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Your search : [ author:本誌·丘桓興
写真·任仲] Total 29 Search Results,Processed in 0.095 second(s)
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11. うどん
中国で「麵条(ミエンテイアオ)」(“長いめん”の意味)と呼んでいるうどん類は、世界のいろんな国で喜ばれている食品である。日本の多くのサラリーマンは昼飯にうどんを食べ、イタリアの年間一人当たりうどん消費量は三〇キログラムに上ると聞いているが、日本、イタリアのそれが中国から渡っていったのは確実で、うどんの“故郷”は中国だと言ってよい。切る削る抻(のば)す拉(ひ)く皆宜し―豊富多彩なうどん類まずその作り
Author: 本誌·丘桓興 Year 1991 Issue 5 PDF HTML
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12. 客家の土楼と囲屋
客家(ハッカ)と呼ばれる人々は、中国東南部の福建省や広東省の辺境地帯、山間部に住んでいる。かれらの伝統家屋は土楼か囲屋だ。土楼には環形のものと方形のものとがあり、どちらも城塞のような建築物である。囲屋には殿堂式と、家屋群の外周に半円形に家屋をめぐらせて外壁とした囲竜式とがある。
Author: 本誌·丘桓興 Year 1991 Issue 12 PDF HTML
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13. 躍進する貴州都勾橋梁工場南京分工場の成功が弾みに
貴州省の都匀橋梁工場は、鉄道用の橋梁材と枕木を生産する工場で、広々とした工場の構内には、長さ三二メートル、重さ約二〇〇トンの鉄筋コンクリートのプレハブ橋梁材が並んでおり、走行クレーンが貨車に鉄筋コンクリートの枕木を積み込んでいる。作業場内では、労働者たちが型枠にセメントを注いだり出来上がった製品を整理するほか、鉄道専用のスプリングバルブや堰板をつくったりしている。中国西南部の貴州省にある鉄道部(省
Author: 本誌·丘桓興 Year 1994 Issue 9 PDF HTML
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14. 岷江上流に息づくチャン族の伝統
冬のはじめ、私は四川省の成都を出発し、岷江の渓谷に沿って北西へ一六〇キロ走って、茂汶(マオウエン)チャン(羌)族自治県に着いた。現在、中国に住む二十万人のチャン族が、茂汶とその周辺の汶川(ウエンチユワン)、理県(リシエン)、黒水(ハイシヨイ)、松潘(ソンバン)、北川(ベイチユワン)などの地域で暮らしている。トーチカのような家ちょうど好いタイミングだった。というのは、茂汶に着いた翌日に、曲谷郷河西村
Author: 本誌 丘桓興 Year 1995 Issue 9 PDF HTML
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15. 石油の欠乏と取り組む中国
中国は世界第五位の石油生産国である。だが、この五年間は毎年石油を輸入し、九六年の輸入量は一千万トンを超えた。なぜ、中国に石油不足が生じたのか。中国政府、そして石油企業の指導者たちはこれに対し、どのような対策を講じているか。中国の石油資源と生産、需要の現状をまとめ、将来を展望してみた。なぜ石油が不足するか中国は、九六年に石油生産量が一億五千七百万トンに達し、世界第五の産油国となった。しかしこの年の石
Author: 本誌·丘桓興 Year 1998 Issue 5 PDF HTML
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16. 天津と母校に深い思い
今年の三月五日は、ちょうど故周恩来総理の生誕百周年に当たり、その日の前後に北京をはじめとする各地で、この偉人を偲(しの)び、記念する行事が繰り広げられた。周恩来の本籍は浙江省紹興、生まれたのは江蘇省淮安だが、十五歳の時天津に移り、この地で革命家としての道を歩み始めた。彼は中華人民共和国の総理に就任してからも天津の発展に大きな関心を寄せ、天津を第二の故郷と呼んでいた。また彼の妻、鄧穎超も天津の師範学
Author: 本誌·丘桓興 Year 1998 Issue 6 PDF HTML
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17. 環境保全に官民が努力
昨年十二月十一日、広西チワン族自治区は、自治区成立四十周年を迎えた。中国屈指の観光地·桂林を有し、西南はベトナムと国境を接するこの自治区は、四十年の間にどのような変貌、発展を遂げたのだろうか。広西取材で得たさまざまの見聞を、以下にお届けする。桂林は、世界にその名を知られた観光都市だ。アメリカのニクソン元大統領は「これまで世界の八十以上の国、百以上の都市を訪れたが、桂林ほど美しい町はお世辞でなく一つ
Author: 本誌·丘桓興 Year 1999 Issue 3 PDF HTML
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18. 歴史と文化と工業と
桂林から南へ百七十六キロ離れた柳州は、広西チワン(壮)族自治区の重要な工業都市であり、由緒ある文化の町でもある。美しい山水と多くの名所旧跡、魅惑的な少数民族の風俗に引かれて、毎年たくさんの観光客がやってくる。柳宗元ゆかりの柳侯祠市内の柳侯公園に、柳宗元(七七三~八一九)ゆかりの柳侯祠がある。力強い筆致を見せる「柳侯祠」の額は、中日友好協会の名誉会長をつとめたこともある文豪郭沫若の揮毫。祠内に柳宗元
Author: 本誌·丘桓興 Year 1999 Issue 5 PDF HTML
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19. 書林
北京の書店風入松書店北京大学南門の東側、北大資源ビルの地下に店を構える。九五年十月、学者が経営する初の学術書店としてスタート。「風入松」という店名は、古典詞の詞牌(詞またはそれに合わせる曲調の形式を表す名称)から取った。開店当初はわずか四〇平米の小さな本屋だったが、予想以上の反響があったため、三カ月後に現在の住所に移転、売場面積を八六〇平方メートルに増やした。社長の王煒さんは北京大学外国哲学研究所
Author: 本誌·丘桓興 Year 1999 Issue 6 PDF HTML
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20. 緑豊かな近代都市へバイクあふれる南寧市街
城市の半ばは緑樹柳州から西南へ二百八十五キロ下って、広西チワン(壮)族自治区の区都·南寧市に着く。至る所に木陰があり、緑豊かな都市というのが第一印象だった。町をぶらつきながら見てみると、濃い緑をたたえたガジュマル、すらりとした美女を思わせるビンロウジュ、巨大な手のひらのように葉を広げたビロウ、南国の果樹パイナップルやマンゴー、などなどが街路樹として植えられている。だがとくに印象深いのが、市樹である
Author: 本誌·丘桓興 Year 1999 Issue 7 PDF HTML