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Your search : [ author:写真 周家平] Total 3400 Search Results,Processed in 0.091 second(s)
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111. CCTVの日本語講座用に 日本から6億円のスタジオ設備
中国でも外国語学習が盛んで、日本語はブームといった感じです。漢字があるせいか、日本語に親近感を持って学習する人の数は大変なものです。学校での日本語教育は人数が限られますし、夜間の語学教室などがあっても、通える人はそう多くありません。地方の学習者の場合、条件はもっと悪くなります。そこで、一九八二年の五月に、中央テレビ局が第一放送を使って、全国向けに、日本語講座を始めました。基礎講座と、日曜講座の二科
Author: 写真 馮進 Year 1990 Issue 7 PDF HTML
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112. “神医”姜元棟さんに感謝の声
“現代の神医”とまで尊敬をあつめている名医を紹介しよう。海軍総医院中医骨傷難病研究センターの責任者·姜元棟さんがその人だ。姜さんは、中国に古くから伝わる整骨法と現代西洋医学の粋を総合し、さらに多年にわたる自身の臨床経験を加味して、一連の新療法を確立した。西洋医学では外科手術で治すような傷害でも、姜さんの手にかかれば、針灸やマッサージなどを総合した方法で十分。この数年間に扱った2000人を超える患者
Author: 写真 狄華 Year 1990 Issue 7 PDF HTML
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113. 気球で瓊州海峡横断に成功 技術向上した空中スポーツ
四月十五日、気球三個が広東省と海南省の問の瓊州海峡の横断に成功した。気球による海峡飛行成功は中国では初めて。離陸地点は、海南省の海口市。着陸したのは広東省の海安白砂鎮。飛行距離二九·六キロを約二時間三十分で飛んだ。四日前の十一日にも飛行を試みているが、この日は気流の流れが悪く、目的達成には至らなかった。その後、飛行計画を検討すると同時に、気象状況の把握に留意し、十五日の午前七時二十五分、飛行を開始
Author: 写真 許陽 Year 1990 Issue 8 PDF HTML
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114. 数万人の弟子を養成楊式太極拳の楊振基さん
河北省·邯鄲市で楊式太極拳を教える楊振基さんは、四十二年にわたって数万人の弟子を育て、同市政協常務委員、河北省武術協会会員、邯鄲市武術協会主席の要職にある武術家。年齢はもう六十歳を超えているが、つやつやとした顔は、まるで若者のようだ。楊式太極拳は、振基さんの曾祖父にあたる楊露禅さん(一七九九~一八七二)が編み出したものだ。幼いときから武術を好んだ露禅さんは、十六歳で有名な拳師·陳長興の弟子となり、
Author: 写真 焦連 Year 1990 Issue 9 PDF HTML
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115. 「中国文物精華展」から
〈特集参照〉中国八千年の歴史は、数え切れないほどの文物や史跡を生み出し、国内はもちろん、外国からも熱いまなざしが注がれている。が、中国は国土が広く、文物は各地にちらばっているため、それらを鑑賞するには中国各地を歩き回らなければならない。そんな中、文物ファンには願ってもないチャンスが訪れた。中華人民共和国建国四十一周年を迎え、また第十一回アジア大会が北京で開かれるのを機に、七月から北京故宮博物院で開
Author: 写真 王露 Year 1990 Issue 10 PDF HTML
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116. 半世紀ぶり“兄弟”の再会 いまわしい戦争の時代を越えて
あのいまわしい戦争の時代にも、中日の勤労人民は、互いに助け合い励ましあっていたのです。遼寧省にある北票炭坑。当時、富山県立入善農業学校を卒業したばかりの木島敏夫さんは、炭坑の事務所に職を得て、北票に住むことになったのですが、父を事故で亡くし孤児になってしまった十四歳の少年に同情して、あれこれ世話をしたことがありました。選炭場で健気(けなげ)に働く十四歳の少年工が、まるで自分の弟のように思えたからで
Author: 写真 呉輝 Year 1990 Issue 10 PDF HTML
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117. 故宮博物院地下文物倉庫一部完成 古建築とマッチした近代的建物
故宮博物院地下文物倉庫の第一期工事が終わり、さきごろ記者団に公開され、中共中央政治局常務委員で書記処の李瑞環書記(写真前列右)も視察した。完成した文物倉庫は、地下三階地上一階の四階建て。総建築面積は五千百六十三平方メートル、倉庫三十二室の面積三千十一平方メートルの、近代的設備を備えた第一級の文物倉庫だ。故宮博物院が収蔵する歴代の各種の貴重な文物は百万点近くにもおよび、中国古代の芸術の宝庫と呼ばれて
Author: 写真 胡錘 Year 1990 Issue 10 PDF HTML
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118. 「科挙」の試験風景を再現 外国人の“受験生”も参加
南京にある名勝の地·秦淮は通称十里秦淮と呼ばれ、六朝時代には“六朝の金粉”と形容され、明清時代にも盛況を極めた。国も重点観光地として注目している。夫子廟は秦淮の観光の“目玉”として一九八四年に復元された。古建築群は典雅な趣を見せ、「画舫」(美しく飾った遊覧船)に乗って秦淮河を漫遊し、両岸の景色を観賞しながら詩的世界に酔うことができる。また、長い歴史を誇る「江南貢院」も復元。そして数十軒の店屋が軒を
Author: 写真 楊磊 Year 1990 Issue 10 PDF HTML
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119. 北京市盲学校の一年生陳小楠ちゃん
先天性緑内障のために、両眼が失明してしまった陳小楠ちゃん。両親は、かわいいわが子を連れて、何度病院に通ったことか。治療のかいなく、小楠ちゃんの目は、光を失ったままなのである。7歳になった小楠ちゃんは、昨年の9月、北京市盲学校に入学した。同じような境遇のたくさんのお友だちに囲まれて、今、彼女は元気いっぱい。北京市盲学校は、1874年の創立。解放前は教会が運営する小さな学校だった。近年、北京市政府の指
Author: 写真 郭実 Year 1990 Issue 10 PDF HTML
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120. 即戦力の人材を養成 北京の職業高校
各種の職業教育を専門とする職業高校が、いま北京で脚光を浴びている。経済開放を進めるには専門技能を持った人材が早急に必要という社会の要望にこたえ、一九八〇年、北京の五十二の普通校に職業課程が設けられ、四千四百人の生徒が入学した。その後、生徒数は急テンポで増加していまや五万六千四百人に達し、この十年間に送り出した卒業生も六万四千人に上る。学校数もいま二百二十一校に増え、教科内容は二百三十二業種にわたっ
Author: 写真 馮進 Year 1990 Issue 11 PDF HTML