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Your search : [ author:沈延太 王長青] Total 48 Search Results,Processed in 0.144 second(s)
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21. 祭日(下) 伝統行事が生活を彩る
旧暦一月十五日は、「元宵節(ユェンシャオジェ)」または「灯祭(ドンジ)」と呼ばれる伝統の祭日だ。北京の「元宵節」は、特に明代にきわめて盛んになり、一月八日から十八日まで大規模な灯籠の市(いち)が行われていた。その場所は、いまわが家のある灯市口だった。当時の市は灯籠の観賞と商売を兼ねたもので、市では雑貨、骨董品、食べ物が売られたほか、踊りや曲芸など、民間演芸の出し物もあった。昔、市で売られていた灯籠
Author: 沈延太 王長青 Year 2000 Issue 3 PDF HTML
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22. 古都を愛する外国人たち
今日、日本から小川護雄さんの手紙を受け取った。小川さんの手紙には「…日本での出勤は電車に乗らなくてはなりません。しかも一時間三十分も立ったままです。車内は身動きできないほど混んでいて、会社につくと、くたびれてしまいます。やはり中国で暮らしたく存じます」とあった。小川さんと初めて知り合ったのは、北京市東城区の、ある四合院だった。それは一九九七年夏のことで、私たちは精緻な浮き彫りレンガで作ったアーチ型
Author: 沈延太 王長青 Year 2000 Issue 4 PDF HTML
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23. 消えゆく青空市場
そろそろ退社の時間になると、「今日の夕ご飯は何にするの?」などと同僚から声がかかる。「炸醤麺(ジャジャンミェン)よ。今朝、竹杆胡同の市場でブタの挽き肉と手打ちうどんを、もう買ってあるの」。私の場合はこう答えることが多かった。「炸醤麺」は、北京人の昔からの好物だ。材料は、肉味噌、うどん、そしてせん切りのキュウリやモヤシなどの野菜になる。簡単な料理だから、味のよしあしは、とにかく肉味噌にかかっている。
Author: 沈延太 王長青 Year 2000 Issue 5 PDF HTML
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24. 街は時代を映す
北京は三千年の歴史を誇る古都として知られている。特に元、明、清三朝の都だった六百余年の間に、その原型が築かれ、独特の風格が形成された。金色に輝く宮殿、雄大なる寺院、皇族、貴族の大邸宅、大小の庭園、様々な亭、楼閣、至るところに散在している胡同と四合院……。これらすべてが北京に憧れる内外の観光客に、無限の夢を抱かせる。五十年前の新中国建国当初、名高い建築学者、梁思成は旧城を保護する設計プランを提出して
Author: 沈延太 王長青 Year 2000 Issue 6 PDF HTML
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25. 「老舎研究会」北京胡同の旅
今年初め、中国人民対外友好協会の許氏から、同協会が日本の「老舎研究会」を招いて「北京胡同の旅」を企画しているとのお話があった。しかもこれには会の主催者、中山時子先生が自ら訪中団を率いてこられるという。懐かしい方に会えると知って私たちは興奮した。「老舎研究会」は、長期にわたって日中友好運動に関わり、中国文化、特に老舎の作品の研究を続けている。会員には『人民中国』誌の読者が少なからずいて、一九九八年七
Author: 文·写真 沈延太 王長青 Year 2000 Issue 8 PDF HTML
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26. ダイ族の水かけ祭り
〈グラフ参照〉陽春の三月、記者は雲南省のシーサンパンナ(西双版納)に住むダイ(傣)族の水かけ祭り(中国語で潑水節(ポーシユイチエ)という)を取材するため、省都昆明から空路一時間で辺境の町思茅についた。そこからまた自動車に乗りかえ、曲りくねった山道と原始林を抜けて、五、六時間走ると、瀾滄江(ランツアンジアン)に面した景洪にたどり着く。ここは、シーサンパンナ·ダイ族自治州の州都である。ダイ族の総人口は
Author: 沈延太 Year 1981 Issue 3 PDF HTML
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27. 農民カメラマン 張り切る
新しい時代がやってきた新婚旅行で杭州に行ってきたばかりの若いカップルが、村に戻るとすぐに彭浦(ほうほ)郷文化センターに駆け込んだ。センターでカメラ技術を教えている程さんに相談するためだった。二人は新しいカメラを買い、西湖でハネムーンをすごすため喜びいさんで出かけたのだが、どうしたことだろう、撮ったフィルムを現像してもらったところ、構図はいいかげん、絞りもなってなくて、せっかくの記念写真がみなピンボ
Author: 沈延太 Year 1986 Issue 11 PDF HTML
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29. 清朝崩壊から80年ラストエンペラーの一族はいま……
中国史上最後の封建王朝となった清朝は、もと東北の地から起こり、中国本部に攻め入って北京を都と定め、全中国を統一した。時に1644年、この広大な天地に君臨する皇帝として、愛新覚羅(アイシンキヨロ)の姓は至上の栄光に包まれた。それから10代、皇帝溥儀(フイ)が即位して3年後の1911年、この年の干支から辛亥革命と呼ばける革によって、彼ら一族はその地位を追われ、続く80年の激動の歴史の中で、はげしい転変
Author: 写真 沈延太 Year 1990 Issue 11 PDF HTML
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30. 第二の故郷に“里帰り”柳田泰雲氏揮毫の石刻が泰山に
泰山の山頂·玉皇頂にほど近い丈人峰の中腹に刻まれた「国泰民安」の四文字。一字が方一メートル。くっきりと岩に刻まれ、鮮やかな朱色が施されている。書道に親しんだ方なら、きっと一目で、揮毫の書家がお分かりになるのでは?日本漢字書道の最高峰をきわめ、自他ともに第一人者と認めていた故柳田泰雲氏、最晩年の作品なのである。一九八九年九月、中華人民共和国成立四十周年を祝うため、八十八歳の高齢を押して中国を訪れた柳
Author: 写真 王長青 Year 1991 Issue 4 PDF HTML