後漢の創始者劉秀の「柔道」―後漢王朝の中興新莽王朝はわずか十五年で滅亡してしまった。王莽が死ぬまぎわも懐にしっかりと抱いていたあの「伝国の玉璽」は、農民蜂起軍の緑林、赤眉の手を経たりしたが最後には後漢王朝の創始者劉秀の手中に帰した。紀元二五年のことである。「光武」と号した劉秀が一度滅亡した漢王朝を再建したので、このことは歴史上「中興」または「光武の中興」とよばれた。光武帝は長安の東、洛陽に都をおい...
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後漢の創始者劉秀の「柔道」―後漢王朝の中興新莽王朝はわずか十五年で滅亡してしまった。王莽が死ぬまぎわも懐にしっかりと抱いていたあの「伝国の玉璽」は、農民蜂起軍の緑林、赤眉の手を経たりしたが最後には後漢王朝の創始者劉秀の手中に帰した。紀元二五年のことである。「光武」と号した劉秀が一度滅亡した漢王朝を再建したので、このことは歴史上「中興」または「光武の中興」とよばれた。光武帝は長安の東、洛陽に都をおい...