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Your search : [ author:車慕奇] Total 48 Search Results,Processed in 0.093 second(s)
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1. 西北紀行
最近わたしは西北を旅行し、黄河の西の回廊地帶まで行つて來た。昔『絹の道』といわれたその道路にそつて、鉄道労働者たちは蘭州―新疆をむすぶ新しい線路を建設していた。自動車道路はまつすぐに西北へ向かい、万里の長城の最西端關口―嘉峪關をすぎてゆく。このあたりの長城はどこをみても朽ちにてた城壁の跡である。私達を飛せたトラツクのすすんでゆく左手には、蜒々と祁連山脈がつづいている。頂上は白い万年雪をいただき、雲
Author: 車慕奇 Year 1953 Issue 4 PDF HTML
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2. ゴビの砂漠に石油の町
一、新しい油田―玉門万里の長城の最西端にある嘉峪關から一歩そとへ足をふみだしたわたしたちの眼の前には果てしなくゴビの砂漠がひろがつていた。砂礫におおわれた灰色の大地の上には一軒の人家も一本の樹木も見出せなかつた。ただいんうつな空がおおいかぶさつているだけである。ラクダの一群が、のろのろとした歩みをつづけてゆく。くびにつけた鈴が、さみしい響きをたてる。わたしたちのトラックをのぞいて、すべてのものは、
Author: 車慕奇 Year 1953 Issue 6 PDF HTML
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3. 山の町·重慶が大きく変わった
長江と嘉陵江の合流点にある山の町·重慶は、近年、都市改革の進歩が早く、顕著な成果をあげて、中国の各大都市の間で声望が高まっている。
Author: 車慕奇 Year 1984 Issue 10 PDF HTML
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4. 探訪 黄河デルタの第二の大慶
このところ、石油価格の低下が世界的な問題になっているが、中国ではどうか。これについて李鵬副総理は「石油の国際価格の低下は中国の外貨収入にある程度影響するが、総体的に見れば得もあり失もある。石油の輸出収入は減るが、中国は石油輸出大国ではなく、年間輸出は三千万トン程度である。別の面から見れば、石油価格の低下による一部商品の価格の変化は、中国の輸入にとって有利になる」と述べている。
Author: 車慕奇 Year 1986 Issue 6 PDF HTML
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5. シルクロードを考える
日本では、四月から奈良でシルクロード博が開かれている。またユネスコでも、今年は各国の専門家を組織して、シルクロードの全ルートの調査をするそうだ。古代の東西文化交流の道、シルクロードに寄せる人びとの関心はいつまでも変わらない。私も同じ気持ちをもつ者の一人として、喜ばずにはいられない。絹の道 美しい夢もう十年前になるが、私は、シルクロードの新疆部分に属する三つのルートをつぎつぎとくまなくたどって、五〇
Author: 車慕奇 Year 1988 Issue 5 PDF HTML
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6. なぜ「六月風波」は起こったのか
四月十五日に胡耀邦の死を悼む花輪が現れてから、六月四日に天安門広場の占拠者たちが退去するにいたるまでの、五十数日にわたる北京の風波は、すでに収まって、北京と全国の情勢は安定した。事態収束後、さまざまな角度から思考がおこなわれ、教訓が汲みとられている。わたしも、わたしなりの考察を試みてみたい。なぜあれだけ多勢の者が…なぜあれだけ大勢の者が動乱にまきこまれたのか。人びとの議論の的となった問題である。全
Author: 車慕奇 Year 1989 Issue 12 PDF HTML
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7. 周訓徳さん もう一つの煙台を建設
―小·中学校時代をここで過ごしたので、私は煙台に対して特別な感情を持っています。煙台に帰ると必ず海岸通りを歩いて、昔の思い出にひたるんです。周 秘書の話では、車先生はもう何度も帰っておられるそうですが、感想はいかがです9·―帰るたびに新しい変化感じています。去年の話ですが、私は数人の老幹部(新中戒立以前から革命に参加していた者)と煙台に避暑に来て、がガイド役をおおせつかったんですね。ところが宿舎を
Author: 車慕奇 Year 1992 Issue 12 PDF HTML
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8. 敦煌における敦煌学
敦煌研究院で、私は段文傑院長と樊(はん)錦詩(女性)副院長、史葦湘資料センター主任らを訪問した。段氏と史氏は解放前から敦煌に来て長く壁画の模写と石窟芸術の研究に携わり、その造詣の深さは国内外に有名。また樊さんは北京大学考古学部を卒業後、一九六三年から莫高窟で研究に従事し、その優れた業績によって、解放後の世代を代表するエキスパートと高く評価されている。三人とも教授待遇の研究員で、彼らが語る敦煌学の発
Author: 車慕奇 Year 1994 Issue 2 PDF HTML
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9. 中国貴重文物の「半分」を収蔵する上海博物館
上海博物館新館は、上海市内で近来目立つようになった新建築の一つで、海外からの旅行者に人気がある観光スポットである。同館は市の中心部にある人民広場に建っており、外観は大きな鼎(かなえ)に見え、南を向いた正門の両側にうずくまる八頭の漢白玉(大理石に似た白色の石材)の神獣はいかにも雄々しく、正面入口の上には故陳毅元帥が題辞した館名が刻まれている。地上五階、地下二階からなるこの建物は、総面積が三万八〇〇〇
Author: 車慕奇 Year 1997 Issue 10 PDF HTML
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10. 近代化めざして脱皮する町
北魏(ほくぎ)の書道家鄭道昭(ていどうやよう)(四五五~五一六)は山東省掖(えき)県の雲峰山に「鄭文公碑」を残している。これは中国書道芸術が隷(れい)書から楷(かい)書へと向かう里程標として、中国の書家から国宝と見なされているだけでなく、日本の書道家にも高く評価されているものだ。全日本書道連盟理事長の種谷扇舟さんや、板田隆一、黒田玄夏、飯高和子さんなど、多くの書家がみずから雲峰山にのぼって碑を研究
Author: 本誌·車慕奇 Year 1993 Issue 2 PDF HTML