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Your search : [ author:グラフ参照 本誌記者] Total 323 Search Results,Processed in 0.091 second(s)
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151. 千年の遅れをとりもどした涼山のイ族
グラビア参照長江の上流で、金沙江のほとりにある蘆沽湖での取材を終えたわれわれ一行は、金沙江の流れに沿って下り、四川省内の涼山イ族自治州へ来た。涼山で涼山イ族自治州は、中国西南地区四川省の南部にある。自治州の北側は大渡河、南は金沙江に面し、東は宜賓地区に連なり、西は西昌と接している。総面積は三万三千余平方キロにおよんでいる。海抜は平均二千メートル以上に達し、その中の黄茅埂山脈の主峰獅子山は四千メート
Author: 本誌記者 Year 1978 Issue 3 PDF HTML
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152. 草原の「緑の城」―ホフホト
北京からホフホトヘ着いて、避暑地へきたような感じがした。「朝は皮オーバー、昼は薄物、いろりをかこんだあとで西瓜を食べる」というのが内蒙古の気候の特徴だそうだ。しかし、夏の終りから秋の始めにかけての今は、そうではない。気候はさわやかなほど涼しく、内蒙古大草原の「ゴールデンシーズン」なのである。ホフホト全市のいたるところに緑の木があり、北部の大青山のふもとから南郊外区の大黒河の河畔まで、繁華街の道の両
Author: 本誌記者 Year 1978 Issue 4 PDF HTML
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153. 長江上流の大穀倉地帯
グラビア参照長江は川西高原から東の四川盆地に流れ、そこで大小さまざまの支流と合流して、水源豊かな長江上流での重要な穀物生産基地となっている。岷江·沱江·嘉陵江·烏江と大きな支流が四本あり、四川という名もそれに因んで付けたといわれる。金沙江(雲南と四川の境界に流れる長江上流の部分を金沙江という)下流の涼山イ族居住地区から四川盆地に入ると、視野がにわかに広くなり、胸が晴ればれしてくる。ここは人口が密集
Author: 本誌記者 Year 1978 Issue 4 PDF HTML
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154. 四つの川の各合流点にある工業地帯
中国第一の大河―長江は、「世界の屋根」とよばれる青海·チベット高原を流れ下り、有名な横断山脈を貫いて、さらに雲南·貴州高原の北部を貫き流れる。四川省の宜賓市までは金沙江とよばれ、長江の名が用いられるのは、ふつう宜賓市をすぎてからである。また宜賓市と湖北省の宜昌市のあいだは川江とも呼ばれている。長江は宜賓市を過ぎると、中国西南地区で最もゆたかな四川盆地に流れ入る。流れは盆地の南の縁に沿って、東へ向か
Author: 本誌記者 Year 1978 Issue 5 PDF HTML
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155. 錦おりなす三峡
グラフ参照長江はその源から東へ流れ、四川省と湖北省の境までいくと、巫山(ウーサン)山脈にその行く手をさえぎられる。だが、その巫山山脈も、滔々と流れ下る長江の衝撃を受けて、年を重ねるうちに美しい大峡谷―瞿塘峡(チユイタンシヤ)、巫峡(ウーシヤ)、西陵峡(シーリンシヤ)を形づくっていった。これが世界に名立たる長江の三峡である。長江の三峡は、四川省の白帝城という町から湖北省の南津関までのあいだを指し、そ
Author: 本誌記者 Year 1978 Issue 6 PDF HTML
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156. 長江の天然ダム洞庭湖
グラフ参照魔の荊江が恵みの川に長江は、三峡を出ると手綱のとれた馬のように自由となり、広い川幅となって果てしない平野を滔々と流れ下る。地底をゆくかのような三峡下りのあと、広びろとしたこの天地に、心のほぐれる思いがする。「四川と湖北の喉(のど)」といわれてきた宜昌のあたりから、長江は、中流地帯に入ることになる。さらに下って枝城(湖北省)から城陵磯(湖南省)までの区間は別名「荊江」とよばれてきた。この沿
Author: 本誌記者 Year 1978 Issue 8 PDF HTML
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157. ジンプォ族
ジンプォ(景頗)族は剛健で情熱的な、人口約10万の民族である。雲南省徳宏地区にある海抜1500メートル~2000メートルの亜熱帯山間部に多く居住している。ジンプォ族は主に農業を営み、米を主食としている。家屋は竹を多く使用したかやぶきで、それが緑したたる林や竹籔の中に見え隠れする様は実に美しい。
Author: 本誌記者 Year 1978 Issue 8 PDF HTML
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158. 長江の「中枢」―武漢
グラフ参照赤壁の戦いで有名な古戦場洞庭湖をあとに、われわれは城陵磯(ツエンリンヂイ)でまた船に乗り、長江を下って武漢に向かった。百キロも行かないうちに新堤鎮に到達する。北岸の平野には大小さまざまの湖沼が散在している。あの有名な洪湖である。洪湖といえば、恐らく中国では誰一人として知らぬ者はいない。一九六〇年代に製作された映画〈洪湖赤衛隊〉は人びとが好んでみる映画であっていまでもときどき上映される。そ
Author: 本誌記者 Year 1978 Issue 9 PDF HTML
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159. 中国科学技術界の再出発
屈辱の歴史古代において、中国は科学揺らんの地であった。羅針盤、火薬、印刷、製紙の四大技術が中国で発明されたことはよく知られているが、そのほか、天文学、数学、物理、化学、地球物理学、生物学、医学、薬学など自然科学の各分野でも、古代中国は輝かしい成果をあげた。そして、明代(一四世紀後半~一七世紀の前半)に至るまで、中国は科学·文化の水準で世界の先進国であった。たとえば唐代に東へ渡った鑑真和上や、奈良-
Author: 本誌記者 Year 1978 Issue 10 PDF HTML
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160. 夏の船旅
クラフ参照「東方紅一五号」に乗船七、八月は、長江中、下流域の気温が最も高く、体温以下にはならない。中国の「三大溶鉱炉」として名高い重慶、武漢、南京はこの流域にある。解放後、これらの都市の市街地に大量の樹木が植えられ、「溶鉱炉」の「火」は以前ほど盛んではなくなった。だが、夏に長江下りの旅をするということは、われわれ北方の人間にとっては耐えがたいことだった。武漢を後に、われわれはひきつづき長江を下るた
Author: 本誌記者 Year 1978 Issue 10 PDF HTML