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Your search : [ author:文·写真 沈延太 王長青] Total 745 Search Results,Processed in 0.114 second(s)
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41. 嫁と姑(よめしゆうとめ)
一とんがらしおばさんの家に嫁さんが来た。物好きなおかみさん連中は、さっそくかげであれこれとうわさをはじめた。「見てごらん、とんがらしおばさんと、あのおてんば嫁さんとがいっしょになったんだもの、今にふたりで角(つの)つきあわせて、いざこざがたえないようになるから」そんなうわさが耳に入っても、とんがらしおばさんは、「なあに、若いもんは、すこしは、おてんばなほうがいい。わたしは、しゃべったり笑ったりする
Author: 李青(リーチン) え·沈延太(シエンイエンタイ) Year 1965 Issue 1 PDF HTML
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42. 少年時代の遊撃戦生活
革命をやるんだ明日は一九四八年の元旦だ。天気はかなり冷えこんだが、広東(クワントン)省東北部の梅(メイ)県にある小都(シヤオトウ)という山村は、にぎやかにわきたっていた。ドラや太鼓がなりひびき、爆竹の音のなかには、このあたりでむかしから神様を迎えるのに使った〈銃子(チヨンツー)〉の、鉄砲のような音がまじっていた。兵士たちの歌声、村びとたちの歓声……これらの音や声がいりまじって、こんもりとした竹林を
Author: 廖振(リヤオチエン) え·沈延太(シエンイエンタイ) Year 1965 Issue 1 PDF HTML
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43. 少年時代の遊撃戦生活(二)
深夜の強行軍蕉嶺(チヤオリン)での戦いは、福建(フーチエン)、広東(クワントン)、江西(チヤンシー)の三省をゆるがし、境界地区の人民や、各地の遊撃隊の志気を大いにたかめた。かんかんに怒った反動軍の頭目の徐思宗(トウスーツオン)は、すぐに軍隊をまわして仕返ししにきた。蔣介石(チヤンチエシー)は涂思宗と喩英奇(ユイインチー)にせんもんに「十文字討伐」をおこなわせるために、わざわざ高級参謀の張光前(チヤ
Author: 廖振(リヤオチエン) え·沈延太(シエンイエンタイ) Year 1965 Issue 2 PDF HTML
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44. 少年時代の遊撃戦生活(三)
烈火のなかである日の昼さがり、老賀(ラオホー)が大木の木陰で本を読んでいるのを見たおれたちは、みんなで近よってかれをとりかこみはしたが、だれも言葉をかけるものはなかった。毛沢東(マオツオトン)主席の著作を読んでいたので、じゃましてはいけないと思ったからだ。しばらくしてから馮金(フオンチン)が口を切った。「老賀、あなたは、いつも毛沢東主席の書いた文章は実にすばらしいと言っているけど、どんなことが書い
Author: 塵振(リヤオチエン) え·沈延太(シエンイエンタイ) Year 1965 Issue 3 PDF HTML
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45. 少年時代の遊撃戦生活
革命をさいごまであっというまにまた半年すぎて、一九四九年の一月末になった。この一年あまり、おれたちは部隊について、福建(フーチエン)·広東(クワントン)·江西(チヤンシー)辺区を東へ、また西へ、進撃につぐ進撃の中で、どれだけの困難をのりこえてきたことか。去年の春からこの冬にいたるまで、おれたちは数えきれないほどの勝利をかさねてきたのだった。〈辺一連隊〉は、すでに三〇〇〇人をこえるほどに増大していた
Author: 廖振(リヤオチエン) え·沈延太(シエンイエンタイ) Year 1965 Issue 5 PDF HTML
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46. 蒸臘肉(湖南料理)
馬凱餐庁は湖南料理の店として有名。三百以上のメニューがありますが、一番知られているのが「蒸臘肉」、なかなか好評です。まず用意するのは、新鮮なブタ肉1500グラム。これを細長く切り、塩、白酒、砂糖、さんしょうを少々ふりかけ、手で全体にひろげます。それからカメの中に置いて、三日間寝かせます。三日たったらひっくり返し、また三日置きます。カメから取り出したら、風通しのいいところにつるします。日にあてないこ
Author: 文·写真 狄華 Year 1990 Issue 12 PDF HTML
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47. 詩礼銀杏(孔府料理)
北京の琉璃廠。ここの文化街にある孔膳堂飯荘は、孔府(山東省曲阜にある孔子の邸宅)料理の店として、内外の美食家によく知られ、多くの客で賑わっています。孔府料理の特徴は、料理のひとつひとつが作り方も、味も違うこと。歴代の高官や貴族に愛され、また、皇帝に献上された料理でもあります。ここで紹介するのは、孔府料理の中でも甘味のある料理です。材料はギンナン。殻を取り、苦味のある心を除き、薄膜をはいだら、せいろ
Author: 文·写真 秋華 Year 1991 Issue 6 PDF HTML
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48. 変貌する「魚米の里」江蘇省南部の郷鎮企業
江蘇省の無錫、蘇州、常熟、江陰などは、むかしから「江南の魚と米の本場」といわれてきた所だ。ところが最近ではこれに新しい「本場」が加わった。郷鎮企業が雨後の筍のように起こってきたのだ。従来、農民たちは農地が小さすぎて、どんなに働いても豊かになれる状況ではなかった。仕事がなければ金持ちにはなれない道理だが、郷鎮企業ができてからは、江南の農民は衣食の基礎ができて豊かになった。蘇南の郷鎮企業は機械、紡績か
Author: 文·写真独華 Year 1992 Issue 2 PDF HTML
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49. 食文化の旅太湖の「船料理」
中国の五大淡水湖の一つ、太湖に春が訪れると、観光船がどっと繰り出し、人びとは湖岸に咲き誇る桜を賞で、とりたての魚を船で料理して食べる。これが有名な太湖の「船料理」だ。その歴史は古く、すでに春秋戦国の時代から王侯貴族、商頁文人が競って船を出し、しばしの歓楽に時の移ろいを忘れたという。有名な古典劇『魚蔵剣』は、まさにそうした時代の反映と言えるもの。下僕に変装した刺客が、魚のはらに短剣を隠し、料理の供さ
Author: 文·写真秋華 Year 1992 Issue 2 PDF HTML
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50. 常熟の三宝
蘇州の北東約三〇キロ、北は長江に臨む常熟市に「常熟三宝」と呼ばれる名物がある。その一つは、常熟の南に広がる陽澄湖の蟹で、こうらが青く、腹が白い。葦の穂が生い茂る秋たけなわのころがしゅんで、身がやわらかく、むして食べると実にうまい、.一匹の目方は二五〇グラムくらいだが、香港に入るとびっくりするような値段がつく、.この蟹は「潭蕩(深い沼)金爪蟹」とも言われている。清の光緒帝が、学問の師である翁同餅から
Author: 文·写真秋華 Year 1992 Issue 4 PDF HTML