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Your search : [ author:写真 朱立勇 馮進] Total 3415 Search Results,Processed in 0.089 second(s)
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3361. ロッククライミングの魅力
五〇年代のヨーロッパで始まったロッククライミングが、中国にやってきてから十数年がたった。その魅力に取り付かれた中国の若者は何を感じながらこの厳しいスポーツに取り組んでいるのだろう?八五年に結成されたアマチュアの同好会―北京青年ロッククライミングチームの活動をのぞいてみた。リーダーの戴運(タイユン)は今年三十五歳になる。写生をしようと山に登った二十歳のある日、いばらを踏んで岩壁をよじ登るうちに、彼は
Author: 文·向 紅 写真·北京青年ロッククライミングチーム提供 Year 1998 Issue 1 PDF HTML
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3362. マンゴーの里―雲南省景谷ダイ族·イ族自治県
朝早く、わたしたちは鎮沅(チェンユアン)を出発し景谷(チンクー)へ向かった。北の方ではもう冬だというのに、ここでは道端に咲く美しい花々がわたしたちの目を楽しませてくれる。景谷はダイ族の言葉で「芒果(マンゴー)の町」という意味だ。車が景谷に近づくにつれて、どこかにマンゴーの実がなっていないかと、わたしは道の両わきをきょろきょろと見回した。「象牙マンゴー」の始祖マンゴーの木は、景谷の山や村の至る所に生
Author: 文·劉東平(リウトンビン) 写真·胡婭華(フーヤーホワ) 劉東平 Year 1998 Issue 4 PDF HTML
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3363. 首狩り族の末えい
わたしたちは雲南省思茅(スーマオ)市を離れ、西へ向かった。険しい谷間をとうとうと流れる瀾滄江(ランツァン)(メコン川の上流)を越え、山里にあるラフ族の町を過ぎてさらに進むと、山はますます険しさを増した。雲南省西南部、ミャンマーとの国境に近いこの山地は阿佤(アワ)山と呼ばれている。「司崗里(スーカンリー)」の由来雲南省西盟(シーモン)ワー(佤)族自治県の県庁所在地が、見えてきた。町のメーンストリート
Author: 文·劉東平(リウトンピン) 写真·胡婭華(フーヤーホワ) 劉東平 Year 1998 Issue 5 PDF HTML
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3364. 神秘の熱帯樹を見る―シーサンパンナ
西盟(シーモン)の阿佤(アワ)山から瀾滄(ランツアン)県を抜けてシーサンパンナに入ってからは道が徐々になだらかになり、鬱蒼(うっそう)としたパラゴムノキの森を背景に青々とした水田が広がった。道を行く色鮮やかなスカートをまとった少女たち、自転車に乗った赤い帽子の少年たちが、この肥沃な土地にいっそうあでやかさを添えている。景真の八角亭勐海(モンハイ)県まであと十数キロという時、山の上に美しい多角形の建
Author: 文·劉東平(リウトンビン) 写真·胡婭華(フーヤーホア) 劉東平 Year 1998 Issue 6 PDF HTML
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3365. 三蔵法師玄奘(げんじょう)の古里へ
唐代(六一八~九〇七年)の名僧玄奘(げんじょう)(六〇二~六六四年)はわたしのかねて尊敬する歴史的人物である。わたしは以前、彼がインドから持ち帰った経典を収めた西安の大雁塔(だいがんとう)を見上げたことがある。新疆ウイグル自治区のシルクロード沿いにその足跡を尋ねたこともある。しかし、彼をはぐくんだ古里に足を向けるのは今回が初めてだった。玄奘の一生北京から列車で一晩過ごすと、河南省洛陽(ルオヤン)に
Author: 文·劉東平(リウトンヒン) 写真·霍建瀛(フオチエンイン) 劉東平 Year 1998 Issue 7 PDF HTML
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3366. 江南の歴史とともに―江蘇省常州
江南の名所はと問われれば、いくらでも名を挙げることができる。鎮江(チェンチアン)、無錫(ウーシー)、宜興(イーシン)、常熟(チャンシュー)、蘇州(スーチョウ)……たちまち五本の指がいっぱいになる。今回訪れた大運河沿いの町常州(チャンチョウ)は南京(ナンチン)と無錫の中間にあり、清(しん)(一六四四~一九一一年)の乾隆(けんりゅう)皇帝は、六回に及んだ南巡(江南視察)の際、常州に立ち寄っている。謎の
Author: 文·劉東平(リウトンビン) 写真·劉東平 陳馨(チエンシン) Year 1998 Issue 9 PDF HTML
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3367. 刻まれた『道徳経』-全真道揺らんの地を訪ねる
中国の文化史上、王重陽(おうちようよう)の山東行脚は老子(ろうし)が函谷関(がんこくかん)を出て西方に赴いた話ほどは重視されていない。しかし、これが全真道の創始と道教復興のきっかけとなったことはだれもが認める事実である。快適な列車に乗って缶ビールを飲みながら、その昔、たく鉢して飲みつ歌いつ長旅を続けた王重陽の気持ちを想像するのは難しい。だが、宗教的な執念もさることながら、海への強いあこがれが、うま
Author: 文·楊天乙(ヤンティエンイー) 写真·郭実(クオーシー) Year 1998 Issue 10 PDF HTML
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3368. 竜門洞から長春観へ―丘処機の足跡をたどる
一七四年、全真道の祖師王重陽(おうちょうよう)の三年の喪が明けると、弟子たちは互いに別れを告げ、それぞれの道を歩み始めた。丘処機(きゆうしょき)は戸(フー)県から、現在の陜西省宝鶏(バォチー)の磻渓(パンシー)に移り、洞穴の中で厳しい修行に打ち込んだ。六年間、毎日一食の施しを受けて飢えをしのぎ、食器一つ置かない質素な暮らしを続けた。その一方で、困難に耐え抜く根性を鍛えるために夜も昼も眠らず座禅を組
Author: 文·楊天乙(ヤンティエンイー) 写真·郭実(クオーシー) Year 1998 Issue 11 PDF HTML
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3369. 呉県―太湖観光のニュースボット
中国の名湖、太湖(タイフー)と言えば、まずは無錫(ウーシー)が思い出される。太湖の美しさを堪能するには無錫に行くのが一番と思っている人が多いが、今回紹介する呉県(ウシエン)には、今まで知られることのなかった太湖の魅力が隠されている。梅花の海呉県市は、蘇州(スーチョウ)を取り囲むようにして太湖に面している。太湖の総面積二千四百平方キロの四分の三と、太湖七十二峰のうち五十八峰を擁し、その眺めは素晴らし
Author: 文·劉東平(リウトンヒン) 写真·高学余(カオシュエユー) 凌奕(リンイー) Year 1998 Issue 11 PDF HTML
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3370. 最後の神仙 張三豊
丘処機(きゅうしょき)の足跡を追って隴(ロン)県に行く途中、宝鶏(ハオチー)の金台観(きんだいかん)を訪れた。丘処機亡き後の道教界で最も偉大な道士として知られる張三豊(ちょうさんほう)がかつて修行した道観である。張三豊は一二四七年前後に生まれ、一四〇三年から一四二四年の間に没したという。大変長寿だったのだろう。才知に優れ、呂洞賓(りょどうひん)、丘処機に次いで「この世の仙人」と人々に敬愛された。が
Author: 文·楊天乙(ヤンティエンイー) 写真·郭実(クオーシー) Year 1998 Issue 12 PDF HTML