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Your search : [ author:雪生] Total 14 Search Results,Processed in 0.074 second(s)
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11. 元·騎駝胡人俑
十三世紀、アジア·ヨーロッパ両大陸は剽悍な蒙古民族の騎馬隊に攪乱され、その一部はまたたく間に征服されてしまった。その統帥が「ただ弓を弯(ひ)きて大雕(わし)を射るを識るのみ」人物と亡き毛沢東主席が諷したチンギス·ハンである。一二七九年、その孫フビライ·ハンが南宋を滅ぼして中国を統一、国号を元と称した。元を興した蒙古族は長い間、内蒙古や大興安嶺一帯で遊牧生活を送っていたので、かれらの風俗習慣は漢族の
Author: 雪生 Year 1986 Issue 10 PDF HTML
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12. 明·万暦皇帝金冠
天寿山は北京の北郊外、昌平県にある。稜線の起伏が美しい景色の秀麗なところで、通称「十三陵」と呼ばれる明代十三人の皇帝の陵墓がここにある。一九五六年に発掘された定陵はそのなかのひとつ。荘厳な地下宮殿には万暦皇帝朱翊鈞と皇后二人の柩が安置され、その周囲に青陶の花瓶、玉の装飾品、朱塗りの木箱などが並んでいた。写真の金冠は三千点余の副葬品のなかで絢爛目を奪うものがある。これは皇帝の飾り物で「翼善冠」とも呼
Author: 雪生 Year 1986 Issue 11 PDF HTML
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13. 清馬蹄袖·高底鞋
清代の服飾といえば、すぐに「馬蹄袖」と「高底鞋」を連想する。この二つは満州族のいわゆる「旗装」のなかで最も特徴あるもの。なぜその服装を旗装と呼ぶようになったのか。「旗」は満州族の軍事·生産·行政を合一した一種の社会組織形態を表わす。清の太祖·ヌルハチ(一五五九~一六二六)が国家統一の過程で分散した満州族を組織化するために制定したもので、全満州族を旗色によって正黄·正白·正紅·正藍·鑲(じよう)黄·
Author: 雪生 Year 1986 Issue 12 PDF HTML
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14. 南北朝·加彩文官俑
中国の服飾史を見ると、比較的大きな影響を残した改革が二回なされている。ひとつは四月号でご紹介した趙の武霊王が提唱したもので、いまひとつは、その改革から八百年後の南北朝時代に、北魏の孝文帝が行ったものである。孝文帝拓跋宏(四六七~四九九)は、北魏の傑出した君主であった。五歳で即位し、国事は祖母文明太后(四四二~四九〇)が司った。太后は才幹ある政治家で、鮮卑の貴族や漢族の大地主の妨害を受けながらも官吏
Author: 雪生 Year 1986 Issue 7 PDF HTML