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Your search : [ author:平 耕一] Total 397 Search Results,Processed in 0.107 second(s)
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331. 首狩り族の末えい
わたしたちは雲南省思茅(スーマオ)市を離れ、西へ向かった。険しい谷間をとうとうと流れる瀾滄江(ランツァン)(メコン川の上流)を越え、山里にあるラフ族の町を過ぎてさらに進むと、山はますます険しさを増した。雲南省西南部、ミャンマーとの国境に近いこの山地は阿佤(アワ)山と呼ばれている。「司崗里(スーカンリー)」の由来雲南省西盟(シーモン)ワー(佤)族自治県の県庁所在地が、見えてきた。町のメーンストリート
Author: 文·劉東平(リウトンピン) 写真·胡婭華(フーヤーホワ) 劉東平 Year 1998 Issue 5 PDF HTML
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332. 神秘の熱帯樹を見る―シーサンパンナ
西盟(シーモン)の阿佤(アワ)山から瀾滄(ランツアン)県を抜けてシーサンパンナに入ってからは道が徐々になだらかになり、鬱蒼(うっそう)としたパラゴムノキの森を背景に青々とした水田が広がった。道を行く色鮮やかなスカートをまとった少女たち、自転車に乗った赤い帽子の少年たちが、この肥沃な土地にいっそうあでやかさを添えている。景真の八角亭勐海(モンハイ)県まであと十数キロという時、山の上に美しい多角形の建
Author: 文·劉東平(リウトンビン) 写真·胡婭華(フーヤーホア) 劉東平 Year 1998 Issue 6 PDF HTML
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333. 三蔵法師玄奘(げんじょう)の古里へ
唐代(六一八~九〇七年)の名僧玄奘(げんじょう)(六〇二~六六四年)はわたしのかねて尊敬する歴史的人物である。わたしは以前、彼がインドから持ち帰った経典を収めた西安の大雁塔(だいがんとう)を見上げたことがある。新疆ウイグル自治区のシルクロード沿いにその足跡を尋ねたこともある。しかし、彼をはぐくんだ古里に足を向けるのは今回が初めてだった。玄奘の一生北京から列車で一晩過ごすと、河南省洛陽(ルオヤン)に
Author: 文·劉東平(リウトンヒン) 写真·霍建瀛(フオチエンイン) 劉東平 Year 1998 Issue 7 PDF HTML
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334. 江南の歴史とともに―江蘇省常州
江南の名所はと問われれば、いくらでも名を挙げることができる。鎮江(チェンチアン)、無錫(ウーシー)、宜興(イーシン)、常熟(チャンシュー)、蘇州(スーチョウ)……たちまち五本の指がいっぱいになる。今回訪れた大運河沿いの町常州(チャンチョウ)は南京(ナンチン)と無錫の中間にあり、清(しん)(一六四四~一九一一年)の乾隆(けんりゅう)皇帝は、六回に及んだ南巡(江南視察)の際、常州に立ち寄っている。謎の
Author: 文·劉東平(リウトンビン) 写真·劉東平 陳馨(チエンシン) Year 1998 Issue 9 PDF HTML
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335. ナーシー文化ただよう麗江
深さ三千六百メートルの峡谷雲南(ユンナン)省の西北部、迪慶(ティーチン)チべット族自治州政府のある中甸(チヨンティエン)からバスで麗江(リーチアン)に向かった。その途中に虎跳峡(フーティアオシア)がある。長江(チャンチアン)の流れが最初に大きくカーブする所だ。虎跳峡鎮を過ぎて哈巴(ハーハー)雪山のふもとを長江に沿って行くと、切り立つ山々は一層険しさを増す。青黒い巨岩の間からわき出した泉が岩壁を伝っ
Author: 文·劉東平(リウトンヒン) 写真·胡婭華(フーヤーホア) 劉東平 Year 1999 Issue 1 PDF HTML
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336. もくれんの花
一党委員会書記の周浩(しゆうこう)(チヨウ·ホン)が自分の事務室に帰つて來たのは夜中だつた。師範大学へ轉勤して來て四日目の晩のことである。あたりはひつそりとしていた。電灯のスイツチをひねると、彼は事務机の前に腰を下して、晝間国文科学生細胞がおくつて來た五枚の入党申請書を取り出した。次の党委員会会議のおりに審査できるように、いちおう眼を通しておかねばならない。彼は一枚一枚たんねんに見ていつた。突然、
Author: 蕭平(シヤオピン) 江熒(チヤンイン)·絵 Year 1957 Issue 7 PDF HTML
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337. もくれんの花
前号のあらまし 師範大学党委員会書記の周浩は、入党申請書に目を通しているうちに、ふと見覚えのある名を目にとめた。李淑娟……その名前は彼の腦裡にかつての苦しい鬪いの記憶を呼び起した。
Author: 蕭平(シヤオピン) 江熒(チヤンイン)·絵 Year 1957 Issue 8 PDF HTML
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338. 薬草山
あるところに高い山がありました。山の上にはどんな藥草でも生えているので、藥草山とよばれていました。藥草山はだれもてつぺんまで登つたものがいないので、どれほど高い山か見当がつきませんでした。むかし、この藥草山のふもとの村に、びんぼう人の夫婦がすんでいました。ある年赤ん坊が生まれたので、夫婦は大そうよろこびましたが、びんぼう人の家に生まれた子供のゆく末をかんがえると、暗い氣持にもなります。けれど母親が
Author: 整理·董均倫 江源 え·張楽平 Year 1958 Issue 3 PDF HTML
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339. かみながつ子の話
せいたか山の中腹に長い瀧がかかつている。ちようどそれは、高い崖のうえに女が寢ころんで、まつ白な長い髮の毛をたらしているようにみえる。それで、この地方の人たちはその瀧を白髮(しらが)の瀧とよんでいる。そしてこのあたりにはこんな言傳えがのこつている。むかしむかし、せいたか山の付近には、水がなかつた。だからこのあたりの人は、煮たきにつかう水も洗い水も畑にやる水も、空からふつてくる雨だけがたよりだつた。も
Author: 整理· 蕭甘牛 潘平元 え·李玉紅 Year 1959 Issue 9 PDF HTML
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340. 断ちきれぬ中日両国の婦人と人民の友情の絆
中国婦人代表団は、日本の婦人の皆さんの中国婦人代表団歓迎実行委員会のお招きにこたえて、三月十七日から一カ月の間、日本で友好訪問をおこない、日本の婦人と日本人民の皆さんのひじように熱烈な歓迎と親切なおもてなしをうけて参りました。わたしたちは、日本の婦人と日本人民の皆さんに、中国人民のまごころこもる友情をお伝えしましたが、また同時に、わたしたちは、日本の婦人と日本人民の皆さんの中国人民にたいする深い友
Author: 中国婦人訪日代表団団長 許広平 Year 1961 Issue 7 PDF HTML