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Your search : [ author:写真 周仁徳 劉世昭] Total 3479 Search Results,Processed in 0.091 second(s)
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51. 「長角ミャオ」の山村·六枝
烏江の源に別れをつげ、汽車で六枝に着いた。六枝のソジャ郷には「長角ミャオ(苗)」の山村といわれるロンジャ村がある。バスに乗り換え、ロンジャへ向かう。烏江の北岸約二〇キロの烏蒙山の山中にあるロンジャ村は、海抜一七〇〇メートル、百四世帯、四百七十二人が住むミャオ族の山村だ。婦人たちが昔から伝わる独特の角を頭に飾りつけているので、ここの人たちは「長角ミャオ」と呼ばれる。夕餉時に、ロンジャ村に着いた。寝泊
Author: 写真·文 劉世昭 Year 1997 Issue 11 PDF HTML
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52. 織金県―鍾乳洞の王国
貴州省にはいろいろな景観のカルスト地形が多い。今回は貴州省南部の織金県を取材した。前回で紹介のロンジャ村からわずか一山の隔たりで、直線距離は五〇キロそこそこだが、九十九折りの車道をすすむと二〇〇キロの回り道をする勘定になる。湾曲がひどく、車は時速二五キロでのろのろすすむ。もどかしいかぎりだが、車窓からみごとな山峰、鍾乳洞の外観、天然の「橋」……などをじっくり愛でることができた。織金の町は山に囲まれ
Author: 写真·文 劉世昭 Year 1997 Issue 12 PDF HTML
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53. 明代の兵士の子孫が生きる·安順
織金(チーチン)を離れ、烏江(ウーチアン)対岸の安順(アンシユン)市にやってきた。この町の歴史は春秋時代(前七七〇~前四七六年)にまでさかのぼる。そのときは牂牁(そうか)国に属し、戦国時代(前四七五~前二二一年)には夜郎国に属した。中国には「夜郎自大」という成語があるが、これは身のほどをわきまえずに威張ることを指し、漢時代(前二〇六~二二〇年)に西南にあったこの夜郎国の君主が、漢からの使者に向かっ
Author: 写真·文 劉世昭 Year 1998 Issue 1 PDF HTML
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54. 修文県の六広大峽谷
烏江(ウーチアン)の流れは、水源から三五〇キロほど離れて修文(シウウエン)県に入る。修文県の中心地から約一·五キロほどのところにある竜崗山(ロンカンンヤン)の陽明洞(ヤンミントン)は、明代の著名な思想家·王陽明ゆかりの地である。明の皇帝·武宗の治世―正徳元年(一五〇六年)、王陽明は無実の罪で貴州の竜場駅(現在の修文県県庁所在地)に左遷され、駅丞(えきじょう)(宿場を管理する役人)を務めた。王陽明は
Author: 写真·文 劉世昭 Year 1998 Issue 2 PDF HTML
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55. 甕安(ウォンアン)―荒々しい烏江を“飼いならす”
烏江の流れは巨大なカルスト地形の流域に差し掛かった。流れはしばしば地下にもぐり、峡谷は一段と険しさを増し、世にも珍しい風景が広がる。地形が険しいために、烏江の上り下りは大変で、両岸の人々の行き来も容易でない。しかしこの辺りの住民は、千年単位の長い歳月を掛けて、荒々しいけものを徐々に飼いならすように、烏江と付き合ってきた。この地方では烏江を渡るということに多くのエネルギーが費やされている。舟の渡しは
Author: 写真·文 劉世昭 Year 1998 Issue 3 PDF HTML
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56. 始皇帝の長城に登る
北京を初めて訪れた人は、必ず八達嶺の長城に足を運ぶに違いない。二千二百年前、初めて中国を統一した秦の始皇帝は、万里の長城の建設に多くの金と労力をつぎ込んだ。あまりにも有名な話なので、長城と言えば、秦の始皇帝がすぐに連想される。だが、有名な八達嶺の長城は、始皇帝の時代から千六百年も後の明代に築かれたものだ。専門家の最新の研究によると、秦の始皇帝が建造した長城のうち、最もよく原形をとどめているのは、陰
Author: 写真·文 劉世昭 Year 1999 Issue 2 PDF HTML
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57. 江南の水郷周荘をゆく
江蘇省の蘇州から東南に約三十キロ、湖をへだてて上海市の青浦県をのぞむところに、周囲を川に囲まれた周荘鎮という町がある。町の中をさらに四本の小さな川が「王」の字の形に流れ、遠く二千年以上も前の春秋戦国時代から、人々はこれらの川とともに生きてきた。さまざまの時代のさまざまの様式の橋が至るところにあり、民家はすべて水にのぞんで狭い土地に高く屋根を連ねる。その情景はまさに「小橋あり、流水あり、人家あり」「
Author: 写真·文 劉世昭 Year 1999 Issue 3 PDF HTML
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58. 大青山の主峰九峰に登る
ウラドを離れ、ウラ山の南のふもとに沿って東へ約百五十キロ行くと、陰山から流れるホンドロン河のほとりに出る。川を渡って、包頭市を抜け、大青山のふもとにあるトゥムド右旗を訪れた。大青山の主峰、九峰山のふもとに野生の動植物の豊富な自然保護区があると聞いて、標高二、三三七·八メートルの九峰山に挑戦した。昼食後、ジープに乗ってトゥムド右旗を出発した。車は山を登ったり、渓谷を走ったり、夕暮れになってやっと九峰
Author: 写真·文 劉世昭 Year 1999 Issue 3 PDF HTML
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59. 30歳を迎えた北京の地下鉄
1969年10月北京に地下鉄が開通して、ことしは満30年を迎える。現在、西単から西へ苹果園まで伸びる「1線」と、旧城壁跡を通る環状線の「2線」があり、総延長42キロ、1日延べ120万人の乗客を運び、渋滞の激しい路面交通の緩和に貢献してきた。ここ数年、北京市政府は地下鉄の輸送力増強に力を入れてきたが、いよいよこの10月1日に「復八線」が開通する。西単の一つ西の、「2線」と交わる復興門から、西単、天安
Author: 写真·劉世昭 郭実 Year 1999 Issue 4 PDF HTML
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60. 内蒙古の大草原を行く
陰山山脈の東の部分はなだらかな草原が広がる。景勝地ホイテン梁を訪れた。ホイテンというのはモンゴル語で涼しいとか寒いという意味で、梁は漢語で山の尾根。標高二、〇〇〇メートル、夏は涼しく、早くも北魏の時代(三八六~五三四年)に、避暑に訪れた皇帝もいる。その後、歴代の皇室の避暑地となった。草原には豊かな牧場があって、死火山の噴火口に水がたまって出来た九十九の湖が、草原にまき散らされた真珠のような景観を誇
Author: 写真·文 劉世昭 Year 1999 Issue 4 PDF HTML