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Your search : [ author:文 写真·鄧勃] Total 4060 Search Results,Processed in 0.111 second(s)
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2331. 松花江畔の大コンビナート
吉林省の吉林市にある「吉林化学工業公司」は、中国屈指の化学工業コンビナートとして知られている。労働者·職員は12万人、20億元余の資産と110余の設備を擁する代表的なマンモス企業に成長した。原料は石油と石炭。化学肥料、合成染料、カーバイド、石油精製、有機合成の五大工場を中心に、設計、科学技術研究、計器、機械、発電、鉱山開発、鉄道·道路輸送から従業員の生活までが一体になった一大コンビナートである。
Author: 〈本文参照〉写真 王恩普 Year 1991 Issue 3 PDF HTML
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2332. 踏青·春游
二十四節気の清明(四月五日ごろ)が近づくと、わたしの勤め先北京放送の日本語部では春のピクニックが話題になります。遠くに出かけることを主張する「若手行動派」の唐莉莉アナウンサーたち、「虚」より「実」という「花より団子派」の中年女性グループ(失礼!)、そしてその調停役を勤める労働組合の陳さん……、だいたい折衷案が通るのが毎年の習わしとなっているようです。「草色青青柳色黄(そうしよくせいせいりゆうしよく
Author: 文·李順然 え·于叔方 Year 1991 Issue 4 PDF HTML
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2333. ミャオ族と竜の刺繡
竜が中華民族のシンボルであることは、ひろく知られている。中華民族の間に、竜の形象が“発祥”したのは、いつの頃だったろうか。数千年の歴史を経て、今日、竜として知られる空想上の動物の形態が定められたのである。角は鹿、頭はラクダ、目は牛、胴体はヘビ、足は虎、爪は鷹。それぞれに実際の動物の形態の一部分を兼ねそなえ、全身が鱗で包まれた竜は、「鱗虫の長」とされ、漢族はもちろん、中華民族を構成する各少数民族の間
Author: 写真 更生 文 魯忠民 Year 1991 Issue 4 PDF HTML
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2334. 戈と武
今年の一月二十九日の深夜のことでした。北京放送東京支局の陳風君から「井上靖先生がさきほど亡くなられました」という電話を受けとったのです。電話を聞きながら頭に浮かんだのは「美しく老いたい」という井上靖先生のことばでした。「井上先生は人々から惜しまれつつ実に美しく逝かれた」―わたしはそんな気持ちで受話機を置いたのです。井上靖先生に最後にお目にかかったのは、メモをみると一九八九年の五月二日となっています
Author: 文·李順然 え·于叔方 Year 1991 Issue 5 PDF HTML
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2335. 張三李四
茉莉花(まつりか)の白く香るや四合院(スウホウユアン)北京放送の東京支局長をしていたころのことです。NHKのテレビで『太郎の国の物語』という番組をみました。明治国家について語る司馬遼太郎さんのトーク番組です。この番組のタイトルについて司馬遼太郎さんは「英国を『ジョンの国』と考えてもいいし、ロシアは『イワンの国』、中国の場合は―ちょっと語感はちがうが―『張三李四(チヤンサンリースウ)の国』かも知れず
Author: 文·李順然 え·于叔方 Year 1991 Issue 6 PDF HTML
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2337. 「簡体字」
先日のことです。北京の本屋さんで『二十一世紀―漢字が威力を発揮する時代』というタイトルの本を目にしました。この本に収められた数編の論文は「コンピューターなどの近代科学の進歩は、漢字に活路をもたらす可能性を秘めている」ということから話をおこし、「単純に漢字は後れた文字で中国の前進の重荷になっているとかたづけてしまう論調は再検討すべきだ」と説き、「漢字にたいする公正な、客観的な再認識」を求めていました
Author: 文·李順然 え·于叔方 Year 1991 Issue 8 PDF HTML
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2338. 書と本
中国では一般に五日間の平均気温十度から二十二度までを春とし、また秋としています。この規準ですと、北京の秋は九月八日から十月二十二日までの四十五日間ということになります。宋の詩人楊万里(一一二七~一二〇六年)が『感秋』という詩で「書冊は秋に読む可く、詩句は秋に捜す可し」と歌っているように、中国でも秋は読書の季節、今回は読書にちなんだお話です。中国旅行の魅力の一つは、筆談である程度意志が通じることだと
Author: 文·李順然 え·于叔方 Year 1991 Issue 9 PDF HTML
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2339. 春秋晋国未盗掘の大墓発見
地下に二千五百年も理もれていた春秋戦国時代の大規模な墓が、一九八七年に、山西省太原市の南一五キロの金勝村で、太原火力発電所の拡張工事中に発見された。山西省考古研究所と、太原市文物管理委員会がこの墓の発掘調査をしたところ、墓口が一一×九·二メートルで、墓底が八·八×六·八メートルもある大きな墓が現われた。椁(かく)室は石と木炭を積んで築いてあり、四周の壁面、頂部、底部、ともに一メートル近い厚さで、石
Author: 本文参照 写真 李健生 Year 1991 Issue 9 PDF HTML
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2340. 登高·秋游
四月号の第四話のタイトルは、「踏青(タアチン)·春游(チユンヨウ)」でしたね。「春游」とは春のピクニックのこと、昔はこの春游のことを「踏青」―青青と萌えでた若葉を踏む―とも言っていたそうです。四月の北京は「梨(り)花(か)は淡白(たんぱく)にして柳(やなぎ)は深青(しんせい)、柳絮飛(りゆうじよ)ぶ時花城(はなしろ)に満(み)つ」(宋·蘇賦―一〇三六~一一〇七年)といった春景色に溢れていました。あ
Author: 文·李順然 え·于叔方 Year 1991 Issue 10 PDF HTML