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Your search : [ author:本誌 文哲] Total 965 Search Results,Processed in 0.137 second(s)
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11. 頤和園
徳和園の大舞台清の西太后は芝居のファンで、彼女の住むところには必ず芝居を演じる舞台があった。例えば故宮の暢音閣や承徳にある避暑山荘の清音閣がそれである。しかし最も有名なのは、頤和園の中の徳和園の大舞台だ。一八九七年に建てられたもので、古い舞台の中でも最大と言われたこの舞台は、西太后の誕生日の祝いに使われた。東宮門から頤和園に入って西北に向かい、ちょっと歩くと徳和園につく。裏庭につくられたこの舞台は
Author: 本誌·劉文哲 Year 1994 Issue 5 PDF HTML
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12. 頤和園
文昌閣-中国初の発電所頤和園の昆明湖の東岸に、文昌閣という軒先がそりかえった高い楼閣がある。三層から成るこの楼閣は、台座が関所風の建物である。言い伝えによれば、頤和園には以前六つの関所があり、それによって園内を互いに通じなくさせてあり、文昌閣がその最初の関所だった。一八九八年、光緒帝が維新変法の失敗から頤和園に幽閉された時、文昌閣は、光緒帝が詩を吟じたり月見をしたりして、憂いを晴らす場所になった。
Author: 本誌·劉文哲 Year 1994 Issue 6 PDF HTML
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13. 頤和園
石の中の石長廊の西端に石丈亭という小さな庭がある。中には高さ約三·三メートルの太湖石(江蘇省太湖の産)があって「石丈」と言われる。つまり「石の中の石」という意味だ。この石には次のような物語がある。昔、曽有という人が河南省で府知事をしていて、酒や女色をむさぼらず、金銭財物も欲しがらず、ひたすら命のように石を愛し、人から「石マニア」とあだ名された。ある日、曽有は下男を一人連れ、お忍びで石を探しに出た。
Author: 本誌·劉文哲 Year 1994 Issue 7 PDF HTML
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14. 八大処と香山
八大処の由来八大処は北京の西山の東麓、翠微山、平坡山、盧師山という三つの山にある。青々とした松の木、コノテガシワの老木、珍しい石、清らかな泉などがあり、密林の奥深くに八つの古い寺があるので、八大処と言われる。ここの八つの寺は、第一処の長安寺、第二処の霊光寺、第三処の三山庵、第四処の大悲寺、第五処の竜泉庵、第六処の香界寺、第七処の宝珠洞、第八処の証果寺で、いずれも明代以前の風格を持つ建築である。数百
Author: 本誌·劉文哲 Year 1994 Issue 9 PDF HTML
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15. 北京の寺あれこれ
千年の古刹―潭柘寺「さきに潭柘寺あり、のちに北京城あり」、北京生え抜きの人びとは話が潭柘寺に触れると、こう褒めない人はいない。実は北京は、古都として二千余年の歴史を持っているが、潭柘寺の歴史はわずか千六百年だ。だからこの言い方は、その歴史の長さをほめたたえるための、オーバーな表現なのだ。北京西郊の山間地帯にある潭柘寺は、今から千六百年前の晋代に創建された。最初は嘉福寺と言われ、時代の変遷を経て、清
Author: 本誌·劉文哲 Year 1994 Issue 10 PDF HTML
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16. 孔子廟と国子監
成 賢 街北京市雍和宮の西側に静かな並木道がある。この道が、中国伝統文化の特色を色濃く残した国子監街で、道には四つの牌楼(極彩色の絵を描いた鳥居形の門)が立ち、東西の入り口に立つ牌楼には「成賢街」、残った二つの牌楼には「国子監」と大書されている。孔廟(孔子廟)と国子監は中国の伝統文化を代表する建物で、人びとは孔廟で孔子を祭り、国子監は古代中国国家が建てた最高学府だった。孔子は中国古代の思想家·教育
Author: 本誌·劉文哲 Year 1994 Issue 12 PDF HTML
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17. 鄭海霞の物語
中国女子バスケットチームのベテラン選手鄭海霞が、一九八四年から三回のオリンピック、四回の世界女子選手権大会に連続出場したが、これは女子バスケット界では極めて稀なことである。昨年オーストラリアで行われた第十二回世界女子選手権大会において、鄭海霞は一人で二一一点を得点、リバウンド一〇五回を成功させて、中国チームの第二位獲得のために功績を立てた上に、大会唯一の、そして世界選手権大会初めての「最優秀選手」
Author: 本誌·劉文哲 Year 1995 Issue 2 PDF HTML
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18. 大鐘寺の古鐘
編鐘―中国の古代楽器大鐘寺の古鐘博物館には、年代も大きさも違うさまざまな編鐘がある。西周(紀元前十一世紀)初期の三個一組のもの、西周末期の八個一組のもの、春秋時代(紀元前八世紀)の九個一組のもの。また河南省信陽から出土した十四個一組の戦国時代(紀元前五世紀)製の模造品もあり、観光客が打ち鳴らすことができる。では古代の編鐘はどの時代に現れたか?音楽の演奏に使われただけか?この質問に答えるには、最も古
Author: 本誌·劉文哲 Year 1995 Issue 2 PDF HTML
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19. 道路擁壁に石刻芸術
資源に富み、土地肥沃で物産豊かな四川省の省都·成都から、北東へ六〇キロ行ったところに、一九八三年に市制を敷いた徳陽市があり、進んだ機械電機工業の盛んな新興の工業都市として全国にその名を知られている。中国最大の長江葛洲壩水力発電所と二灘水力発電所の発電設備は徳陽の製品であり、計画中の三峡水力発電所の発電設備も徳陽で製造することになっている。しかしさきごろ記者が徳陽を訪れた時、地元の役人たちが真っ先に
Author: 本誌 劉文哲 Year 1995 Issue 6 PDF HTML
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20. 中南海近辺を訪ねる
宮中行事の中南海西長安街の北側、新華門の中で中南海と呼ばれる地域は中華人民共和国国務院の所在地であり、中国最高指導層もここに住んでいる。ちょっと近寄り難い感じを持つが、時々ほかの皇室庭園と同じように、観光客に開放される。中南海は金の時代(一一一五~一二三四)に建造され、初めは皇帝の離宮だったが、明代には皇室御苑として西苑と呼ばれた。西苑は樹木が生い茂り、池の水は澄んで、眺めのすばらしい避暑地である
Author: 本誌·劉文哲 Year 1995 Issue 6 PDF HTML