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Your search : [ author:構成 曹復
え·岳峰] Total 154 Search Results,Processed in 0.225 second(s)
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11. 33年ぶりの兄妹対面
北海道室蘭市の華僑·張文海さんが三十年以上も別れ別れになっていた妹と面会するときがやって来た。張さんはジリジリしながら北京駅の出札口のあたりを行きつもどりつしていた。駅のスピーカーが「入場券をお持ちの方はプラットホームに入って下さい」と、くりかえしうながしているのが聞こえてくる。張文海さんはいても立ってもいられない気持ちであった。しかし張さんはプラットホームに入れないのである。張さんの妹はうっかり
Author: 曹復 Year 1978 Issue 9 PDF HTML
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12. 農地基本建設で増産をはかる
人口七〇〇〇万と農地一億一〇〇〇万ムー(一ムーは六·六六七アール)をもつ山東省は、かつては、黄河がしばしばはんらんし、アルカリ性土壌となった地域が西北部にひかえ、その東南部には泰山地区·沂蒙山岳区の丘陵地帯が広がっていた。つねに干害と水害に見舞われた。だから、話が山東省のことになると、解放前に東北地方へ流れて行った当時のみじめな生活ぶりを、人びとは思わずおもいうかべる。水害と日でりが情け容赦なくこ
Author: 曹復 Year 1979 Issue 2 PDF HTML
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13. 「お嫁入り」直前の歓歓(ホワンホワン)
北京での最後の日々パンダの歓歓が、日本へお嫁入りをする直前、記者は北京動物園で出発仕度中の彼女に会いにいきました。本号が読者のお手もとにつくころはもう歓歓もすっかり上野動物園の暮らしに慣れていると思いますが、北京での日々のことをご紹介しましょう。記者が北京動物園を訪ねたとき、やはり同じ思いで彼女の姿を一目見ておこうと中国各地からやってきた人びとでいっぱいでした。歓歓はすっかり落ち着きをなくして、庭
Author: 曹復 Year 1980 Issue 3 PDF HTML
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14. 日本の「お母さん」がきてくれた
「朋(とも)あり、遠方より来たる。また楽しからずや」というが、北京市郊外にある中日友好人民公社の幹部と社員はそんな気持ちで、福島県県会議員の吾妻千代吉さんを団長とする北海道·福島県農業交流友好訪中団を迎えた。北京の中日友好人民公社社員二六名は、日中農業農民交流協会と福島市日中農業技術交流協議会の招きで、昨年の三月から十二月まで、福島県と北海道でそれぞれ九カ月間の農業技術の研修をおこなった。約三百日
Author: 曹復 Year 1980 Issue 7 PDF HTML
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15. こちらは管理陣の刷新
成都継目なし鋼管工場の工場長室副主任、陳道熙氏―目が大きく、ほお骨の高い中年の人物だ―が一枚の表を見せてくれた。1、一九六六年~一九七六年の十年間―鋼管の生産量五四·八万トン、利潤なし、三六二万元損失。2、一九七七年~一九七九年の三年間―鋼管の生産量五七万トン、国庫納付利潤一億五七〇〇万元、年平均五二六〇万元。数字そのものは無味乾燥だが、ここには、この三年と、かつての十年とのちがいがズバリ示されて
Author: 曹復 Year 1980 Issue 9 PDF HTML
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16. 少数民族の歌舞コンクール
昨年の十月、北京で少数民族による歌と踊りの公演が開かれた。色とりどりの民族衣装をまとい、各種のあでやかな帽子をかぶり、キラキラと輝く首飾り、耳飾りをつけた約二〇〇〇人の少数民族の出演者が勢ぞろいして建国はじまっていらいの大規模の全国少数民族歌舞コンクールが開かれた。中国各地に住む五五の少数民族がそれぞれ出演者を選んで派遣した。彼らは約四〇〇種類の民族色、郷土色にあふれた歌舞や劇を舞台で披露した。関
Author: 曹復 Year 1981 Issue 2 PDF HTML
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17. 戸ごとのメタンガス装置
中国では、長江以南の省は人口密度が大きく、土地の利用率も高い。掌大の土地にも豆を二粒播く。このような情景はめずらしくないほどだ。それに山林面積も小さく、石炭と石油の資源もとぼしい。だから燃料不足は深刻だ。「農村生活には七つの物が不可欠です。つまり、燃料、食糧、食用油、塩、醤油、酢、お茶です。なかでもいちばん重要なのは燃料です」とは農民たちのログセ。燃料はたしかに重要だ。一九三〇年代から中国農村では
Author: 曹復 Year 1981 Issue 6 PDF HTML
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18. 託児所の保母さん
愛する子を抱きながら年若い母親が小走りに託児所へと向かって行く。横町に入り遙か前方に朱色の大門が見えた途端、その女の子は突然ワァーワァーと声をあげて泣きだした。大門の側に立っている白衣の婦人を見ると、女の子はそっぽを向いてしまい、両手で母親の首にしっかり抱きついて、火のついたように泣き続けた。……二つになる萍萍(ピンビン)ちゃんは誰も知り合いがいない託児所へ行きたがらないのだ。母の手元からも離れた
Author: 曹復 Year 1982 Issue 3 PDF HTML
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19. 三代同居の老北京
北京では誕生日に長寿麺を食べる古い習慣がある。麺の長いことが、長寿を象徴するところからこうよばれている。北京市の南の繁華街、菜市口のとある横町に住む金文耀老人はことし七十五歳、一家三代のものが集まって、これから金さんの誕生日を祝う長寿麺を食べるところである。八仙卓という四角い大テーブルには、いため味噌、たれ、冷菜など、麵に添えて食べるものがならんで、家族のものが自分の好みで選べるようになっている。
Author: 曹復 Year 1982 Issue 4 PDF HTML
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20. ハルピンの青少年ボランティア
去年のことである。空には中秋の明月が高くかかり、大通りも横町もシーンと静まりかえった、ここハルピン市の一画―太平区延華通り四十四番地の、とある家の中庭に通じる木戸が、ぎーっと音をたてておしひらかれた。数名の若い娘さんがしのび足で入ってきた。この家に住むのは三十一歳の焦旭昆さんと七十八歳になる彼の母とのふたり。焦さんは、半身不随のためにベッドに十年間も寝たきりだった。「誰をおさがしですかね?」とつぜ
Author: 曹復 Year 1982 Issue 5 PDF HTML