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Your search : [ author:車慕奇] Total 48 Search Results,Processed in 0.120 second(s)
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31. 吐魯番(トルフアン)盆地から塔里木(タリム)盆地へ
風の庫(くら)吐魯番(トルフアン)を離れて西へ向かう。ジープはオアシスを抜け、スピードメーターはたちまち一〇〇キロまで上った。「なんだってこんなに飛ばすんだい」とたずねると、「この先は風の入口だから、早く通り抜けないとね。もし大風にぶつかったら、こんなジープなんぞひっくりかえされちまうかも知れないんだから」と運転手が言う。かれの言うところでは、一九七七年、風力十二(秒速三二·六メートル)をこえる大
Author: 本誌記者 車慕奇 Year 1980 Issue 5 PDF HTML
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32. 博斯騰(バグラシ)湖から孔雀(コンチ)河へ
唐僧玄奘法師は『大唐西域記』の中で「高昌の旧居をはなれて、まず近きより始めんものと、阿耆尼国にむかう」と書いている。この「阿耆尼」とは、サンスクリットのAgniからきた呼称で、漢語の史籍にいう「焉耆」のことである。焉耆について、『前漢書』には「焉耆国は……海水に近く魚が多い」と記され、『後漢書』には「焉耆は……四方を大山に囲まれ、亀茲国に連なり、道が険阻で守りやすい。海水があり、四方の山の間に出入
Author: 本誌記者 車慕奇 Year 1980 Issue 6 PDF HTML
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33. 塔克拉瑪干(タクリマカン)砂漠周辺の旅
庫爾勒(コルラ)を離れて、西の方庫車(クチヤ)をめざす。天山南麓のなだらかな斜面に、平坦な幹線道路がまっすぐ伸びている。道の一方には天山山脈に連なるさして高からぬ山、もう一方には広大な平原がゆるやかに南に傾斜しつつ塔里木(タリム)河畔までつづいている。車はここから、川すじに沿った幹線道路を川の流れと逆にすすむ。西から東へと流れるタリム川の南がわは、もう塔克拉瑪干(タクリマカン)砂漠である。面積三二
Author: 本誌記者 車慕奇 Year 1980 Issue 7 PDF HTML
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34. 克孜爾(キズル)千仏洞から克孜勒(キズル)谷へ
庫車(クチヤ)県城を離れ、ふたたび「娘よ、とどまれ」とよばれる漢代の峰火台を通りすぎて、拝城(バイ)県への山道をたどる。めざすは克孜爾(キズル)千仏洞中国最西部の石窟寺キズル千仏洞はわが国最西部の大型仏教石窟で、敦煌よりもなお早い時期に作られており、仏教芸術東流の跡を熱心に探求している学者たちから、ことのほか重視されている。西へすすむ山道は、北上して大澇巴(ラオバ)へいった道よりもはるかに平坦で走
Author: 本誌記者 車慕奇 Year 1980 Issue 8 PDF HTML
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35. シルクロード今と昔(21)
千年前の山賊の証敦煌壁画にも克孜爾(キズル)千仏洞の壁画にも、旅商人が強盗に襲われる場面があった。昨年から全国の話題をよんだ舞劇「絲路花雨」(シルクロード物語·甘粛省舞劇団創作および公演)でも、シルクロードを行く旅人が強盗に襲われる筋立てをもりこんで、中国人とペルシャ人の友情をめぐる悲喜こもごもの物語をくりひろげた。長い長いシルクロードの旅の途中、東西の旅商人が強盗にあうことは、おそらくありえない
Author: 本誌記者 車慕奇 Year 1980 Issue 9 PDF HTML
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36. 中国最西端の町―喀什
はじめて新疆へ来たとき、友人たちから、喀什(カシガル)をほめるさまざまな言葉を聞かされたものだ。「カシガルへ行かなければ、西域の風貌はわからないよ」「カシガルは南新疆の花だものね」「ウイグル人は、ウルムチよりカシガルの方が上だと見ているんだよ」この魅力に富んだ辺境の都市は、ウルムチに長らく住む新疆人にとってさえ、はるかかなたの土地である。ウルムチからの行程一五〇〇キロ、長距離バスで七日もかかる。だ
Author: 本誌記者 車慕奇 Year 1980 Issue 10 PDF HTML
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37. カシガルからホタンヘ
喀什(カシガル)の民族手工業は、新疆で盛名を馳せている。市の軽工業局では、われわれの案内に、ウイグル族の女性通訳をひとりつけてくれた。かの女は名をアシヤといい、青い瞳が澄んで美しい。玄奘は『大唐西域記』のなかで、佉沙国(カシガル)人の「青い目」についてふれているが、まったくそのとおり青いのである。アシヤさんは子供のころから漢族の学校で学んで、きれいな漢語を話すことができる。落ち着いた服装に身を包み
Author: 本誌記者 車慕奇 Year 1980 Issue 11 PDF HTML
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38. 和田(ホタン)―古代于闐国
玉門関外の美玉以前、筆者が河西回廊の酒泉からいくつか玉器(ぎよくき)を買って帰ったとき、ある友人がそれらを見て、何の玉かとたずねたものだ。祁連山玉だと答えると、かれはこう言った。「なんだ、それじゃ玉門関のこちらがわの玉じゃないか。関のむこうの崑崙玉なら、もっとすばらしいのになあ」昔の人びとは一般に玉門関を内地と西域の境界と考えていた。唐詩に「春風渡(わた)らず玉門関」(王之換「涼州詞」)とうたわれ
Author: 本誌記者 車慕奇 Year 1980 Issue 12 PDF HTML
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39. 砂漠に埋もれた故城
和闐(ホタン)を離れて于闐へむかう道みち、新疆博物館の李遇春副館長が、「わたしたちは于闐から于闐へむかっているんですよ」と冗談をとばした。筆者もまけずに、「つまりじっと一カ所にとまっているわけですな」と応じる。運転手の馬(マー)くんはこの謎がわからないから、「フルスピードで走っているのに、なんだって一カ所にとまっているなんていうんですか」と小むくれの体である。謎をあかせば、古代の于闐国は、いまでは
Author: 本誌記者 車慕奇 Year 1981 Issue 1 PDF HTML
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40. 砂漠一周 旅の終わり
砂漠を一日歩きまわって、安迪児(アンデイル)牧場に帰りついた時には、もう夜も更けていた。ラクダの背に揺られて、腰や背中がどんなに痛もうと、まだ、ロバの背中から四度も振り落されてどんなに動悸がしずまるまいと、とにかく嬉しかった。なにしろとうとう重なる砂丘のかなたの「迷宮」の奥深くにふみこんだのだ。とうとう砂漠の「迷宮」のまん中で、古代の円形城市を探訪することができたのだ。かの完全に残された城壁、かの
Author: 本誌記者 車慕奇 Year 1981 Issue 2 PDF HTML