Current Location: Home » Full Text Search
Your search : [ author:本誌·黄秀芳] Total 29 Search Results,Processed in 0.067 second(s)
-
21. 高潔の作家·冰心さんをしのぶ
春の足音が近づいた二月二十八日、著名な作家冰心さんが亡くなった。十月五日の誕生日に合わせて彼女の長寿を祝う「百年文学祝典」が計画されていた矢先に、この世を去って行ってしまったことが、大勢の人を悲しませた。冰心さんは生前何度も日本を訪問して多くの日本人作家と友情を結んだ上、『人民中国』誌にも、たびたび訪日ルポを寄稿した。日本に深い理解を持つ中国の古い知識人の一人であった。哀悼の意をこめて彼女の生涯を
Author: 本誌·黄秀芳 Year 1999 Issue 6 PDF HTML
-
22. 北京は、変わった
新しい空港ターミナル、環境道路、広場ができ、地下鉄も延伸され、北京は全市を挙げて建国五十周年を祝賀した。六十七項目にも及ぶ都市計画事業が、この一時期に次々と完成し、多くの新景が首都に生まれた。あまりにも急激で広範な変化に、地図の出版社は、いくら改版してもいたちごっこだと悲鳴を上げる。環境の激変は、北京の人々にどのような変化を与えているのだろうか。水と緑の豊かな都市に北京に詳しい人ならよく知っている
Author: 本誌·黄秀芳 Year 2000 Issue 1 PDF HTML
-
23. 出版界にも市場経済の波
改革開放が始まった二十二年前、出版社は全中国で二百九十社しかなく、一年間に発行した書籍は二万点に過ぎなかった。だが一九九八年には、この数字は五百六十五社、十二万点に激増している。なにか読みたいと思っても本そのものがなかったという時代から、多種多様な本がなんでも読める時代に変わったのは、出版界が計画経済から市場経済に改革されたからだ。だがその改革は、他の分野よりもほぼ十年は遅れた。加えて一つの文化商
Author: 本誌·黄秀芳 Year 2000 Issue 5 PDF HTML
-
24. 留学経験者が見た日本
一八九六年に清朝政府が初めて日本に留学生を派遣して以来、日本は、向学心に燃える中国の若者たちの新しい天地となってきた。彼らの留学生活は、時代によってさまざまだったし、その後の人生もさまざまだったが、共通して言えるのは、彼らの心に消えることのない痕跡を残したということだ。彼らは日本で、何を見、何を学んだか。日本体験はどんなものをもたらしたか。日本にどんな思いを抱いているか。何人かの帰国者に尋ねたとこ
Author: 本誌·黄秀芳 Year 2000 Issue 8 PDF HTML
-
25. 円借款はどう生かされているのか実施二十年目の対中ODA
今年は日本政府による中国への円借款が始まって二十年目の年にあたる。三月末までに、計百二十七プロジェクト、総額二兆四千五百三十五億円の資金貸与が承諾され、すでに一兆六千五百八十九億円が各プロジェクトの中で実際に運用された。円借款によって提供された資金は果たして中国でどのように使われ、どのような効果を上げているのか。また、今後解決されるべき問題があるのかどうか。こうした疑問に答えてもらうべく、本誌記者
Author: 本誌·黄秀芳 Year 2000 Issue 9 PDF HTML
-
26. 日本から来た「小さな留学生」北京の小学校で過ごした日々
今年十一歳になる陳勇完君は、神戸生まれの神戸育ち。自身のルーツを辿れば中国は決して縁の薄い国ではないが、中国語はほとんど話せない。日本の空気を吸って育った、ちょっとやんちゃな日本の男の子だ。そんな彼がこの春、語学研修をする母親と共に中国にやってきて、北京市の西城区百万荘小学校五年二組に転入した。初めての外国暮らし。先生はどんな人なのだろう?友達はできるだろうか?そんな不安の中で始まった彼の「留学」
Author: 本誌·黄秀芳 Year 2000 Issue 12 PDF HTML
-
27. 徐帆 緊張と弛緩のはざまから
両親の影響で徐帆は十一歳で芸術学校に入り、まず京劇を、次いで話劇(現代劇)を学んだ。いま彼女は、映画、テレビ、舞台でいろいろな女を演じ分けているが、自身の内面世界を吐露した表現が、多くの観客に深い感動を与えている。よみがえった大女優一九九三年、北京人民芸術劇院(人芸)所属の徐帆は、その初主演映画『再見のあとで』で金鶏賞女優主演賞にノミネートされた。栄冠は『秋菊の物語』の鞏俐の上に輝いたが、徐帆の洋
Author: 写真 蘇徳新 本誌·黄秀芳 Year 1994 Issue 7 PDF HTML
-
29. 農村改革の草分け 温州農民
安徽省鳳陽(フオンヤン)県小崗(シアオカン)村を一九七八年に始まった農村改革の草分けだというと、温州(ウエンチョウ)人は承服しない。浙江省温州市永嘉(ヨンチア)県では、四十二年前の一九五六年に早くも農村改革の実験を行っているからだ。この改革の試みは後に資本主義の道を歩む典型として批判されたが、農民の心に燃え上った改革の炎は消すことができなかった。彼らはひそかに請負制を行い、豊かになる道を歩み続けた
Author: 本誌·黄秀芳(ホアンシウファン) Year 1998 Issue 11 PDF HTML