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Your search : [ author:泉 京鹿=文
北京在住の日本人ライター·翻訳家] Total 65 Search Results,Processed in 0.094 second(s)
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11. 大海を征服する娘
遼寧(リヤオニン)省労働模範者会議に島からやってきた娘さんがひとりいた。ことし二十五歳になったばかりだというのに、りっぱな漁業機帆船の船長さんである。この数年来、祖国沿海の漁場で、かの女の運転する船が姿を見せないところはない。みんなから「海の女英雄」としてしたしまれている。かの女こそは旅大(リユイター)市長海(チヤンハイ)県獐子(チヤンナー)人民公社の社員―文淑珍(ウエンシユウチエン)さんである。
Author: 張玉泉 Year 1963 Issue 6 PDF HTML
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12. 造船労仂者の業余大学
日曜日の朝といえば、上海(レヤンハイ)の外灘(ウアイタン)の通りは、休暇を楽しむ人びとで、たいへんな人出になる。しかし、繁華街の中心地にある業余大学の教室には、作業服姿のたくましい人たちがつめかけている。かれらは、講義を聞きながら、手だけは休めずノートをとったり、公式を計算して、熱心にグラフを書いたりしている。また四、五人ずつあつまって書物の中の問題を議論しあっている学生たちもいる。ここは上海造船
Author: 張玉泉 Year 1966 Issue 4 PDF HTML
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13. 紙上画廊·中国絵画の八百年
本号の付録、一九七九年のカレンダーは南宋から現在までの中国画を刷りこみました。人物画、山水画、花鳥画と中国画の各分野にわたる画題を網らし、約八百年にわたる中国絵画史のあらましを見る紙上画廊に御案内しようというわけです。以下はその鑑賞の手引きとして―ほほえましい羊一家 表紙―四羊図一九七九年は羊年。これにちなんで表紙は〈四羊図〉を掲げた。南宋画家、陳居中(ちんきよちゆう)(一二世紀末~一三世紀初)の
Author: 匋奚 甘泉 Year 1979 Issue 1 PDF HTML
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14. 内画鼻煙壺(内壁画付きかぎたばこ入れ)
ニューヨークで昨年の暮、ニューヨークの世界貿易センターで中国北京工芸美術展覧会が開かれたときのことだ。会場の一隅に人だかりがして、アメリカ各地はもちろん世界の国ぐにからやってきた参観者たちが目をこらして見入っている。ちょうど、中国の若い工芸家が、かぎたばこ入れの内壁に絵をかく実演をやっているところなのだ。この絵師の名は劉守本さん。極細でかぎのついた竹筆と毛筆をかわるがわる、大豆つぶほどの大きさしか
Author: 呉景泉 Year 1981 Issue 1 PDF HTML
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15. お茶っぎ給仕は“博士”さん絶賛浴びる父ゆずりの妙技
中国は、もともと「お茶のふるさと」、茶の木の原産地として知られており、世界で最も早く茶の木を発見しその葉を飲用に使い始めた国である。茶はのどを潤すばかりでなく気を静め、視力を整え、病気を払うなど、健康飲料として愛用されてきた。中国人は昔からお茶を飲む習慣をもち、三国時代には庶民の風俗となっていて、魏晋南北朝時代に役人や文人·風流人たちの愛好するところとなり、唐の時代はもっと盛んになって、以後宋、元
Author: 写真 秋泉 Year 1994 Issue 4 PDF HTML
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16. 競売で活気づく美術品市場巨匠の中国画が人気の的に
経済発展のスピードアップにつれて人びとの収入も増し、日常生活の中で優雅に美術品を楽しむ人は少なくない。加えて、中国の名画が国際市場でしばしば競売の新記録をつくったこともあり、国内の美術品市場は一段と活気を呈してきた。美術品の競売は、市場競争の盛んな西欧諸国では数百年の歴史をもち、その公開競売も国際的な売買方式として行われている。中国でも、公開かつ公正な競争に基づく取引の原則も定着してきてようやく活
Author: 写真 秋泉 Year 1994 Issue 7 PDF HTML
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17. 生きがいのある老後を 夕焼けプロジェクト本格化
「人生七十古来稀なり」の感慨は過去のものとなった。中国人の平均予測寺命は七十歳に達し、発展途上国の中でも上位にある。中国には今一億人の高齢者がいて、その扶養は全社会的問題になっている。人口の急激な老化は、労働力資源の老化と不足を招き、労働の生産性にも影響する。中国老齢科学研究センターの調査によれば、二〇〇〇年には老齢化問題が社会の大問題になるので、老人の社会保障システムを整備することは焦眉の問題で
Author: 写真 秋 泉 Year 1994 Issue 10 PDF HTML
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18. 北京市秀水街に代る雅宝路市場のにぎわい
六年前まで、北京に衣料品の商いにくる外国人のお目当ては、秀水街だった。しかし、最近では、雅宝路が秀水街に取って代わる勢いである。雅宝路は第二環状道路が建国門と交わる所のやや北にある。狭い道路の左右に小さな店が軒を連ね、店の外まで色とりどりの衣類がぶら下がる中を行き交う買い物客の中には、金髪の外人も多い。北京のお年寄りは、ここは縁起がいい場所だという。一九八八年に北京市がここに衣料市場を作ることを決
Author: 写真 秋泉 Year 1995 Issue 3 PDF HTML
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19. 長江をくだる
カラーグラフ参照長江(揚子江)は中国の国民経済の中で重要な地位を占める。その流域は三億の住民を擁し、農作物は中国の総収獲高の四割を占め、重要な工業基地がその沿岸に分布する。長江は一年中凍らない。その延長五千八百キロの半数は、汽船の航行が可能である。それに多くの支流、湖泊など航行可能キロをくわえると、一万八千キロが航行可能である。昨年の秋、重慶から上海まで、二千五百キロにわたる長江の旅をした。つぎに
Author: 秦泥 張玉泉 Year 1973 Issue 3 PDF HTML
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20. 人民に尽す歩哨班
太行山の山あいに大きな鉄橋がかかっている。この鉄橋を守っているのは、中国人民解放軍某部第三中隊鉄道警備哨戒所の七名の戦士である。ある日、その戦士の一人の陳呂江さんは哨戒所のたきもの置き場に行ってみておもわず首をかしげた。枯れ草の間にニワトリのタマゴが六つあるのだ。ニワトリなど飼っていないのだからこんなところにタマゴのあるはずがない。さっそく中隊の同志たちに話してみたところ、きっと村の農家のニワトリ
Author: 潘泉 種白侖 Year 1974 Issue 8 PDF HTML