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Your search : [ author:駒田信二] Total 27 Search Results,Processed in 0.099 second(s)
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11. 二七記念塔と商代遺跡―河南省鄭州市
鄭州で私たちが泊ったホテルは、金水路と城東路とが交わるところにある中州賓館だった。私設秘書のアルバムには、その中州賓館の写真の脇に、〈部屋はとても古いかんじです。外見の方がすばらしい。バスルームの電気がつきませんでした。毎度のことですが……〉と書かれている。バスルームから出てきた彼女は、私に、「鄭州って、どういうところなの」ときいた。「河南省の省都だよ」「それは知ってるけど……。むかしの鄭の国があ
Author: 駒田信二 Year 1987 Issue 12 PDF HTML
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12. 皋蘭山と白塔山―甘粛省蘭州市①
シルクロードへの旅を、私たちは、蘭州からはじめた。それは、いきなりというべきかもしれない。昨年(一九八七年)の九月九日のことである。私たち―東方書店の安井、八木、阿久津の三氏と、私の友人の書家の横山英子(栄仙)さんと、そして私たち夫婦との一行六人―は、中華書局の許宏さんに案内役をたのみ、人民中国雑誌社顧問の康大川さんにも同行してもらって、北京から飛行機でいきなり蘭州へ行ったのだった。許さんには二年
Author: 駒田信二 Year 1988 Issue 1 PDF HTML
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13. 私のシルクロード②
浜河路の小公園と蘭山公園―甘粛省蘭州市蘭州市の黄河南岸沿いの広い道路は、中山橋(ちゆうざんきよう)以西は浜河(ひんか)中路、中山橋以東は浜河東路と呼ばれているが、二十数キロに及びその浜河路と黄河の河岸とのあいだには、幾つもの小公園が設けられていて、そのところどころに近代的な彫刻が配置されている。それらの彫刻の中で、最も目につくのは「黄河母親」と題されている巨大な石の彫刻である。肱をついて躰(からだ
Author: 駒田信二 Year 1988 Issue 3 PDF HTML
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14. 私のシルクロード③ 麦積山石窟―甘粛省天水市
蘭州で二泊して、三日目の九月十一日の早朝、私たちは、荷物は宿舎の金城賓館においたまま、マイクロ·バスで天水へ向った。天水で二泊して、またもどってくるという旅程だったのである。六時半ごろで、まだ夜は明けきっていなかった。日中の気温は四十度ちかくまでのぼるのだが、早朝は二十度を少し越えるくらいで、うすら寒い。食事をしていなかったため、よけい寒さを感じたのかもしれない。七時ごろ、バスは南城巷という裏町の
Author: 駒田信二 Year 1988 Issue 4 PDF HTML
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15. 私のシルクロード④ 石門山、甘泉基督教会―甘粛省天水市②
麦積山の東北約五、六キロのところに仙人崖があり、仙人崖の東南約十二、三キロのところに石門山がある。仙人崖も石門山も、国務院指定の「麦積山風景名勝区」である。仙人崖は、『天水史話』によれば、三崖(三庵ともいう)、六寺、五蓮山から成るという。三崖とは東崖、西崖、南崖。六寺とは花蓮寺、鉄蓮寺、水蓮寺、木蓮寺、石蓮寺、霊広寺。五蓮山とは仙人崖の五つの峰。―と書かれている。ところが、甘粛省天水地区博物館編の
Author: 駒田信二 Year 1988 Issue 5 PDF HTML
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16. 私のシルクロード⑤ 敦煌県博物館で―甘粛省敦煌県
天水賓館の売店で、私は、この地の特産物の一つである漆器の台に、玉(ぎよく)で造った「馬踏飛燕」を貼りつけた小型の飾り物を買った。店にはフランス人の観光客が五、六人いた。店員が一人しかいないので、日本の商店の場合ならその店員はてんてこ舞い(忙得不可開交)というところだが、彼はのんびり(悠閑自在)していて、私の買い物を包みかけては他(ほか)の客のところへ行き、戾ってきて私の買物を入れる箱をさがしてはま
Author: 駒田信二 Year 1988 Issue 6 PDF HTML
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17. 鳴沙山、莫高窟―甘粛省敦煌県②
敦煌の町の南方六キロほどの砂漠に、鳴沙山という大砂丘が横たわっている。東西の長さ約四十キロ、南北の幅約二十キロに及ぶ大砂丘の連なりで、その中の最も大きな砂丘は高さ二百五十メートルに及ぶという。この鳴沙山の東麓の断崖絶壁に掘られているのが莫高窟だが、私たちは莫高窟へ行く前日、―敦煌県博物館で敦煌の歴史や文物について「勉強」(学習)をした日の夕方、鳴沙山の中の一つの砂山へ行楽に行った。高さ五、六十メー
Author: 駒田信二 Year 1988 Issue 7 PDF HTML
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18. 私のシルクロード⑦ 陽関渥窪池(あくあいち)白馬塔―甘粛省敦煌県
現在の敦煌の町の西北約八十キロのところに玉門関の遺跡があり、西南約七十キロのところには陽関の遺跡がある。玉門関と陽関との距離は約七十キロ。この三地点を直線で結ぶと、ほぼ正三角形が描ける。玉門関は、唐の詩人王之渙(おうしかん)(六八八~七四二)の七言絶句「涼州詞(りようしゆうし)」(一本には「出塞(しゆつさい)」と題されている)に、黄河遠上白雲間 黄河遠く上(のぼ)る白雲の間(かん) 一片孤城萬仭山
Author: 駒田信二 Year 1988 Issue 10 PDF HTML
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19. 私のシルクロード⑧嘉峪関関城―甘粛省嘉峪関市
九月十七日、私たちは敦煌から嘉峪関へもどった。もどった、というのは、三日前、蘭州から敦煌に来る途中、私たちは飛行機の関係で、いったん嘉峪関空港で降りたからである。そのときは空港の待合室で休憩していた、というよりは、飛行機が出るのを待っていただけだったから、当然、外へ出ることはできなかった。待合室から見える外の景色は、一望千里という眺めはこれをいうのかと思われるようなゴビの広がりと、その果ての、いわ
Author: 駒田信二 Year 1988 Issue 11 PDF HTML
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20. 私のシルクロード⑨ 紅山と自由市場(バザール)―新疆ウイグル自治区ウルムチ市①
九月十八日午前九時四十分、嘉峪関空港発。十一時三十分、ウルムチ空港に着いた。約二時間、ほとんど砂漢の上ばかり飛んできたのに、降りてみると、近代的な大きな空港であった。空港では新疆文化庁の長官馬合木提(マホムテイ)さんと趙国珍さん、ほか幾人かの人の出迎えを受けた。馬合木提さんはウイグル族の男子が必ずかぶっているウイグル帽(紙風船を折りたたんだような形の、縁(ふち)なし帽子)をかぶっている。趙さんは無
Author: 駒田信二 Year 1988 Issue 12 PDF HTML