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Your search : [ author:丘桓興=文 魯忠民=写真] Total 133 Search Results,Processed in 0.093 second(s)
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71. 神やどる橋のある暮らし
授業が終わり、帰宅してカバンを置くと、水牛を河へ水浴びに連れて行った。夏から秋にかけての毎日の日課であった。水牛が水浴びをしている間は、友だちとともに、傍らにある木橋の上で遊んだものだ。村を流れる渓峰河には、合わせて六本の橋があった。遊んだ橋は、アーチが二つある木橋である。高さは約五メートル。全郷一の高さをほこり、「高高橋」と呼ばれていた。橋床の板は(前と後ろで)長さが異なり、短い方は五メートル、
Author: 丘桓興=文·写真 Year 2004 Issue 5 PDF HTML
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72. 辛くも楽しい深田の思い出
少年時代のこと、母に連れられて「弓背坑」と呼ばれる湖洋田(深田)へ行った。田に埋め込んだ松を足場として立ち、田植えをした辛さが今も忘れられない。湖洋田は、山坑田(山間の水田)の一種である。湧き水の源にあり、年中、水浸しになっていた。水の冷たい泥湿地であり、底が深く、湖や洋(うみ)を思わせる。そのため「湖洋田」と名づけられていた。深さは一メートルほどだが、水源あたりの田などは深さが二メートルに達する
Author: 丘桓興=文·写真 Year 2004 Issue 6 PDF HTML
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73. 愛に支えられた中学受験
一九五三年六月、小学校の卒業式で、私たち同級生四十数人は講堂(元の保慶寺の仏堂)におごそかに立ち、李仕俊校長の激励のあいさつを聞いていた。「みなさん、これからはよく復習をして、中学校に進学するよう励んでください」。(当時は、九年制義務教育がまだ普及していなかったからだが)、つづいて李校長から卒業証書が手渡され、卒業式は幕を閉じた。その後、まもなくして中学入試を迎えた。藍坊郷の生徒はもともと、県庁所
Author: 丘桓興=文·写真 Year 2004 Issue 7 PDF HTML
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74. 貧しき中に温もりのある寮生活
一九五三年九月、広東省·高思郷にある「高思僑興中学」(略称·僑中)の入学日に、私たち四人の同級生は連れだって行った。私は、かつて母の嫁入り道具だった大きな赤いトランクをもらい、そこに必需品を詰め込んだ。しかし、まだ空きがあったので、いとこの丘梅興の小さなトランクもそこに入れた。そして、この大きなトランクを縄を使って竹ざおに組み、梅興と二人で担いで向かった。いとこの福蓮がそれを見るなり、「二人して赤
Author: 丘桓興=文·写真 Year 2004 Issue 8 PDF HTML
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75. 楽しかった藪の中での勉強
広東省蕉嶺県高思にある「僑興中学」での三年間は、ずっと「回」字形の校舎の南東隅にある大教室で授業を受けた。そこはどこの教室より明るく、最も暖かい教室であった。当時わたしは、背が低かったので、いつも最前列に座っていたため、一生懸命に授業を聞いた。先生が質問するたびに、すぐに手を挙げて、先を争って答え、よく褒められた。わたしは教科書以外の課外読物が好きだった。授業が終わるベルが鳴ると、教室を飛び出し、
Author: 丘桓興=文·写真 Year 2004 Issue 9 PDF HTML
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76. 二次葬の塚が見守る課外活動
広東省·高思郷の「僑興中学」での暮らしは辛かったけれど、課外活動はとても楽しく、活発だった。朝六時起床。身じたくを整えると、東の山の坂下にあるバスケットボール·コートへ急いで向かった。朝の体操をするためだ。不思議なことに、体育の黄国椿先生はコートの北側にある墓の上に立って体操をするのだった。客家人には「二次葬」をする習慣がある。人が亡くなり土葬してから四、五年後、その身内の者が棺(ひつぎ)を開いて
Author: 丘桓興=文·写真 Year 2004 Issue 10 PDF HTML
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77. 妖怪? ハクビシンを退治する
昨春、中国の一部で新型肺炎SARSが発生した。感染源を追究すると、ハクビシンが元凶の一つではないかと言われた。ハクビシンといえば、私は少年時代のあるできごとを思い出す。一九五三年秋、広東省·高思郷の「僑興中学」に入学したころのことだ。ある晩、教師がいつものように笛を吹き、消灯になった。同室になった数人のクラスメートとベッドに寝転び、おしゃべりを楽しんでいた。そのとき突然、東の山すそにある墓地から、
Author: 丘桓興=文·写真 Year 2004 Issue 11 PDF HTML
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78. 師の恩情は山のごとく重し
師を敬い、教えを重んずるのが客家(はっか)人だ。幼いころの私は、教師の教えと愛情をタップリと注がれた。当時のことを思い起こせば、まさに「師の恩情は山のように重い」。そう強く実感している。一九五三年、広東省の「僑興中学」に入学したばかりのころ、私はよくマラリアの発作を起こした。患ったときには、一日おきに悪寒や発熱に見舞われた。ある日の午前、授業中にまた寒気がして、ブルブルと震えだした。教師は私に「宿
Author: 丘桓興=文·写真 Year 2004 Issue 12 PDF HTML
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79. 符号で暮らしを歌い継ぐ
貴州省の東部、鎮遠県の?陽河から上流へ約五十キロの地点に、同省の漢方薬材の基地―施秉(しへい)県がある。ミャオ族が主に居住している。ミャオ族は歌や踊りに長けていて、新年や祭日をはじめ、宴を開いたり、家を建てたりする際に、歌を歌って祝うのだ。とくに婚礼の時になると、双方の歌の師匠が古代の婚礼習俗を伝える「開親歌」を披露する。歌をもって返答し、三日三晩歌い続ける人もいる。歌の師匠の「ノート·パソコン」
Author: 丘桓興=文·写真 Year 2003 Issue 3 PDF HTML
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80. 梵浄山―神秘の原始林をいだいて
鳥居龍蔵博士(一八七〇~一九五三年)は、日本の著名な人類学者であり、考古学者である。徳島県に生まれ、一九〇二年七月には、調査のために新妻を日本に残して、中国の西南地方に赴いた。過酷な旅をものともせずに、貴州省少数民族の村にわけ入り、貴重な写真を数多く撮影。『苗(ミャオ)族調査報告』などの著書を世に出した。博士の視察から百年―。我々は彼の足取りをたどりながら、貴州のいまを取材した。平原のない省百年前
Author: 丘桓興=文 馮進=写真 Year 2003 Issue 1 PDF HTML