Current Location: Home » Full Text Search
Your search : [ author:島影 均 題字·中野北] Total 76 Search Results,Processed in 0.117 second(s)
-
61. 「私の裏庭」北海公園
Author: 島影均=文·写真 中野北溟=題字 Year 2011 Issue 9 PDF HTML
-
62. 瀋陽で歴史にひたる
Author: 島影均=文·写真 中野北溟=題字 Year 2011 Issue 10 PDF HTML
-
63. アメリカ帝国主義に毒された青春
―愛国女性のはずであったわたしは、ミッション·スクールの才華とうたわれながら、しらずしらずアメリカ帝国主義のとりことなっていた。わたしはいつも教え子たちから、感情にあふれた手紙をもらっている。そういう手紙の中から、わが国の建設の各職場にはたらいている人びとの躍進のいぶきを感じとることができる。一教師として、光栄なことである。「わたしたちは毛沢東(マオツオートン)時代の青年です。わたしたちは自己のす
Author: 徐尚均 Year 1962 Issue 5 PDF HTML
-
64. チワン文字の誕生
さきごろ、わたしはチワン(僮)族の文字でしたためた手紙をうけとつた。これは、廣西(こうせい)(クワンシー)省邕寧(ゆうねい)(ユンニン)縣で農業にたずさわつている楊玉芬(ようぎよくふん)(ヤン·ユイフエン)さんというチワン族の婦人からのものである。「三年まえお目にかかつたころは、一字も知らないまつたくのあき盲でした。でも、いまでは、わたしたち自身の文字をおぼえましたし、その字を教える先生にまでなり
Author: 王均(ワンチユン) Year 1958 Issue 5 PDF HTML
-
65. はじめてのウソ
老四(ラオスー)[注释1]は異様に唇が厚い。口をとじているとき横からみると、赤黒いちょうがとまっているようだ。それに、動きのにぶいあまりまばたきをしない濁った目。見合いをすればまちがいなくお断りだろう。だが老四は独り者ではない。二十七でちゃんと結婚している。猪八戒(ちよはつかい)でも好く人はいる。だから老四を好いてくれる相手もいたわけで。彼をおろか者と思ってはいけない。あの厚い唇と動きの少ない目は
Author: 沈祖連 え·蘇均平 Year 1989 Issue 1 PDF HTML
-
66. 宝の飼葉桶
わたしたちの村からほど近いところに松の木のこんもりと茂つた山があります。山は高くて、どこまでもつづいています。少なくとも百華里はあるでしようか。夏になると、山の頂には、いつも白い薄雲がかかります。山には一抱えもある松の木が沢山生えていて、年じゆう青あおと枝をしげらせています。あの山のいちばん高い頂に石の像が立つていますが、言い伝えによるとあの石像は牛飼いの牧童をかたどつた像で、あの山が生まれたのも
Author: 整理·董均倫 江源 え·虹霖 Year 1960 Issue 2 PDF HTML
-
67. 蕎麥むすめ
むかし、あるところに忙生(マンシヨン)という男の子がおりました。両親は忙生が十三歳の時にどちらもこの世を去りました。親たちは一生汗水ながして働いてやつと、川のほとりの猫の額ほどの荒れ地を息子のためにのこすことができました。けれどもそこは、川の水かさがませばすぐ水びたしになるし、大風が吹けばすぐ砂で埋まつてしまうし、とても畑にはなりつこない、と誰からも見放されているようなところでした。さいわい、隣近
Author: 整理·董均倫 江源 え·虹霖 Year 1960 Issue 3 PDF HTML
-
68. 找姑(チャオクウ)鸟のはなし
むかし、たいへん意地のわるいおばあさんがいました。おばあさんにはむすこと娘がいましたが、むすこは嫁をとるとまもなくひとりで遠いところへ働きにいってしまいました。おばあさんは娘にはやさしかったけれど、嫁にはこのうえもなく意地わるでした。おばあさんは娘にはいつも、「おまえ、さアさアもっとたくさんおあがり」といいますが、嫁には白い目をむけながら、「おやおや、いいかげんにしとくれ、食いつぶされちゃたまらん
Author: 採録 董均倫 え 沙更思 Year 1962 Issue 7 PDF HTML
-
69. 薬草山
あるところに高い山がありました。山の上にはどんな藥草でも生えているので、藥草山とよばれていました。藥草山はだれもてつぺんまで登つたものがいないので、どれほど高い山か見当がつきませんでした。むかし、この藥草山のふもとの村に、びんぼう人の夫婦がすんでいました。ある年赤ん坊が生まれたので、夫婦は大そうよろこびましたが、びんぼう人の家に生まれた子供のゆく末をかんがえると、暗い氣持にもなります。けれど母親が
Author: 整理·董均倫 江源 え·張楽平 Year 1958 Issue 3 PDF HTML
-
70. 中国の小麦収量アメリカを拔く
今年の夏に收穫されたわが国冬蒔農作物の收穫高は去年に比し六九%方の激增をしめしたが、そのうち小麦の総收穫高は三八九五万トンにたつしてアメリカを拔き、わが国はついにソ連につぐ世界第二の小麦產出国となつた。今年夏の收穫季を迎えると、さつそく農業大躍進の勝利の第一報がつたえられた。作付面積三五六三万町歩にのぼる冬作物は未曾有の大豊作をおさめた。総收穫高は去年より二〇六五万トンを上回る五〇五〇万トンにたつ
Author: 張瑤均(チヤンヤオチユン) Year 1958 Issue 9 PDF HTML