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Your search : [ author:語り手 劉鳳祥
え 李玉紅] Total 916 Search Results,Processed in 0.089 second(s)
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851. 中隊にはじめて党の組織をつくった毛委員
秋収蜂起(本誌第一一月号「革命の思い出」参照)軍が瀘溪(ルーシー)の戦闘で挫折にあうと、部隊は沈んだ気分につつまれた。知識分子や旧軍隊の将校出の多くは蜂起が失敗したと判断して、つぎつぎに姿を消していった。小ブル出身の共産党員のなかにも革命にみきりをつけ、寝返りをうつか、消極的になるものがいた。第一大隊第一中隊の一個小隊が小隊長にひきいられ、歩哨に立った機会を利用し、武器をたずさえて逃亡した。こうし
Author: 頼毅(ライイー) え·潘世勛(パンシーシユン) Year 1966 Issue 12 PDF HTML
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852. おばあさんて解放軍の兵士
見わたすかぎり雲ひとつなくよく晴れた日曜日だった。解放軍某部隊の王(ワン)通信兵は、さっきから井戸端で洗濯をしていた。ふと見ると、一人のおばあさんが門をはいってこちらへやってくる。右手で男の子の手をひき、左手にかごをさげた六〇がらみのお年寄りである。おばあさんは歩きながらあっちを見たり、こっちを見たりしている。兵士にであうと、頭の先からつま先までまじまじと眺めている。王通信兵はおばあさんのようすを
Author: 沈鴻志(シエンホンチー) え·言泰(イエンタイ) Year 1966 Issue 12 PDF HTML
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853. 三度目の入学
一朝日が窓からきしこんでいる。機械学部の職員室では、党総支部書記の洪剛が分厚い労働者、農民、兵士出の新入生の登記表を手にとってじっと見入っていた。かれは喜びをおきえきれないらしく、ほっそりとした顔にほほえみがうかぶ。とつぜん、かれは目をみはった。趙平江、この名にはおぼえがある。写真を見ると、三十をでたばかりで、きりっとした眉、まじめな顔、するどい瞳がなにものも恐れない意志と気迫を物語っている。かれ
Author: 上海盧湾区労働者創作学習班 盧朝暉 え·厳国基 Year 1971 Issue 8 PDF HTML
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854. 偉大な革命家、思想家、文学者魯迅
(カラー参照)(一)真理を求めて魯迅は、一八八一年、浙江省の紹興で生まれた。当時は、帝国主義列強の侵略と清朝政府の恥知らずな売国政策のため、中国は一歩一歩半植民地、半封建の悲惨な状態に陥っていった。一八九八年、魯迅は、はげしい愛国心と真理への追究を胸に、南京で学問をおさめるため故郷を離れた。(二)我は我が血を以て軒轅に薦めん」一九〇二年魯迅は日本に留学してから、清朝売国政府の打倒をめざす革命運動に
Author: 文·沈欣 鍾秀達 馬立 え·鄭毓敏 潘鴻海 顧盼 Year 1974 Issue 9 PDF HTML
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855. 漢方薬麻酔の物語
中国における漢方薬麻酔は長い歴史をもっている。古代の史書、医書、薬学書、小説には、漢方薬を用いて麻酔、覚醒および筋肉を弛緩させた興味のある話が数多くみられる。胸部を切開して病気をなおした扁鵲紀元前五世紀のころ、中国に扁鵲(へんしやく)という有名な医者がいた。かれは医術に精通するほか、外科手術にも通じていた。ある日、魯公扈と趙斉嬰が病気にかかり、扁鵲のもとにやってきた。扁鵲は、診察したあとで、手術を
Author: 徐州医学院漢方医学教学研究組 郝樸え·范曾 Year 1975 Issue 4 PDF HTML
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856. 諸葛亮
諸葛亮(ヅウグオリヤン)(しょかつりょう)は字(あざな)を孔明といい、瑯琊(ランシエ)郡陽都(現在の山東省沂水(イーソエイ)県)の人で、一八一年に生れ、二三四年に没した。後漢(二五~二二〇年)の末期、政治の腐敗はその極にたっし、天下はた動乱の様相を呈していた。軍閥間の混戦、土地の兼併の激化、農民にたいするはげしい収奪、苛酷な労役などによって、地主階級と農民の間の階級矛盾はいっそう尖鋭化した。そのた
Author: 北京人民印刷所労働者理論グループ え·范曾 Year 1975 Issue 7 PDF HTML
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857. 唐代の進歩的思想家·政治家·文学者 柳宗元
柳宗元(七七三~八一九年)は字(ふざな)を子厚といい、河東(現在の山西省永済県)の人。そのため、人びとはかれを柳河東と呼んだ。かれは、唐代における地主階級の進歩的な思想家·政治家·文学者としてその名を知られる。かれは、革新を主張する政治集団にくわわったが、革新運動が失敗すると、永州(現在の湖南省零陵)の司馬(地方官)に、ついで柳州(現在の広西チワン族自治区の柳州市)の刺史に左遷され、その地で没した
Author: 北京人民印刷所労働者理論グループ え·范曾 Year 1975 Issue 8 PDF HTML
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858. 明末清初の唯物論思想家 王夫之
王夫之(一六一九~一六九二年)は字を而農(じのう)といい、薑斎(きようさい)と号した。湖南省衡陽の出身で、明代の末から清代の初めにかけて活躍した有名な唯物論の思想家である。明代(一三六八~一六四四年)の末期は、中国史上における大動乱期であった。一六四四年三月、李自成のひきいる農民蜂起軍は、明朝の封建支配をくつがえして、大順政権を樹立した。この年の五月、明朝の大官僚の一部の者と北方の満州族貴族は手を
Author: 北京人民印刷所労働者理論グループ え·范曾 Year 1975 Issue 12 PDF HTML
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859. 白嘎拉(バイガーラ)山の怪獣退治
大興安嶺にある白嘎拉(バイガーラ)山の麓は、むかし、猟にもってこいのところでした。ところが、そこには猩々(しょうじょう)に似た瑪猊(マーニイ)[注释1]というでっかい怪物が住んでいて、往来する人間を片っぱしから食ってしまうといわれ、オロチョン族の狩人も近づこうとはしませんでした。だが、そんなうわさに耳を傾けない老夫婦がいました。ふたりは毎日弓矢をもって白嘎拉山へ猟にいきました。たしかに、山はそびえ
Author: 口述·モンチャンチーエン 整理·古蘭 え·楊永青 Year 1979 Issue 8 PDF HTML
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860. 「活仏」
「活仏」になってしまったおさな友だち。人はなぜ偶像を作りだすのか?……蒙古族の作家がしみじみとつづる回想的小品。私の故郷はパイインホト村といって、私たちの旗[注释1]の首長、王爺の屋敷があった。私がその村で過した幼年時代―それは、遠くおぼろにかすんだ神秘的な色彩におおわれて、なつかしく私をひきつける。隣の家は、トクスというラマ僧[注释2]だった。ラマ僧は結婚してはならないはずだが、トクスには妻も子
Author: マラチンフ(蒙古族の作家、瑪拉沁夫) え·古 干 Year 1980 Issue 11 PDF HTML