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Your search : [ author:蓋培 史石] Total 112 Search Results,Processed in 0.091 second(s)
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11. 漢王朝400年的盛衰(中)
西漢後期の皇帝たち―激化する社会的危機西漢中期における武帝の帝国統一によって漢代の繁栄はその絶頂に達した。しかし、封建経済は土地の私有制度を基礎としていたので、農民と地主との間には土地問題をめぐって必然的に矛盾が生じ、闘争がくり広げられることになった。西漢は最初の一五〇年間に統一された強大な漢帝国を築き上げたが、後の五〇年間には、またもや急速に衰えていった。その盛衰の根本的原因はやはり土地問題にあ
Author: 史石 Year 1980 Issue 1 PDF HTML
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12. 漢王朝400年の盛衰(下)
後漢の創始者劉秀の「柔道」―後漢王朝の中興新莽王朝はわずか十五年で滅亡してしまった。王莽が死ぬまぎわも懐にしっかりと抱いていたあの「伝国の玉璽」は、農民蜂起軍の緑林、赤眉の手を経たりしたが最後には後漢王朝の創始者劉秀の手中に帰した。紀元二五年のことである。「光武」と号した劉秀が一度滅亡した漢王朝を再建したので、このことは歴史上「中興」または「光武の中興」とよばれた。光武帝は長安の東、洛陽に都をおい
Author: 史石 Year 1980 Issue 2 PDF HTML
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13. 二千年前の科学者たち
紀元前二〇六年から紀元二二〇年までの、漢時代約四百年間は、中華民族の発展史における高峰のひとつであった。政治、経済、国際関係、各方面に著しい発展が見られるが、とくに科学の領域で、群星燦爛の時代であった。ここではその中の四人の巨星を御紹介しよう。『汜勝之書』―中国最初の農学者汜勝之中国の農業の歴史は悠久である。神農氏が「人びとに農耕を教えた」と伝えられているが、具体的な年代は今では考証できない。さい
Author: 史石 Year 1980 Issue 4 PDF HTML
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14. 漢代の文化人たち
西漢(前漢)、それにつぐ東漢(後漢)の四百余年(紀元前二〇六~紀元二二〇年)は、中国の科学技術史上におけるみのり豊かな時代であったばかりか、中国の学術文化史上における輝かしい歴史的時期でもあった。哲学や史学、文学の面で名の知られた数多くの大家があらわれたが、このなかには中国の歴史上はじめての女流詩人なども姿をみせた。この時期においては、一世を風靡する人物が顔をそろえ、ながい歴史をもつ中国の伝統的文
Author: 史石 Year 1980 Issue 5 PDF HTML
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15. 三国志の世界―魏·蜀·呉鼎立
前後して四百年の支配を保った漢王朝は、黄巾の蜂起によって崩れさった。その後、中国の歴史は四百年ちかくにわたる分裂の時期に入り、三国、西晋·東晋、南北朝(西晋の時には一時的だが、十数年にわたる統一があった)を経て、晴·唐の時代に国土ははじめて統一したのである。三国とは、魏、蜀、呉を指す。紀元二二〇年、曹魏が漢にとって代わった時からはじまり、紀元二八〇年に西晋が呉を滅ぼすまでの六十一年間である。しかし
Author: 史石 Year 1980 Issue 6 PDF HTML
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16. 魏·蜀·呉三国の功業
「官渡の戦」の後、曹操は中原を統一し、さらに南下して東呉を打とうとした。「董卓の乱」以来、乱れに乱れていた山河が再統一されると見えたとき、長江北岸にあった曹操水軍大本営の所在地·烏林に天を焦がす大火があがり、対岸の赤壁を染めた。情勢は急転し、曹操、劉備、孫権の三者鼎立の局面があらわれ、三国つまり魏、蜀、呉となった。三国の形成は、統一された中国が破壊され、ふたたび統一に向かう歴史のなかでの自然の理(
Author: 史石 Year 1980 Issue 7 PDF HTML
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17. 唐代·黄釉褐斑貼花壺
カラー参照文明史の過程には、多数の創造や発明が、記載がないままに、後世、なぞとなっている。中国の下絵付陶磁器は、精彩にとみ、今日も生活の必需品であると同時に、生活に美感をあたえているが、こういうものを、だれがいつ、どこで造りはじめたか、以前は、古陶磁鑑定家でさえ答えられないことだった。その後、本号に紹介する「黄釉褐斑貼花壺」(黄釉褐斑貼花文水注·裏表紙裏参照)のような古陶磁の研究から得た手がかりと
Author: 史石 Year 1980 Issue 7 PDF HTML
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18. 竜山文化·仰流縄文紅陶鬹
カラー参照本号「古文物」(裏表紙裏)には茶褐色の陶器が紹介されている。高さは三八·七センチ。その造型はあまたある上古の陶器のなかでも一風変わったものだ。でっぷり太った三本の足、幅広い頸部の上端からは天をめざして、すごい迫力で注ぎ口が突き出ている。脇には繩であんだ形の取っ手がついており、頸部から腹部にかけては太い繩文がめぐっている。それは、幅広い頸部と太い足とがしっかり結びつけられた感じをあたえる。
Author: 史石 Year 1980 Issue 9 PDF HTML
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19. 魏晋南北朝400年の文化
古代中国の文化といえば、漢と唐の時代の文化がひときわ光っているが、四百年にわたる魏晋南北朝の文化は、前漢、後漢の文化を継承し、隋唐文化に発展していく過渡期にあたっている。魏、晋、南北朝時代は戦乱が絶えない大分裂の時代だった。この時期の文化は政治の重圧が重苦しくのしかかる状況のもとにあった。こうした異常な環境においても、生命力に富む文化の花が咲きほこり、それが中国の文化史において、ユニークな存在とな
Author: 史石 Year 1981 Issue 1 PDF HTML
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20. 魏晋南北朝 仏教の伝播と定着
インドのシャカ(釈迦)と、中国の孔子、この世界の両偉人は、いずれも紀元前五世紀から六世紀の間に生まれた。孔子が門弟、教え子をつれて諸国をめぐり、儒家の政治的主張の伝播に努めていたころ、シャカも、その門弟をひきいて、中部天竺(インド中部のこと)で仏法をひろめていた。この二人の聖人は同じ時代に生まれながら、何千キロも隔てたところでみずからの信ずるところを世人にひろめることに、没頭していたのである。伝え
Author: 史石 Year 1981 Issue 2 PDF HTML