会った三人のおじさん
「何はさておき、毛主席の著作をまなぶのが第一だ。どんな困難にぶつかっても、毛沢東(マオツオトン)思想を身につけていれば突破できる」わたしたちは「五好(ウーハオ)」を目標とする、くらべ、学び、追いつき、助け合い、追いこす運動のなかで、つねに高い目標をかかげ、社会主義の新しい村づくりにすぐれた成績をあげるには、まず毛沢東思想に教えをこわなければならない。県の農林局に勤務している技術員·杜樹清(トーシユ
Author: 閻可華(イエンコーホワ) え·沈延太(シエンイエンタイ) Year 1966 Issue 7 PDF HTML
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895. 欧陽海の歌
大きな赤い花土曜日の午後、共産党と共産主義青年団の活動が終わると、クラブはたちまちにぎやかな空気に包まれた。部隊が正式の工事にとりかかると、目標はつぎつぎに達成されていった。全中隊の意気をさらにあげるために、中隊ではドラや太鼓で「表彰の夕べ」の準備におおわらわだった。大きな赤い花をつくるもの、出し物の練習をするもの。文化娯楽委員の小黄(シヤオホワン)は竹の拍子木をたたきながら、桓根にむかって快板(
Author: 金敬適(チンチンマイ) え·董辰生(トンチエンシエン) Year 1966 Issue 9 PDF HTML
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896. 平型関の戦い
一九三七年九二五日、中国共産党の指導する八路軍[注释1]第一一五師団は、山西省繁峙県(シヤンシーファンチイ)東北の平型関(ピンシンクワン)付近で日本軍三〇〇〇余人をせん滅した。これは、中国人民が毛沢東(マオツオトン)主席の政治、軍事路線にしたがって、抗日戦争(一九三七~一九四五年)でかちとった最初の大きな軍事上の勝利で、日本軍はうち破ることはできない、という神話を打破したものである。軍用列車は、ご
Author: 李天佑(リーテンユウ) え·翁乃強(ウオンナイチヤン) Year 1966 Issue 9 PDF HTML
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897. 欧陽海の歌
小さな猛者来陽河(ライヤンホー)のみどりの水は、岸辺の水車をとどめることなくまわしている。時はうずまく河水とともに流れ、六十年代の最初の春をむかえた。柳の芽はいまだにもえず、大地の寒さも消えていない。欧陽海(オウヤンハイ)は訓練隊で五項目に“優秀五点”という成績をあげて、中隊に帰ってきた。中隊は自分の家のようなもので、長いこといるとよそに出てみたくなるが、ひとたびそこをはなれると、心からなつかしく
Author: 金敬邁(チンチンマイ) え·董辰生(トンチエンシエン) Year 1966 Issue 10 PDF HTML
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898. 〈凌雪梅〉という娘さん
わたしが働いている自動車工場で、この春、こんなことがありました。そのころ、わたしはそれまでの職場から工場管理の事務室の方へまわされました。担当の仕事は、タイプをした文書の校正と外部から工場に用事があって訪ねてきた人に面接することです。わたしがはじめて面接したのは、わたしたちの工場の婦人労働者の凌雪梅(リンシユエメイ)という若い婦人労働者に「お礼をいってほしい」といってきたあるお客さんでした。その人
Author: 于世河(ユイシーホー) え·沈延太(シエンイエンタイ) Year 1966 Issue 10 PDF HTML
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899. わたしは毛主席に赤い腕章をつけてあげた
八月一八日、天安門(テンアン)の城楼のうえで、わたしは心の底から敬愛する指導者毛沢東(マオツオトン)主席にお会いすることができました。わたしはとても感激しました。そのときわたしは、大会を司会していた同志に、わたしたち「紅衛兵」の毛主席にたいするこの上ない信頼とこの上ない熱愛をしめすために、毛主席に赤い腕章をさしあげたいとたのみました。すると、その同志はわたしを毛主席のそばへつれていってくださいまし
Author: 宋要武(ソンヤオウー)(まえの名は宋彬彬(ソンピンピン)) Year 1966 Issue 11 PDF HTML
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900. 欧陽海の歌〈第7回〉
よく鳴る太鼓にも重いばちがいる省の方で民兵積極分子の代表大会がひらかれることになったので、優秀な分隊長を会議に出して民兵の代表に銃剣術の模範試合をみせるようにと、上級から第三中隊に指示があった。共産党支部委員会では、この問題を検討した。支部委員の多数が、欧陽海(オウヤンハイ)を推選した。銃剣術は中隊一だし、戦術、射撃、手榴弾投げ、体育なども、分隊長のなかで一、二を競っている。だが、いちぶの支部委員
Author: 金敬邁(チンチンマイ) え·董辰生(トンチエンシエン) Year 1966 Issue 11 PDF HTML