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Your search : [ author:写真·郭実 文·緑楊] Total 117 Search Results,Processed in 0.096 second(s)
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111. 終南山に全真道を訪ねる―王重陽と大重陽万寿宮
唐·宋時代に全盛期を迎えた道教は、遼(りょう)の時代に入ってから衰退の一途をたどるが、王重陽(おうちょうよう)(一一一二~一一七〇年)が全真道(ぜんしんどう)を開くと、金(きん)·元(げん)時代にかけて勢いを盛り返した。王重陽は道教史に大きな足跡を残した人物。道教の寺院には必ず王重陽と七人の弟子の塑像や画像が祭られている。特に王重陽の生涯を描いた山西省芮城(ルイチョン)県にある永楽宮(えいらくきゆ
Author: 文·楊天乙(ヤンティエンイー) 写真·郭実(クオシー) Year 1998 Issue 9 PDF HTML
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112. 刻まれた『道徳経』-全真道揺らんの地を訪ねる
中国の文化史上、王重陽(おうちようよう)の山東行脚は老子(ろうし)が函谷関(がんこくかん)を出て西方に赴いた話ほどは重視されていない。しかし、これが全真道の創始と道教復興のきっかけとなったことはだれもが認める事実である。快適な列車に乗って缶ビールを飲みながら、その昔、たく鉢して飲みつ歌いつ長旅を続けた王重陽の気持ちを想像するのは難しい。だが、宗教的な執念もさることながら、海への強いあこがれが、うま
Author: 文·楊天乙(ヤンティエンイー) 写真·郭実(クオーシー) Year 1998 Issue 10 PDF HTML
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113. 竜門洞から長春観へ―丘処機の足跡をたどる
一七四年、全真道の祖師王重陽(おうちょうよう)の三年の喪が明けると、弟子たちは互いに別れを告げ、それぞれの道を歩み始めた。丘処機(きゆうしょき)は戸(フー)県から、現在の陜西省宝鶏(バォチー)の磻渓(パンシー)に移り、洞穴の中で厳しい修行に打ち込んだ。六年間、毎日一食の施しを受けて飢えをしのぎ、食器一つ置かない質素な暮らしを続けた。その一方で、困難に耐え抜く根性を鍛えるために夜も昼も眠らず座禅を組
Author: 文·楊天乙(ヤンティエンイー) 写真·郭実(クオーシー) Year 1998 Issue 11 PDF HTML
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114. 最後の神仙 張三豊
丘処機(きゅうしょき)の足跡を追って隴(ロン)県に行く途中、宝鶏(ハオチー)の金台観(きんだいかん)を訪れた。丘処機亡き後の道教界で最も偉大な道士として知られる張三豊(ちょうさんほう)がかつて修行した道観である。張三豊は一二四七年前後に生まれ、一四〇三年から一四二四年の間に没したという。大変長寿だったのだろう。才知に優れ、呂洞賓(りょどうひん)、丘処機に次いで「この世の仙人」と人々に敬愛された。が
Author: 文·楊天乙(ヤンティエンイー) 写真·郭実(クオーシー) Year 1998 Issue 12 PDF HTML
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115. 澳門復帰 植民主義アジアでピリオド
香港の祖国復帰から二年、こんどは澳門(マカオ)の復帰が目前に迫ってきた。一九九九年十二月二十日。その日までの日数をカウントダウンしている天安門広場の電光掲示板には、いつも人々の熱い視線が向けられている。現地澳門でも、だれもが一日千秋の思いでその日を待ち、さまざまの祝賀行事の準備に余念がない。
Author: 写真·劉世昭 文·緑楊 俞長安 Year 1999 Issue 12 PDF HTML
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116. 玉三郎、北京に京劇界を訪れる
歌舞伎の名優坂東玉三郎が今年四月、北京市政治協商会議の招きで北京を訪れ、京劇界の人々との交流を深めて中日両国の伝統演劇の再興に弾みを付けた。玉三郎は北京の湖広(フークアン)会館で何回も京劇を見、中国の演劇人たちと意見を交わした。演劇学校を訪問して、伝統演劇を学んでいる若者たちとも話し合った。「何かお手伝できれば…」と京劇の後継者養成にも意欲をのぞかせていた。北京の演劇界や言論界の人たちは、五〇年生
Author: 写真·馮進(フォンチン) 文·緑楊(リュイヤン) Year 1998 Issue 7 PDF HTML
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117. 「シルクロードの煌めき
中華人民共和国建国五十周年のことし、その記念行事の一つとして、中国歴史博物館、日本中国文化交流協会などの共同主催により、「シルクロードの煌めき―中国·美の至宝展」が、四月二十八日から七月四日まで札幌市の北海道立近代美術館で開催される。今回展示されるのは、中国歴史博物館(北京)をはじめ、陜西歴史博物館(西安)、甘粛歴史博物館(蘭州)、内蒙古文物考古研究所(フフホト)など、シルクロード沿いの博物館が所
Author: 写真提供·日本中国文化交流協会 文·緑楊 Year 1999 Issue 4 PDF HTML