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Your search : [ author:写真·文 魯忠民] Total 867 Search Results,Processed in 0.097 second(s)
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861. 瑞洪の鵜飼い漁
呉城(ウーチョン)を去り、わたしは鄱陽湖(ポーヤンフー)の南にある余干(ユーカン)県瑞洪(ルイホン)鎮にやってきた。余干は約二千二百年前の秦(しん)の始皇帝(しこうてい)の治世二十六年(前二二一年)に設けられた歴史の古い県だ。また元(げん)代の至正二十年(一三六四年)、明(みん)王朝の初代皇帝となる朱元璋(しゅげんしょう)は、この地で群雄の一人陳友諒(ちんゆうりょう)に決戦を挑み、これに勝利して明
Author: 写真·文 劉世昭(りつじーシャオ) Year 1998 Issue 10 PDF HTML
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862. 古い舞台が残る楽平
鄱陽(ホーヤン)湖の西にある楽平(ローヒン)市は古い歴史を持つ地方劇「贛劇(カンチュー)」の発祥地。千二百の村落に、今もなお合わせて二百四十もの古い舞台が完全な形で残っている。明(みん)代から清(しん)代(一三六八~一九一一年)にかけて造られたものだ。楽平の古い舞台は、「晴雨台」「会館台」「宅院台」「祠堂台」「万年台」に分かれるが、はっきりした区別があるわけではない。村人は舞台を傷付けないように、
Author: 写真·文 劉世昭(リウシーチャオ) Year 1998 Issue 11 PDF HTML
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863. 湖水が長江に流れ込む湖口県
わたしたちの鄱陽湖(ホーヤンフー)を巡る旅の終わる湖の最北端、湖口(フーコウ)県は、湖水が長江に流れ込む所である。湖口に来て石鐘(シーチョン)山に足を向けない旅人はいないだろう。大河と湖の美しい眺めを一目で見わたす石鐘山は、千年も昔から名だたる観光名所だった。歴代、作家や芸術家、皇帝や政治家たちが大勢訪れている。その中には古くは晋(しん)代の文学者陶淵明(とうえんめい)、北魏(ほくぎ)の地理学者酈
Author: 写真·文 劉世昭(リウシーチャオ) Year 1998 Issue 12 PDF HTML
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864. 華僑の歴史ドラマ語る望楼たち
広州市から国道を南西に二百キロ、華僑の故郷として知られる開平市に入る。到着と同時に、訪れた人は田園風景のなかに現れる奇妙な建築群にたちまち魅きつけられるだろう。壮麗な欧米式の建物は異様に目立ち、何か歴史的ドラマの存在を感じさせる……。こうした建物の歴史は、清朝初期までに遡る。当時の開平は低地のため繰り返し洪水の被害に遭い、村人達は次第に家を三、四階建てにするようになった。それらの大部分は土、ごく一
Author: 企画·俞長安 写真 文·郭実 協力·黄奕強 Year 2001 Issue 2 PDF HTML
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865. 平和をねがう煙の祝祭
私たちは昨年八月四日(旧暦六月十五日)、青海省の省都·西寧市から約百八十キロ離れた隆務鎮(黄南チベット族自治州同仁県)を訪ねた。ここには、シャーマニズムとチベット仏教の両方の影響を受けて、千年以上も継承されてきた「六月会」というお祭りがある。六月会の由来には二つの言い伝えがある。ひとつは、こんな伝説だ。はるか昔、隆務鎮には人に危害を加える多くの猛獣が棲息していた。その後、インドから飛来したオオトリ
Author: 写真 文·紅杏 張臣(ともに天像視業) Year 2002 Issue 4 PDF HTML
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866. 南京の今昔を現地に見る
南京は江蘇省の省都。広大な長江下流域平原にあり、「黄金水道」長江が市内をゆったりと流れる。市街区は947平方キロ。人口260万。中国六大古都の一つである。紀元前472年、戦国時代越の国王勾践が呉を滅ぼした後、最初の城壁を築いた。以来2467年の歴史は、古都文化の光輝と共に、50余年前世界を震かんさせた大惨劇―南京大虐殺を記した。1937年12月、日本侵略軍が南京を占領、武器を捨てた国民党軍将兵と一
Author: 写真 劉大健 王徳英 魯忠民 資料提供 中国侵略日本軍南京 大虐殺受難記念館 Year 1995 Issue 8 PDF HTML