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Your search : [ author:本誌·黄秀芳] Total 29 Search Results,Processed in 0.095 second(s)
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11. 那英 フリー六年の苦闘実る
満州族エホナラ氏の出身。かの西太后と同じだ。そのせいか、那英も気性が激しく、また率直な性格だ。六年前、敢然として独立しフリーの歌手となったが、中国のポピュラー音楽の世界では、この道はまだまだ容易ではない、と言う。ことし一九九四年は、那英にとって特筆すべき年となった。昨年四月に台湾の福茂レコード音楽公司および北京の賽特文化発展公司の契約歌手となって以来、その日常が一変したのだ。まず一月に最初の個人テ
Author: 本誌·黄秀芳 Year 1994 Issue 12 PDF HTML
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12. 煙台―2本のルートで大連と結ぶ
威海の取材を終えた記者は、その約七〇キロ西に位置する煙台市にやってきた。煙台は、美しい海と砂浜の海岸線が九〇〇キロも連なり、実にすばらしい都市だ。この世の仙境と呼ばれる蓬萊閣は、蜃気楼が見られることでも知られ、軽装の観光客があちこちを散策していた。外国人観光客はまだ年間延べ二万五千人程度だが、内のそれは北京からだけで百万人に上る。煙台市の全人口八十万人より二十万人も多い数字だ。この数年来、中国経済
Author: 本誌·黄秀芳 Year 1995 Issue 2 PDF HTML
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13. 潍坊―凧揚げの国際都市
山東半島中部に位置する潍坊市。煙台からは西へ二四〇キロだ。誰もが一度は行ってみたいと思う古都、潍坊市には四千年も前にすでに古代都市や国家が存在していた。ここは古生物化石の自然の宝庫として有名だ。さらに貴重な古文物、数多い文化人や著名人の遺跡は古代の世界に人びとを静かに誘い込む。孔子の門弟七十二人の一人である公冶長はここの生まれだと伝えられ、また宋代の文人の蘇東坡、范仲淹、欧陽修、そして清代の鄭板橋
Author: 本誌·黄秀芳 Year 1995 Issue 3 PDF HTML
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14. 天津―東方の美しい楽園都市
中国三大直轄市の一つである天津―十三世紀イタリアの旅行家マルコ·ポーロはかつてそれを「東方の美しい楽園都市」とたたえた。二十世紀になると、天津は北方の商港、金融センターとして登場、かなりの工業力を備えていた。人びとは天津製品があるかないかで、その家庭が豊かかどうか判断したものだった。新興の自動車産業北京から天津へ行くのはとても便利で、自動車なら京津塘(北京―天津―塘沽)高速で一時間。汽車でも二時間
Author: 本誌·黄秀芳 Year 1995 Issue 6 PDF HTML
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15. 葫芦島―東北の新興港湾都市
列車が山海関を通過、長城を横切ると河北省から遼寧省に入り、すぐかつて錦西(チンシー)市と呼ばれた葫蘆島(フールータオ)市である。一九八九年錦州(チンチヨウ)市から分離、独立した同市は、面積一万三四三平方キロ、人口二百六十四万、興城(シンチヨン)市、綏中(スイチユン)県、建昌(チエンチヤン)県、連山(リエンシヤン)区、葫蘆島区と南票(ナンピヤオ)区などを管轄する。都市建設に十八億元九三年に着工、今年
Author: 本誌·黄秀芳 Year 1995 Issue 9 PDF HTML
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16. 瀋陽―東北地方の経済センター
遼寧省の省都瀋陽(シエンヤン)は東北経済の中心地である。千七十四年に及ぶ歴史の中で、盛京、承徳、奉天などと呼ばれたこともあり、清朝が北京に都を移すまでの十九年間は、清の首都であった。瀋陽の故宮は、北京の故宮を除けば、全体がよく保存されたただ一つの宮廷建築群である。清の太祖ヌルハチと皇后葉赫那拉(ようかくなら)氏の墓―東陵などと共に歴史文化都市瀋陽の輝かしいシンボルとなっている。一方、瀋陽は五千八百
Author: 本誌·黄秀芳 Year 1995 Issue 10 PDF HTML
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17. 画家馬雲の描く竜と虎
『天安門蔵画集』に収録されている作品は現代中国画の逸品と言えるだろう。そのうち、北京の画家馬雲さんの「巨竜騰飛」は後世にも残る名作である。横三·六五メートル、縦一·一メートルの中国画の大画面には、巨大な竜が逆巻く雲海を勢いよく飛翔し、竜の本性と精神を見事に表現しているだけでなく、巨竜と言われる中華民族の飛躍的な発展、経済改革の時代に向上する国情も生き生きと描き出している。有名な画家関山月さんはこれ
Author: 本誌·黄秀芳 Year 1997 Issue 1 PDF HTML
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18. サクラの咲く日に
春の花が一斉に開く四月に、『人民中国』誌の在日発行人である東方書店の福島正和氏の招きにより、八名からなる訪日団が日本に旅立った。船に乗って東へ四月六日、私たちは北京発の一三次列車で上海に向かった。上海から大阪行きのフェリー·蘇州号に乗り、四十六時間後に日本の地を踏んだのだった。船の旅は飛行機のようにスピーディーではないが、代わりに中日間を往来した先人たちの苦労の片鱗(へんりん)を知ることができたと
Author: 本誌·黄秀芳 Year 1997 Issue 9 PDF HTML
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19. 全国で密輸一掃キャンペーンを展開
昨年夏、中国の長江流域は百年来の記録的な大洪水に見舞われ、千六百六十六億元の損害を受けた。ところで中国は毎年、密輸入の横行によって一千億元を超える損失を被っている。これは昨年の長江大洪水の被害に相当する金額である。昨年七月十三日から三日間中国共産党と中国政府は密輸取り締まりの全国会議を開いた。江沢民党総書記·国家主席·中央军事委員会主席は開会に当たり、重要な演説を行った。朱鎔基国務院総理は閉会に際
Author: 本誌·黄秀芳 Year 1999 Issue 3 PDF HTML
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20. 銭鍾書の死を悼む
「城壁に囲まれた町の中に住んでいる人は外に逃げ出そうとし、城壁の外に住んでいる人はなんとしても中に入りたい。結婚や職業についても人間の願うことはこれと同じである」―これは有名な『囲城』という長篇小説の一節、一言で人生の核心をついている。『囲城』の作者、著名な学者で作家、評論家の銭鍾書さんが昨年十二月十九日、八十八歳で亡くなった。『ドンキホーテ』などの翻訳者として知られる夫人の楊絳さんは銭さんの遺志
Author: 本誌·黄秀芳 Year 1999 Issue 4 PDF HTML