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Your search : [ author:写真·文=劉世昭] Total 47 Search Results,Processed in 0.119 second(s)
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31. 北京·東岳廟 よみがえる庶民の祈り
北京市朝陽区朝陽門外にある東岳廟の歴史は、元代、延祐年間(一三一四~一三二〇年)にまで遡る。ここは道教正一派の華北地区最大の廟で、泰山の神、東岳大帝とその門下の神々をまつる。東岳大帝は、人間の寿命と運命を司り、十八地獄と七十六司の支配者でもある万能の神である。歴代皇帝は東岳廟を重んじ、東岳大帝が誕生したとされる三月二十八日には、毎年、盛大な祭礼が行われた。この日、廟内は焼香に訪れる人々で埋まり、そ
Author: 写真 文·劉世昭 Year 2000 Issue 12 PDF HTML
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32. 北京·司馬台
カメラを職業とする私だが、撮影の勉強を始めた当初から万里の長城には特別な思いがあった。記憶をたどるとそれはもう二十三、四年も前のことになる。晴、雨、雪、霧と様々な天候のもと長城を撮った。長城はどんな天気でも魅力的だったのはもちろん、初期に撮っていた白黒作品でも、後から撮りだしたカラー作品でもそれぞれの美があり、今もそれが目の前に蘇ってくる。 長城に特別な思いを抱くなというほうが無理だろう。長城は、
Author: 写真 文·劉世昭 Year 2001 Issue 1 PDF HTML
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33. 詩情あふれる高原の古都
かつてアメリカの地理学者ロカは、ナーシー(納西)族の古代王国を研究するため麗江を訪れ、二十七年もの間、この地に住み続けた。晩年の彼は「玉竜雪山で死にたい」と心の内をもらしていたという。麗江はそれほどに魅力にあふれ、人々の憧れの地であり続けている。麗江は、雲南省西北部、海抜二四一六メートルの高原に位置する。ナーシー族の古都として、伝統的住居に代表される民族文化を今につたえ、一九九七年、ユネスコの世界
Author: 写真 文·劉世昭 Year 2001 Issue 3 PDF HTML
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34. 炎に捧げる情熱
雲南省彌勒県西一郷の紅万村には、彝(イ)族の一支族であるアシ人が住む。イ族は伝統的に火を崇める民族で、多くの宗教的行事のなかでも特に、火神に関する祭りを重視する。紅万村では、その原始的な祭りの形態が今日まで続いている。伝説では、古代アシ人たちが狩りに出かけた厳冬のある日、持っていた火種が雨風によって消されてしまい、寒さに苦しんだことがあった。人々の手足は凍え、老木の下に避難し、お互いに寄り添ってた
Author: 写真 文·劉世昭 Year 2001 Issue 6 PDF HTML
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35. 民家の「博物館」
安徽省の南部は、その昔「徽州」と呼ばれた。二千年余りの歴史を持ち、九千八百平方キロの広さを誇る徽州には今も、明、清代の民家建築が五千軒ほど残されている。とりわけ人々を魅了してやまないのが、古い民家の「博物館」と称される安徽省黟県にある二つの村、宏村と西逓だ。二〇〇〇年にはここが、ユネスコの世界文化遺産として正式に登録された。徽州は古来より、多くの名士を生み出した地として知られる。宋の理学者·朱熹、
Author: 写真 文·劉世昭 Year 2001 Issue 7 PDF HTML
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36. 華やかに勇者を称える日
ザミ村は、雲南省紅河ハニ族イ族自治州の南端、金平県にあるダイ族の山村で、この地は、中国とベトナムの辺境にあたる。村の「男人節」に参加するため、私は昆明から汽車に乗り、七百キロ先の目的地に向かった。険しい山をのぼり、渓谷を越え、丸々一日半を費やして、ダイ族の山村にようやくたどりついた。それにしても男性の祭りとはあまり聞きなれないものだ。村についたその夜、私は今年六十歳になるダイ族の老人、李金貴さんを
Author: 写真 文·劉世昭 Year 2001 Issue 10 PDF HTML
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37. 熱く燃える極寒の大雪原
十五夜の月が空高く昇ったのに、 どうして雲は寄り添わないのだろう? 美しいあなたを待っているのに、 どうして私のそばに来てくれないのだろう? もし雨が降らなければ、 カイドウの花は咲かないでしょう? あなたも我慢強く待っていれば、 愛しい人はもうすぐ駆け寄って来るでしょう。これは民謡『敖包(アオバオ)相会』の一節だ。映画『草原の人々』の挿入歌で、その優美なメロディと叙情的な歌詞が多くの人に親しまれ
Author: 写真 文·劉世昭 Year 2001 Issue 12 PDF HTML
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38. 二十四人の皇帝が暮らした宮廷
十五世紀初め、中国明代の第三皇帝朱棣(成祖永楽帝)は即位後に、南京から北京へと都を移した。その後、永楽四年(一四〇六)に始められた宮廷建設は、永楽十八年(一四〇六年)に完成。中国古代の占星学により、天空の中心にある天帝の座·紫微星(北極星)に対して、天帝の子である皇帝の城は地上の中心であると考えられたことから、宮廷は「紫禁城」と名付けられた。一九一一年の辛亥革命で清が滅び、最後の皇帝·溥儀が紫禁城
Author: 写真 文·劉世昭 Year 2002 Issue 1 PDF HTML
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39. 大自然きらめく熱帯リゾートを歩く
亜竜湾·とっておきの名勝中国最南端の都市·海南省三亜市にやってきたのは、昨年末のことだった。その日、首都北京では雪が降ったが、こちらの気温は二八度。南と北では歴然と気候が異なる。中国唯一の熱帯都市である三亜市は、こうして有名な観光都市となった。ここのとっておきの名勝といえば、国家クラスの観光リゾート地―亜竜湾である。亜竜湾の海水は生臭さがなく、まるでシルクのようになめらかな手触りだ。白い砂浜の上に
Author: 写真·文=劉世昭 Year 2002 Issue 4 PDF HTML
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40. 人類の歴史ぬりかえた北京原人遺跡
50万年ほど前、北京市南西郊外の周口店竜骨山から、「北京原人」が世界に向かって歩き始めた。世界的な範囲で見れば、もっとも早期に発見された「直立猿人」の化石ではないが、その発見は進化中である人類の段階を定めるものとなった。
Author: 写真·文=劉世昭 Year 2004 Issue 1 PDF HTML