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Your search : [ author:本誌 池倩] Total 981 Search Results,Processed in 0.118 second(s)
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891. 劉徳有さん わたしと日本
とき:1986年11月 ところ:本誌編集長室劉徳有(りゅうとくゆう)(リュウドゥヨウ) 中国文化省次官、中日友好21世紀委員会中国側委員、中国翻訳工作者協会副会長、中国国際交流協会理事。 1931年、大連の生まれ。1952年に上京、『人民中国』誌編集部に勤務。1964年から1978年まで、『光明日報』駐日記者、新華通信社首席駐日記者として日本に滞在。 著書に、『日本探索十五年』(原著名は『在日本十
Author: 聞き手 本誌編集長 車慕奇 Year 1987 Issue 1 PDF HTML
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892. 任仲英さん 北京飯店とともに60年
とき 1986年11月20日 ところ 北京飯店接客室任仲英(にんちゅうえい)(レンズオンイン)さん 1912年、天津の生まれ。北京に移り、1920年、北京北池子小学に入学。1927、北京飯店に雇われメッセンジャー·ボーイに。給料なし、チップだけ、という文字通りの“こづかい”だった。31年、客室係に。46年から2年間、エレベーター·ボーイ。48年には館内電話の交換手をつとめ、1949年からは、ずっと
Author: 聞き手 本誌編集長 車慕奇 Year 1987 Issue 4 PDF HTML
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893. 啓功さん 書はムズかしくない
とき 1987年4月10日 ところ 紹興市蘭亭右軍祠―先生は北京にお住まいですから、お宅をたずねればすぐにもお会いできる、そう考えてらっしゃる方が多いようですね。どっこい、そうは参らない。超多忙とでもいうのでしょうか、揮毫をお願いする人があまりにも多い。そこで、「蘭亭 曲水の宴」のこの好機をのがしてはならじ、と北京から追いかけてまいった次第です。啓功 それはご足労をおかけしました。実際忙しくて、老
Author: 聞き手 本誌副編集長 邱南英 Year 1987 Issue 7 PDF HTML
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894. 孫平化さん民間交流三十五年
とき 1987年6月19日 ところ 中日友好協会孫平化(そんへいか)(スンピンホワ) 1917年、遼寧省の生まれ。1939年春、東京工業大学付属予備部に入学。1943年、東京工業大学を中退して帰国。
Author: 聞き手 本誌副編集長 安淑渠 Year 1987 Issue 9 PDF HTML
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895. 岡崎嘉平太さん 90歳を北京で迎えて
とき 1987年6月12日 ところ 北京飯店岡崎嘉平太(おかざきかへいた)さん 1897年(明治30年)、岡山の生まれ。 1922年3月東京帝国大学法学部卒業、同年4月日本銀行入行。1939年5月より日本銀行参事、上海華興商業銀行理事、大東亜省参事官、駐上海大使館参事官、池県鉄工(株)取締役社長、丸善石油(株)取締役社長、貯蓄増強中央委員会会長、全日本空輸(株)代表取締役社長、日中総合貿易連絡協議
Author: 聞き手 本誌副編集長 安淑渠 Year 1987 Issue 10 PDF HTML
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896. 宗貴さん 若い世代の友好をになって
とき 1987年8月16日 ところ 燕翔飯店―今回は総勢三百人の大代表団の団長として訪中され、立派に大任を果たされましたね。宗
Author: 聞き手 本誌副編集長 安淑渠 Year 1987 Issue 12 PDF HTML
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897. 馬林さん 磁器彫刻にかける
馬林(ばりん)(マーリン) 1937年生まれ。原籍は山東省。1960年、山東省師範学院芸術学部卒業。淄博陶磁器工場に務め、工芸美術師に。中国伝統の国画技術を金石彫刻に生かして磁器彫刻に新しい分野を開拓、名人·名士の肖像や名画を磁器皿に彫り込む「磁彫」の第一人者になる 天皇皇后、故大平首相、レーガン大統領夫妻、サッチャー夫人、ネパール国王、タイ国王などの肖像は真に迫り、話題をさらった。求めに応じて彫
Author: 聞き手 本誌副編集長 邱南英 Year 1988 Issue 3 PDF HTML
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898. 園田光光さん 憧れのナツメの郷(くに)
とき 1988年3月4日 ところ 北京華都飯店―はじめまして。先生のお名前は前々から存じ上げていましたが、何とお読みするのかと思っていました。いまいただいたお名刺には振り仮名がついています。天光光(てんこうこう)さんなんですね。園田天光光(そのだてんこうこう) 1919年(大正8年)、東京に生まれる。 1940年、東京女子大学英語専攻部卒業。1942年、早稲田大学法学部卒業。 1945年10月、餓
Author: 聞き手 本誌副編集長 安淑渠 Year 1988 Issue 6 PDF HTML
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899. 訪日第一回目の大さわぎ
大学を出てすぐに『人民中国』雑誌社へ。翻訳部で二十年近くも日本語を相手に“奮闘”してきたにもかかわらず、初めての訪日は、わたしにとって戸惑いの連続だった。一九八一年の六月、わたしはほかの三人と共に中国教育部の派遣で、愛知大学に一年間の留学をすることになったのである。成田空港に降り立ったわたしは、それこそ全身を耳と目にしたような、そんな緊張感で通関の列に立ったものである。突然、「はるさん」とわたしを
Author: 本誌日本語編集部副部長 李恵春 Year 1988 Issue 7 PDF HTML
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900. 6年ぶりの東京
八年前、わたしは研修生として、二年間日本に住んでいました。六年後、今度は『人民中国』の特派員として、また東京に来ています。六年ぶりの東京は、いろいろな面で変化を感じさせてくれます。女性のわたしがまず気づくのは、どうしても日本の女性のファッションです。八〇年代はじめに、みなさんが着ているツーピースはぴっちりしたものが多かったようですが、いまはゆったりしたものが目立っています。とくに、若い女性には、長
Author: 本誌駐東京特派員·李恵春 Year 1990 Issue 1 PDF HTML