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Your search : [ author:阿南·ヴァージニア·史代=文·写真 小池 晴子=訳] Total 77 Search Results,Processed in 0.111 second(s)
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51. 今に残るいにしえの水源
一九八〇年代に初めて北京に住むことになった当時、私はここが運河を張り巡らした都市であるとは想像もしなかつた。西山から湧き出る泉の水を飲んだこともなかった。当時は深い水源のほとんどが立入禁止区域内だつた。運河はゴミなどが詰まって見分けもつかず、河の流れは汚れていて、名前を覚える気にもならなかった。しかし、この都市の歴史と発展は、実は「水」をキーワードとして理解できる。私の場合、仏閣を調査したことから
Author: 歴史学者 阿南·ヴァージニア·史代=文·写真 Year 2005 Issue 3 PDF HTML
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52. 桃林からハイテク風景へ
中国において人民公社が最も盛んであった頃、東北旺人民公社は選ばれて国際的役割を演じることになった。この公社は一九七八年十月、日中両国の平和友好条約調印を記念して「中日友好人民公社」と命名された。今でも、これを記念して植えられた樹の間に石の記念碑が置いてある。もう一つの石碑は、生涯を中日両国の友好と交流推進のために捧げた一人の傑出した人物、孫平化中日友好協会会長を記念するものである。地元住民、李元海
Author: 歴史学者 阿南·ヴァージニア·史代=文·写真 Year 2005 Issue 4 PDF HTML
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53. 雲居寺雷音堂の朝露
雲居寺(北京市西南の房山区に位置)の上にある経文洞に登っていくと、朝露は太古の石段にきらめき、周囲の石の山々は多彩なパレットさながらに輝いた。また暑い夏の一日になりそうだったので、私は早朝登ることにした。ここにはすでに二十回ばかり来ていたが、そのつど歴代の僧侶たちが聖なる経典を後世に残そうとした決意に強く心打たれる。一九八五年夏、私が初めてここを訪れたとき、王さんという門番があたりを案内してくれた
Author: 歴史学者 阿南·ヴァージニア·史代=文·写真 Year 2005 Issue 5 PDF HTML
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54. 知られざる紫禁城の浴堂
紫禁城内南西の一角を占める武英殿の背後に、「浴徳堂」と呼ばれる浴堂があるが、その起源に関してはいまだ論争中である。武英殿全体については興味深い歴史があるのだが、その古い浴堂について知る人はほとんどいない。これまで信じられてきたように、乾隆帝が寵愛した香妃のために建てたものだろうか、それともそれ以前の元朝皇帝たちの浴堂として建てられたのだろうか?浴堂の形は非常にユニークで、内部は白釉をかけた滑らかな
Author: 歴史学者 阿南·ヴァージニア·史代=文·写真 Year 2005 Issue 6 PDF HTML
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55. 時に埋もれた千年村
北京で最も早くから人類が住んだ地帯の一つは、永定河上流域である。これは西から山岳地帯を抜ける重要なルートであり、今でも千年以上続いてきた村が残っている。一九九六年の霊水村は、時に埋もれたようなたたずまいだった。泥道沿いに行くと石造りの家々や、崩れかけた寺の残骸や、驚くほどの大木が何本も生育しているのにぶつかる。石段伝いに人口七百人ばかりの集落の裏手に登り、私は村の神社仏閣を探した。木立から受ける感
Author: 歴史学者 阿南·ヴァージニア·史代=文·写真 Year 2005 Issue 7 PDF HTML
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56. 鉄影壁の石獣
一九九五年一月のあの日の寒さを冬の陽射しが和らげていた。私は、徳勝門の東南にある胡同へ入っていった。このあたりはかつて鋳鉄所が集まっていたところで、近くの路地には「鉄影壁胡同」の名が付されている。胡同の奥に「徳勝庵」という名の僧庵の遺跡がある。今では大勢の人々が住まいとして中庭を占拠しているが、そのごみごみした中にあって、残ったお堂の古い梁がかつての趣を伝えている。しかし、以前その庵の前にあったは
Author: 歴史学者 阿南·ヴァージニア·史代=文·写真 Year 2005 Issue 8 PDF HTML
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57. 大運河上の塔影
遅い午後の太陽が大運河にきらめき、岸辺には輝く冬小麦の緑野が広がっていた。間もなく深い影が現れ始めた。これこそ私が待ち望んでいたものだった。通恵運河が北京から真東に流れて通州区で大運河と合流する地点に、有名な仏塔「燃灯塔」が千年の永きにわたって立っている。その影もまた名高く、明代の詩にこう描写されている。「晴天、燃灯塔影は五里を駆け、白河を渡る」と。この詩には探究心をそそるものがある。一九九六年十
Author: 歴史学者 阿南·ヴァージニア·史代=文·写真 Year 2005 Issue 9 PDF HTML
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58. 日本人僧に捧げる柿
たった一本の柿の木が、千年以上にわたって北京第一の聖地である潭柘寺の墓地に、光彩を与えている。高くそびえる枝は、つややかな色の柿の実をたわわに実らせ、ある仏塔の頂きを抱いているかに見える。「塔林」と呼ばれる墓地は、寺院を下った山腹の平らな場所にある。しかし、寺を訪れる人のほとんどは、迂回して本堂に向かう道をとるため、その場所を見逃してしまう。そこは大体いつもひと気がないが、座るのにちょうどよい大き
Author: 歴史学者 阿南·ヴァージニア·史代=文·写真 Year 2005 Issue 10 PDF HTML
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59. 崇拝されてきた仏足跡
北京動物園の裏手にある五塔寺(真覚寺)は、石刻博物館としても知られ、北京中から集められた数千の石碑類が保管されている。ここにある石碑·記念碑は、取り壊しとなる場所、あるいは保護の必要な場所から、この十五世紀建造の寺院構内へ運ばれてきたものである。寺院自体、市内で最もすぐれた浮き彫りの実例でもある。屋根に五つの仏塔を頂くのは、釈尊が悟りを開いたインドのブッダガヤーの寺院に倣ったものである。外側はすば
Author: 歴史学者 阿南·ヴァージニア·史代=文·写真 Year 2005 Issue 11 PDF HTML
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60. 皇帝が雨乞いした竜王廟
雨乞いはすべての皇帝にとって公務の一つであった。干ばつに際して、しばしば高貴の人々が画眉山(海淀区温泉郷に位置する·編集部注)上の貴重な泉近くにある「竜王廟」を訪れた。十五世紀末建造のこの廟は、竜王の霊と黒竜潭および三つの井戸の水に捧げられ、数世紀にわたって皇室の庇護を受けた。現在も皇帝御幸を記念する石碑が四つ置かれている。私が最も心を動かされるのは、一七九八年、八十八歳の高齢にあった乾隆帝が訪れ
Author: 歴史学者 阿南·ヴァージニア·史代=文·写真 Year 2005 Issue 12 PDF HTML