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Your search : [ author:文·李順然(リーシュンラン) 題字·絵 于叔方(ユィシューファン)] Total 49 Search Results,Processed in 0.116 second(s)
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41. 除夜
旅館(りよかん)の寒灯独(かんとうひと)り眠(ねむ)らず 客心何事(かくしんなにごと)ぞ転(うた)た凄然(せいぜん) 故郷(こきょう)今夜(こんや)千里(せんり)を思(おも)う 霜鬢明朝(そうびんみょうちょう)は又(ま)た一年(いちねん)唐の高適(七〇二?~七六五年)の「除夜の作」です。この詩は日本の中学、高校の漢文の教科書にも載っているとのこと、また歌舞伎の名優中村鴈治郎さんのお誕生日が一九三一
Author: 文·李順然 題字·絵 于叔方 Year 1997 Issue 12 PDF HTML
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42. 西安の旅
去年も何回か北京を離れて旅にでた。その昔、日本から阿倍仲麻呂や空海が訪れた中国の古都西安、中国革命の聖地ともいわれる延安への旅は、汽車の旅だった。わたしは汽車の旅が好きだ。汽車の旅では、まずゆっくりと車窓のそとに広がる風景を楽しむことができる。西安、延安の旅でも中国の五大名山の一つに数えられる華山の中国画をみるような山脈(やまなみ)や上流の、「雨で茶褐色に濁って滔々(とうとう)と流れる男らしい黄河
Author: 文·李順然 題字·絵 于叔方 Year 1998 Issue 1 PDF HTML
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43. 延安の旅
前回では去年の夏の西安の旅の感想を綴ったが、西安の旅を終えたわたしはその足で西安から夜汽車に乗って八時間、中国革命の聖地ともいわれる延安を訪れた。一九六〇年に延安を訪れたときはまだ汽車も開通しておらず、西安からジープに揺られながら二十時間ぐらいかかったように記憶している。延安―ここは一九三七年から一九四七年までの十年間、中国共産党中央委員会が置かれていた中国西部黄土高原の辺鄙な町で、毛沢東はこの十
Author: 文·李順然 題字·絵 于叔方 Year 1998 Issue 2 PDF HTML
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44. 如春堂閑談
「前事を忘れることなく後事の師とする」「歴史を以って鏡とすれば世の興廃を知ることができ、銅を以って鏡とすれば衣冠を正すことができる」―前者は一九七二年に周恩来総理が中日国交正常化交渉のため北京を訪れた田中角栄首相を歓迎する席で中日両国間の不幸な歴史についてふれたさいに引用した中国の成語である。後者は一九九七年に江沢民主席が中日国交正常化二十五周年の前夜に北京を訪れた橋本龍太郎首相と会った席で同じく
Author: 文·李順然 題字·絵 于叔方 Year 1998 Issue 3 PDF HTML
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45. 国際人とは……
四月は日本の新学年―ここ数年のことだが、日本では国際学部、国際関係学部、国際情報学部、国際社会学部、国際コミュニケーション学部、国際文化情報学部、国際協力学部……などなど、国際という二字を頭につけた学部を設ける大学が増え続けていると聞く。日本の新聞をみていると、今年も例外ではないようだ。どこの大学も、こうした国際という二字をつけた学部増設の理由を「二十一世紀に挑戦する国際人の養成」「世界のなかの日
Author: 文·李順然 題字·絵 于叔方 Year 1998 Issue 4 PDF HTML
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46. メディアのおでん
メディアのおでん―このタイトルをみて、はてなと首を傾(かし)げる人もいるだろう。そこで、まずここでいう「メディア」、ここでいう「おでん」について説明しておこう。ここでいう「メディア」とは、北京のCCTV(中国中央テレビ)ビルの隣にある「メディアセンター」、中国名は「梅地亜中心(メイディヤチョンシン)」のことである。このメディアセンターはCCTVとNHK(日本放送協会)グループ合弁の放送機能をもつち
Author: 文·李順然 題字·絵 于叔方 Year 1998 Issue 5 PDF HTML
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47. 茘枝·東坡肉·河豚
風をわたる甘い香り、ふと見上げると薄桃色の合歓(ねむ)の花がいっぱいに咲いている―森の都北京の六月の風物詩だ。このころになると果物屋さんの店先には、南の広東省や広西チワン族自治区から送られてきた茘枝が姿をみせる。日本の中国料理のお店でも「ライチ」と呼んでデザートにだしている所があるが、かん詰めのものが多いようだ。茘枝はやはり新鮮な旬(しゅん)のものがいちばんだろう。唐の玄宗皇帝(六八五~七六二年)
Author: 文·李順然 題字·絵 于叔方 Year 1998 Issue 6 PDF HTML
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48. 桂林山水
メモをみると、一九九二年五月三十一日となっている。わたしは日本の長野県の友人に案内されて善光寺に近い信濃美術館の東山魁夷(ひがいやまかいい)美術館を訪れた。「風景は人間の心の祈りである」という東山氏のことばをタイトルにした展示では、百点近い東山芸術を心ゆくまで楽しむことができた。とりわけ嬉(うれ)しかったのはこの異国の土地で、異国の画家が描いたわたしの国の風景にめぐり逢(あ)ったことである。「五岳
Author: 文·李順然 題字·絵 于叔方 Year 1998 Issue 7 PDF HTML
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49. 廖承志詩詞
廖承志(リアオチヨンチー)氏、わたしたちは尊敬の気持ちを込めて「廖公」と呼んでいる。一九〇八年、日本の東京·大久保で生まれる。原籍は広東省。十六歳のころから政治活動に加わり、二十歳で中国共産党に入党、そのご七十五歳で他界するまで中国共産党員として活動、中国共産党中央委員候補、中央委員、中央政治局委員などを歴任、七回も反動派の牢獄(ろうごく)に繋(つな)がれたという、まさに筋金入りの共産党員である。
Author: 文·李順然 題字·絵 于叔方 Year 1998 Issue 8 PDF HTML