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Your search : [ author:李順然=文 中尾太郎=絵] Total 26 Search Results,Processed in 0.179 second(s)
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21. 城壁と地下鉄とバスと
北京オリンピックを前に、北京では地下鉄の新しい路線が急ピッチで増設されているが、市民からいちばん親しまれているのは、やはり以前からあった1号線と、俗に環状線ともいわれている2号線だろう。1号線は北京のメインストリートである長安街の地下を走っており、2号線は旧北京を囲む城壁の跡の地下を走っている。2号線、つまり環状線には十八の駅があるが、そのうちの十一の駅は復興門、西直門、阜成門といったように「門」
Author: 北京放送元副編集長 李順然=文 Year 2007 Issue 9 PDF HTML
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22. 多くの人材生んだ北京
北京の最大の魅力は、この土地に、人類が五十万年にわたって絶えることなく営々と生き続けてきたことだろう。五十万年前の人類である北京原人(シナントロプス·ペキネンシス)の化石が北京西郊外の周口店で発掘されたのに続いて、二十万年前の人類である新洞人、二万年前の人類の山頂洞人の骨や歯、石器などが周口店一帯で出土した。また、一万年前から四、五千年前の新石器時代の遺跡になると、北京の東西南北あちこちで見つかっ
Author: 北京放送元副編集長 李順然=文 Year 2007 Issue 10 PDF HTML
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23. 坂のない「平原」の街
私は子どものころ、東京の代官山に住んでいた。東横線の踏切を渡って坂を登りきったところに、私の家があった。幼児洗礼を受けたのは赤坂の霊南坂教会、あのあたりも静かな坂が多かった。小学校は九段の暁星だった。中央線の飯田橋で降りてしばらく歩き、坂を登ったところに小学校があり、さらに登ったところに中学校があった。なにしろ、東京は坂の多い街である。二十歳のとき、この東京から北京に来て暮らすようになる。北京には
Author: 北京放送元副編集長 李順然=文 Year 2007 Issue 11 PDF HTML
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24. 「同一个世界 同一个夢想」
一月号のこのコーナーで、中国共産党と中国国民党の戦いでの北京平和解放について書いたが、元王朝と明王朝の戦いでも、それに続く明王朝と清王朝の戦いでも、北京はほぼ平和「解放」であった。元·明合戦では、明軍の攻撃を待たずに元の皇帝の順帝や皇太子たちは、北京の北の城門である徳勝門から故郷の蒙古草原に脱出している。その三日後、洪武元年(一三六八年)八月二日に明の名将である徐達将軍の率いる明軍が、北京の東の城
Author: 北京放送元副編集長 李順然=文 Year 2007 Issue 12 PDF HTML
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25. 「あのころ」を呼び覚ます音の風景
もう三十年も前のことだ。私は北京放送で仕事をしていたのだが、「北京―音の風景」という番組を制作したことがあった。北京の街のあちこちで音を録音し、それにナレーションを添えていく番組で、とても楽しい仕事だった。聴覚は視覚とともに数々の思い出を頭に刻み込んでくれる。半世紀、五十余年も前に北京にやって来て暮らすようになったばかりのころの記憶の中には、いまも耳の奥にしっかりと刻まれている音の風景が少なくない
Author: 北京放送元副編集長 李順然=文 Year 2007 Issue 2 PDF HTML
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26. 一九四九年一月三十一日
一九四九年の一月は、北京の歴史にとって特筆されるべき月であった。中国共産党と中国国民党の間の戦いで、北京が平和解放されたのである。故宮、天壇、頤和園といったユネスコの世界遺産にも登録されている北京の名所旧跡をはじめ多くの文化財が、戦火を免れ、無傷で後代に残されたのだ。北京の平和解放は、共産党、国民党を問わず、役人、民間人を問わず、北京を愛する多くの良識ある人々の知恵と勇気によって為し遂げられた壮挙
Author: 北京放送元副編集長 李順然=文·写真提供 Year 2007 Issue 1 PDF HTML