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Your search : [ author:李奈] Total 27 Search Results,Processed in 0.106 second(s)
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11. チベット篇④ 地熱·温泉·温室·発電
海抜四七〇〇メートルの湖沼地帯那曲(ナツチユ)の町での取材を終え、南へ急ぐ。南下するにつれて水と草が多くなる。海抜が低くなり気温が上がっているからだ。ナッチュの牧草は、ちがやの類が多く、長くても二〇センチほどの草丈しかなかったが、二〇〇キロ離れた当雄(ダムシヨン)あたりに来ると、もう草丈が四、五〇センチをこえる大牧場があり、草原はいちめんの花ざかりだった。「青いのはリンドウ。紫と白のは……、ピンク
Author: 李奈 Year 1987 Issue 7 PDF HTML
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12. いよいよラサへ
地熱田のあった羊八井(ヤンバージン)からラサまでは九〇キロ、一時間の行程だ。ただ、景色が一変して草原は姿を消し、道路は急流に沿って、切り立った崖の間をカーブしながら下って行く。やがて、ところどころに青稞(チンコー)麦や小麦、菜種の畑が見え、山のふもとや道路ぎわに、ポプラや柳がぼつぼつ目につくようになり、ラサ近郊は農業地帯のような景観だ。麦が黄金色に輝き、収穫が始まっいる。作業している人はみな、長い
Author: 李奈 Year 1987 Issue 8 PDF HTML
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13. 茶畑のひろがる別天地
ホワイトカラー恥じ入るラサでも、やはり招待所に泊った。そこで、チベットの東南部から来ていた運転手と知り合い、林芝(ニンチ)まで戻りのジープに乗せてもらうことになった。バスより一日か二日早く着けるし、車代も助かるし、大いにありがたい。ラサからニンチまでの四〇〇キロの道は、チベットと四川を結ぶ自動車道路、川蔵公路の一段だ。舗装がまだなので土ぼこりがすごい。旧型の北京ジープは密閉性がよくないのか、車の中
Author: 李奈 Year 1987 Issue 9 PDF HTML
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14. 南部の水郷で
学校教育のこと林(ニンチ)芝や八一鎮では、連日の雨に降りこめられて思うように動けず、私たちは大弱りだったが、学校の多い八一鎮には、九月一日からの新学期を前に、新入生が続々と集ってきていた。はるばるとバスで来たり、川を牛皮船で来たり。騎馬で来る者もオートバイで送られて来る者もいるが、みな親がいっしょだ。まだ十日もあるのに入学してしまう。手続きが済むと、町へ出て学用品や生活用品を買う。寝具などは知り合
Author: 李奈 Year 1987 Issue 10 PDF HTML
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15. 少数民族中の少数民族 ローパ族の村にて(上)
先住土着民族の一つ水郷のナンツェ島をあとにして西南へ三十分あまり、ジープはチベット第一の大河ヤルンズアンボを渡った。一〇〇〇メートル近いアーチ形の、コンクリートの大きい橋は、崗嘎(ガムガル)大橋。川は濃い藍色だった。水面は静かに見えるが、やはり流れは急なのだろう。世界の屋根にこんな永久構造の橋が出現したのは、この三十年らいのことだ。それまでは牛皮船とか、藤づるや丸木や竹、ロープなどの臨時の設備に命
Author: 李奈 Year 1987 Issue 11 PDF HTML
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16. 少数民族中の少数民族 ローパ族の村にて
ダユンの家ローパ族の村で一軒、忙しそうに人が出入りして沸いている家があった。様子を見に入っていったミマツリン区長の話によると、この家は村を代表して「お宿」をしているのだそうだ。その日は、村にはじめて電気が引ける日で、町からチベット族の電気工事の人が来ていた。その人たちにおひるを食べてもらうために、支度のさいちゅうで、となり近所総出で手伝っているところだった。どんな様子か、私も入ってみたいなと思って
Author: 李奈 Year 1987 Issue 12 PDF HTML
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17. 山南チベット族の発祥の地(中)
ゼタン見聞沢(ゼタン)当へ着いた翌日の午後、ぶらりと鎮(まち)へ出てみた。面積は四、五平方キロある。住民の交通手段は、主として自転車。バスは走っていない。内地では、「鳳凰」「飛鴿」など、メーカー品の自転車は特別の購入券がないと買えないが、チベットでは自由に買える。辺境地区への“特別配慮”の分配だそうだ。ゼタンの住民は一万に余るらしいが、内地のような人通りは見られない。身なりからして、多くは、郊外あ
Author: 李奈 Year 1988 Issue 2 PDF HTML
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18. チベット篇(12) 山南チベット族の発祥の地(下)
チベット王の陵園きょうは山南には珍しい雨模様。ほとんど刈り入れの済んだ麦畑の中を、ゼタンから西南へジープで小一時間、チョンギエを過ぎると、やがて穆(ム)日(リ)山の山腹に吐蕃時代のチベット王の陵園が現われた。ピラミッドの上部を切ったような土の山がいくつかあり、それが墓だ。大きいのは高さ四〇メートル底辺が二〇〇メートルもある。ここはチベット族が聖地としてあがめる王家の墓地だ。いまはほかにだれもいない
Author: 李奈 Year 1988 Issue 3 PDF HTML
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19. 最後の旅程に入る
未明の天葬(サンミエ)寺の参観を終え、山南地区の予定は大体済んだ。「たいへんな旅だったな」と思う。だが「やったぜ!」という気もする。チベット高原でもう二カ月になっていた。県の仕事をしている漢族の人から月見の菓子「月餅(ユエビン)」を配られ、中秋節だったかと気付く。漢族にとっては一家団らんの日、この夜、異郷の月はことのほか明るく、てのひらに感じる月餅の重みに鼻の奥がジンとなった。いささかだらしないが
Author: 李奈 Year 1988 Issue 4 PDF HTML
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20. チベットの篇(14) 英雄の町 山男の町……
英雄の町チベットの聖なる湖ヤムゾ湖の西岸ぞいをジープで一時間あまり、水と緑の美しい景色をたんのうしたころ、道路は湖岸を離れた。途中で見つけた兵站部で軽いものを食べ、また先を急ぐ。しばらく行くうち、道路わきに古代ののろし台のようなものが並んでいるのが目についた。外側は土で塗りかため、こわれたところから中の石組みが見えたりする。よく見るとそれがみな電線でつながっている。「江村くん、あれは電柱の代わり?
Author: 李奈 Year 1988 Issue 5 PDF HTML