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Your search : [ author:安金槐 史石] Total 112 Search Results,Processed in 0.081 second(s)
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101. 明·清の学術
中国の古代史で、学術研究の空気がもっとも濃く、思想交流がもっとも活発にすすめられたのは、春秋戦国時代(前七七〇~前二二一)だといえよう。「諸子百家」として知られる多くの思想家が、それぞれに独自の思想を展開した。そこで、春秋戦国時代は「百家争鳴」の時代ともいわれる。だが、この学術の黄金時代に継いでやってきたのは、秦の始皇帝の「焚書坑儒」(始皇帝が、丞相李斯のすすめにより、自分の政治を批判するもとにな
Author: 福元 史石 Year 1983 Issue 5 PDF HTML
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102. 明·清の小説
中国の小説のルーツは、先秦(秦王朝以前の時代)の神話·伝説にまでさかのぼることができる。だが、かなり長いあいだ小説は、百家の末流として軽くみられてきた。両漢の時代(紀元前二〇六~二二〇)では、四書·五経など儒教の道理を説いた経書を学ぶ気風が盛んで、儒術(儒学者の説く政治論)が支配的な地位を占めていた。小説は、上層の人たちにとっては、まったく取るに足りない存在だったのである。六朝(二二二~五八九)で
Author: 福元 史石 Year 1983 Issue 6 PDF HTML
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103. 元·ジンギスカン陵の馬鞍
草原文明をつくり出した中国の北方騎馬民族は、古代史上、つぎつぎに雄壮な活劇を演じた。輩出した騎馬の英雄のなかでも、ジンギスカン(一一六二~一二二七)こそ一代の天驕と称すべきだろう。かれは蒙古の大砂漠を統一するとともに、鉄蹄でヨーロッパ·アジア大陸を踏破した。その功罪はすべて馬上より出ている。内蒙古オルドス高原エジンホロ旗ガンデル敖包(オボ)のかれの山陵にしても騎馬と関連がある。かれがここを通ったと
Author: 孫機 史石 Year 1983 Issue 10 PDF HTML
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104. よみがえる八千年前の音色
笛は、世界の文化史においては、東洋にルーツをもつと見られている。西洋での笛の出現はかなり遅い。では、笛はいったいいつごろ現れたのだろうか。実は、これは東洋でもよく分かっていない。伶倫のつくった笛中国の古い文化で、その始まりのはっきり分からないものはたいてい、中華民族の始祖·黄帝の功績であるとされる。そこで、黄帝は「文明の祖」と奉られているのだ。弓矢、文学、暦法、十干十二支、衣冠、家屋、舟等、みな黄
Author: 本誌·史石 Year 1989 Issue 11 PDF HTML
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105. 法門寺 秘宝の数々
陝西省扶風県にある法門寺は、ゆうに一千年の歴史を有する名刹である。京劇には「法門寺」と題する演(だ)し物があることから、中国では、この寺の名前は広く知られている。一九八一年八月、寺の境内に建つ古塔が崩れ、陝西省人民政府では、改めて十三層の立派な塔に建て直すことになったのだが、基礎工事が始まったばかりの一九八六年四月、塔の地下に立派な“宮殿”があったことが発見され、驚くべき秘宝の数々が、この“地下宮
Author: 本誌·史石 Year 1989 Issue 12 PDF HTML
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106. 宋詞と元曲
前回では、「そのご、五代、北宋、南宋では詞がさかんになり、また蒙古―元が、中原(当時の中国中央部)に勢力を伸ばすようになると、戯曲が文壇で優位を占めるようになった」と一言書きくわえたが、今回はこの宋詞と元曲をとりあげてみよう。詞は詩歌の一種だが、詩とは違う面もある。その句には長短があり、「長短句」ともいわれる。詞はまた、譜をつけて歌うことができるので、「曲」「雑曲」「曲子詞」とも称された。このほか
Author: 福元 史石 Year 1982 Issue 8 PDF HTML
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107. 婦好玉韘
カラー参照弓と矢は黄帝の時代に発明されたと伝えられていたため、中国では、五千年の歴史があるとされていた。ところが、七〇年代のはじめ、山西省原平県の峙峪など、旧石器時代の遺址から、原人のこしらえた石製の鏃(やじり)が発現されたことから、中国における弓矢の歴史は五千年はおろか、少なくとも二万八千年前にさかのぼることがはっきりした。中国人なら弓矢といえば、すぐ古代神話のなかの弓の名人羿(げい)を思い出す
Author: 史石 蕭璞 Year 1982 Issue 8 PDF HTML
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108. 「北京原人」の歴史的功績
北京原人展覧館は北京市の西南に位置する周口店の龍骨山上にある。その背後には太行山脈がそびえ、前面には広大な華北平原がひろがっている。原始人の足跡中国の歴史は長いから、史書もぼう大な数である。だが、人類は文字でつづられた先史時代の史書をもっていない。中国における先史時代の研究がはじまったのも数十年前のことである。解放前に、中国では古人類の遺跡をいくつか発掘した。そのさいに科学的な価値をもつ文物が、数
Author: 黄慰文 史石 Year 1977 Issue 7 PDF HTML
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109. 中国古人類学上の新しい発見
「北京原人」の末裔は?前号では、功勛卓の著書「北京原人」についてふれた。では、かれらの子孫はどこへ行ったのだろう。この千古の謎をつきとめるために、中国の考古学者は、ここ二十数年間、祖国の山河をくまなく踏破してきた。解放前には、発見された旧石器時代の遺跡はごくわずかだったが、いまではわりあいに重要な遺跡だけでも五十ヵ所をこえるにいたった。一九五〇年代に、山西省の汾水のほとりで、「北京原人」よりも新し
Author: 黄慰文 史石 Year 1977 Issue 8 PDF HTML
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110. 前漢·鎏金銅鋪首―「皇帝夢」のなごり
鋪首(ほしゆ)(扉の表にとりつけた金属輪の座。金属の輪はノッカーにあたる)の主人は、ほかでもない漢の武帝の三番めの息子劉旦で、燕王に封じられ、博学雄弁、雄々しい心の持ち主である。前漢の元鳳元年(前八〇)八月、燕王は薊(けい)(現在の北京の西南にあたる)にある王城内の万載宮で宴会を開いた。以前なら、宴会の席では歌ったり踊ったりして陽気に騒ぐのがつねだったが、この日に限って、王ははじめから不快の様子で
Author: 杜逎松 史石 Year 1983 Issue 5 PDF HTML