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Your search : [ author:陳克平 作] Total 234 Search Results,Processed in 0.127 second(s)
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191. 蓮生貴子―多産の願い
数ある民間芸術の中で「蓮生貴子」(れんせいきし。蓮は連、次々にいい子を生む)は常用される伝統吉祥図の一つであり、蓮華紋となるともっと普及している。その由来をたずねると、蓮華図は仏教と関係がある。お釈迦様の古里には青、黄、赤、白などたくさんの蓮華があったといわれ、その蓮華をたとえ話の材料にして仏の道を説いたそうだ。また阿弥陀様は蓮華を住まいにしたという。そこから蓮華は極楽浄土の象徴になった。むかしの
Author: 収蔵 賈作梁 周回鎖 写真·文 魯忠民 Year 1992 Issue 6 PDF HTML
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192. 中日韓 色の比較文化論
私の妻が初めて日本にやって来たのは一九九七年の秋のことだ。それから半年ほど経った頃、私は彼女に「どう、日本の印象は?」と聞いてみた。彼女は「う~ん」と、しばらく考えてから「色に例えて言うなら、日本は特に何色と名付けられない雑色ね」と言った。「中国人と比べて、日本人の着ている服は曖昧な中間色が多いし、日本人のハートや表情だってそんな感じだわ」。私はまったくその通りだ、と思って何度もうなずいた。色にみ
Author: 文化人類学者·在日中国人作家 金文学 Year 2001 Issue 1 PDF HTML
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193. チベット画大師 アムド·チャンパ氏を訪ねて
チベットでは、宗教を題材とした重要な絵画には、作者の名前をつけないのが慣例となっている。有名な寺院宮殿のポタラ宮やノルブリンカの壁画は、歴史を刻んだ貴重な文物として称えられているが、作者たちのことを知る人は少ない。その一人が、安多強巴氏(アムド·チャンパ)(一九一四~)である。中国中央テレビ局(CCTV)は一九九七年、文芸番組「美術の星空」で、チベットのこの百年を絵画にしるしたチベット画大師·アム
Author: 文 写真·温普林(ドキュメンタリー作家) Year 2001 Issue 9 PDF HTML
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194. 茶菓子遊びとプロポーズ
前回、明末期の儒学者·朱之瑜(号は舜水)に触れたが、彼の名前からは、同時代の著名な文人である李漁(浙江省蘭渓出身、号は笠翁、一六一一~八○)を思い出さずにはいられない。朱之瑜と李漁はともに浙江省の人だが、性格はまるで違う。朱は、まじめすぎるくらいまじめで、一方の李は、何をするにも遊び心を持っていた。朱は、江戸前期の日本での儒学の発展に貢献し、特に水戸学の形成を推進した。李は、日本に足を踏み入れたこ
Author: 日本在住中国人作家 靳飛 Year 2002 Issue 2 PDF HTML
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195. 竜之介と「草決明」
日本では、サクラが開花する旧暦三月(新暦では四月頃)は「サクラの月」と呼ばれる。しかし、この季節に私が最初に思い浮かべるのは、サクラではなく、大作家·芥川竜之介である。今年は、一八九二年三月一日生まれの彼の生誕百十周年に当たる。私は、まだ日本について全く知らなかった十六、七年前、初めて芥川の作品に触れた。当時北京では、毎年一回、古本市が開かれていて、大量の古雑誌を買い集めたが、その中に、中国の作家
Author: 日本在住中国人作家 靳飛 Year 2002 Issue 3 PDF HTML
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196. 「春茶」の味わいと思い出
二月初めから三月初めの一カ月、私は北京、天津、南京、上海を訪れた。どうしたことか、旧正月前後の北京と天津は、大げさに言えば、まるで初夏のような陽気だった。三月初めの南京では、ぐずついた日が続き、ようやく肌寒さを感じた。南京に着いた日、ちょうど梅祭りが開幕した。私は友人と連れ立って「梅見」に出掛け、ふと「梅の花が春を告げる」という故事を思い起こした。北はもう初夏で、南では梅で春を感じるなんて、南北が
Author: 日本在住中国人作家 靳飛 Year 2002 Issue 5 PDF HTML
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197. 茶禅一味
私は今までに六回、京都に遊んだが、また行くチャンスが巡ってきた。今回は、何が何でも建仁寺まで足を伸ばしたい。実は、ずっと前から行きたかったが、きっと、縁がなかったからだろう。門の前を通ったにも関わらず、入れなかったこともあった。今年はちょうど、建仁寺建立八百周年に当たる。今回の京都訪問では、ようやく私の願いを果たせるだろうという予感がする。建仁寺にひかれるのは、もちろん、そこが栄西禅師(字は明庵)
Author: 日本在住中国人作家 靳飛 Year 2002 Issue 6 PDF HTML
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198. ふるさとの茶を日本で楽しむ
今年は、京師大学堂(北京大学の前身)の初代総教習(学長に相当)である呉汝綸の日本視察百周年であり、魯迅の日本留学百周年でもある。二つの百周年とその背後にある物語に、私は無限の感慨を覚える。日本が中国から学んだ歴史は千年以上になるが、一方で、中国人が本気で日本に注目し始めてからは、わずか百年程度という事情に思い至る。清代の初の駐日外交官は、なんと、通訳を伴わなかったと言われている。おおかた、日本でも
Author: 日本在住中国人作家 靳飛 Year 2002 Issue 7 PDF HTML
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199. 「忙中閑」と「不動心」
京都の金閣寺で、おもしろいことに、偶然にも耳かきを見つけた。古くて素朴な竹筒の中に、二本の竹製の耳かきがあり、竹筒には、筆で「忙中閑」の三文字が書かれていた。また、金閣寺境内の簡素な茶室には、「不動心」という横額が掛けてあった。一部の人にとって、きらびやかな金閣寺は、俗っぽい存在に映るだろう。しかし、「忙中閑」と「不動心」の六文字は、金閣寺のそんな光り輝くイメージを帳消しにしている。実は、茶の道こ
Author: 日本在住中国人作家 靳飛 Year 2002 Issue 8 PDF HTML
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200. 茶を楽しむ友のこと
「茶を喫するときは、瓦屋根で障子のある家の中で、清い泉の水で緑茶を入れ、質素で気品のある茶道具を使い、二、三人でいっしょに飲むべきだ。半日ほどの暇な時間を過ごすことができれば、それは十年も見てきたささやかな夢にも匹敵する」―これは周作人(知堂)の有名な言葉である。時の移り変わりにつれて、瓦屋根の家を見つけるのは容易なことではなくなったが、探せば探せないこともない。清泉の水も緑茶も入手できないことは
Author: 日本在住中国人作家 靳飛 Year 2002 Issue 9 PDF HTML