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Your search : [ author:李奈] Total 27 Search Results,Processed in 0.146 second(s)
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21. チベット篇(15) チョモランマ峰の旗雲
雪蓮「チベットの敦煌」といわれる薩迦(ギャヤ)寺を見て、中国とネパールを結ぶ中尼公路に戾ってきたとき、もう現地の昼食時間になっていた。運転手のドゥオジくんは酥(スーユ)油茶をのみに行き、私たちは漢族がやっている町はずれの小さい店に入って食事をした。ヒマラヤの山麓には温泉が多い。ラゼの町から七、八キロのところにも硫黄泉があって、いろいろな病気に利くというので立ち寄る人が多い。私たちも今日の予定に入れ
Author: 李奈 Year 1988 Issue 6 PDF HTML
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22. さらば青蔵高原
山頂の儀式ネパールとの国境の町、樟(ザン)木(ム)は連日の雨で、鉄砲水や土石流のためあちこちで道路が壊れ、私たちは三日間動けなかった。四日めのひるごろ雨が止み、午後には交通が回復して正常に戻ったので、夕方、食事も取らずに帰途についた。ところが、シガゼへの戻り道を一時間近くたどった山中で、濃霧に包まれてしまった。深い谷底から湧き上がるネズミ色の濃霧が、山林と道路を覆い、たちまち私たちを巻きこんで、視
Author: 李奈 Year 1988 Issue 7 PDF HTML
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23. 中国のシリコンバレーか?北京の“電子街”
八五年一月号の本誌に、私は「北京西郊の商店街を歩く」と題する小文を書いた。白石橋(パイシーチアオ)から中関村(チユングワンツン)まで、数キロの街区の紹介である。七〇年代には、その一帯はまだ「街(まち)」と言えるほどのものはなく、頤和園に通じるたった一本の「道」にすぎなかった。道の両側には野菜畑が続き、肥だめが点在していた。時まさに「文革」中、これといった仕事もなかったので、よく自転車であちこちぶら
Author: 李奈 Year 1988 Issue 8 PDF HTML
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24. 腐敗は一掃できるか
中国共産党中央委員会政治局拡大会議は、七月二十七日、「近い将来、大衆が関心をよせるいくつかの事をやることについての決定」を討議、採択したが、これが北京の町で話題になっている。要旨は次の七つ。一 公司の整理·整頓をさらに進める。二 高級幹部の子女の商業経営を厳しく禁止する。三 若干種の食品の指導者への「特別配給」を廃止する。四
Author: 李奈 Year 1989 Issue 11 PDF HTML
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25. なぜ村ぐるみ豊かになったのか―その秘密
村の貧しさあの十年の動乱「文化大革命」の嵐を乗り越えて、一九七七年の夏、五十二歳の閻建章さんは、再び河北省蠡県辛興村の党支部書記に返り咲いた。村の人びとの信頼と、期待を一身に荷なっての登場だった。しかし、現実は彼の想像以上にきびしかった。ある日閻さんは、三人の農民をつれて畑の排水にでかけた。これは就任後の最初の野良仕事だ。かれらは朝はやばやと畑にやって来た。しかし三人はついてからもすぐ仕事にとりか
Author: 戴郁思 李奈 Year 1985 Issue 9 PDF HTML
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26. 請負制が活力をもたらした
「請負(うけおい)」と呼ばれる経営管理方法が、この数年来の経済体制改革の試みの中で、一つのすぐれた形式として定着しつつある。請負は、まず農村から始まった。「人民公社」の集団経営方式を改革する過程で、土地の所有権(農民集団に属する)は変えないという前提の下で、経営権を各農家に与えたのである。家族数と労働力に応じて土地が分配された。収穫物のうち、政府に納める税と、あらかじめ契約した量の農·副業産物の他
Author: 常春城 李奈 Year 1988 Issue 11 PDF HTML
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27. 内蒙古草原放牧の暮らし
騎馬民族の名に恥じない民族内蒙古草原に入ってまもなく、思いがけない事故にあった。ある日の夕方、ホト(牧畜民の集落)での取材を終えて、宿泊所に戻る途中、車が故障してしまった。運転手は顔じゅう汗だらけになりながら、修理したが、どうしても直らない。通訳の田茨さん―彼女は高校生で夏休みのアルバイトとして通訳を買って出てくれた―が車の警笛を鳴らして、“救援”を求めた。けれども、これもむだである。二人の若者は
Author: 本誌記者 李 奈 Year 1984 Issue 5 PDF HTML